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お連れ様

「いらっしゃいませー!」 これまた直生とそう変わらないくらいに若い女性店員が、にこやかに挨拶してくる。 「あ、はい….」 どう返したらいいのかわからないらしい直生は、総治郎にしがみついたままビクッと肩を震わせた。 「ご希望の商品ございましたら、ぜひ言ってくださいね!」 キョロキョロしている直生に、女性店員が元気よく笑いかけてきた。 「総治郎さん、私、服とかよくわかりません」 直生がしがみついた手にさらに力を込めて、困ったような顔を向けてきた。 「そうか。じゃあ、アレを買うことにしよう」 「アレ?」 総治郎が言った「アレ」とは、店の隅にディスプレイされていたマネキンであった。 「何を買えばいいか迷ったら、店に置いてあるマネキンが着ている服を丸ごと一式買って、それを同じように着てしまえばいいんだ」 「…ああ、なるほど」 しがみついた手が、次第に緩んで外れた。 少しは安心できたらしい。 「あのマネキンが着てるシャツと、ジャケットはどちらに?」 総治郎は女性店員に尋ねた。 「ああ、こちらですね。サイズはどれくらいのをお探しですか?」 女性店員が、総治郎とマネキンを交互に見た。 「直生、きみ、サイズはいくつだ?」 「え?えーと、すみません…わからないです」 直生はオロオロと困り果てた様子でいた。 この反応を見るに、直生は自分で自分の服をまともに買ったことはないようだ。 直生が自分のサイズを把握していない事実を考えると、おそらく母親のお下がりばかり着ていたのだろう。 ふだん着ているものは、どことなく女性的なデザインばかりだし、それなら合点がいく。 「そうか。ちょっと失礼するぞ」 「ええ…」 総治郎は直生がいま着ているカーディガンの襟首を優しくつまむと、そこに付いているタグを確認した。 「S」との表記がある。 直生の服のサイズはSサイズだ。 「Sサイズをお願いします」 「かしこまりました。すぐに持ってきますね!」 言うと女性店員は、急ぎ足で店の奥に引っ込んでいった。 在庫を確認するため、店の裏側にある倉庫に向かったのだろう。 「お連れ様も、何かお探しですか?」 どこからか別の男性店員が出てきて、総治郎に尋ねてきた。 「そうだな、どうしようか」 総治郎は店内を見回した。 この店は若者向けのデザインばかりだが、商品によっては総治郎も着られそうなデザインの服がいくつかあった。 それと同時に、総治郎はあることを思い出した。 接客業に就いている人は、「お連れ様」という言葉をよく使う。 なぜかといえば、親子だと思ったら歳の差夫婦だった、恋人同士だと思ったらあまり似ていない兄弟姉妹だったといったようなケースがあり、「お父さま」とか「お兄さん」とか関係性がはっきりした言い回しをすると、気を悪くしたり、場合によっては憤慨してしまう人もいるらしい。 それを避けるため、こんな呼び方が定着したのだと、大成から聞いた。 実際、総治郎と直生の年齢差を考えると、親子と誤認する可能性は充分ある。 いや、それ以前に、直生が「総治郎さん」と名前を読んでいるから、別な関係と思われている可能性もある。 なんなら、先ほどの警察官と同様、いかがわしい関係だと認識しているかもしれない。 そうなってくると店員側も、ほかに呼び方がわからなくなる。 この「お連れ様」という言葉は、そういうときにも便利なのだろう。 この言葉を最初に使おうと考えた人はすごいな、などと感心しているうち、先ほど店の奥に引っ込んでいった女性店員が戻ってきた。 女性店員がハンガーにかかったジャケットとシャツを持って、こちらに歩み寄ってくる。 「こちら2着ともSサイズです。ご試着なさいますか?」 女性店員が、持っているハンガーを目の高さまで上げた。 「えーと…」 「試着しときなさい。買ったはいいけどサイズが合わなかったとか、袖が入ったけどボタンが閉まらないとか、後になって気づいても遅いからな」 迷っている直生に、総治郎は助け舟を出した。 「わ、わかりました」 言われて直生も了承する。 「すみません、こちらの試着をお願いします」 総治郎が、女性店員に頼み込む。 「かしこまりました。こちらにどうぞ」 女性店員はハンガーからジャケットとシャツを抜くと直生に渡して、フィッティングルームまで誘導した。 直生がジャケットとシャツを受け取ると、そこから助太刀とばかりに、男性店員がフィッティングルームのカーテンを開ける。 「靴は脱いでここに置いてください。フェイスカバーを使ってくださいね」 「え…」 脇から男性店員が丁寧に説明するが、直生はキョトンとした様子でいた。 フェイスカバーが何かわからないらしい。 「試着をするときは、化粧品やワックスや髪の毛がつかないように、これを被って着るんだ」 総治郎が、フィッティングルームの隅に設置してあるフェイスカバーを指差した。 「あ、はい」 だいたい納得できたらしい直生は、店員に言われた通りに靴を脱ぐと、フィッティングルームに入って、カーテンを閉めた。 その間、総治郎はまた店内を見回した。 ついでに、自分のものも買おうかと考えたのだ。 ──アレなら、俺でも着られそうだな、サイズはあるだろうか ディスプレイされている服を見て、そんなことを考えている間、フィッティングルームからバタバタ騒がしい音がする。 ──ジャケットとシャツを着替えるだけなのに、こんなに音を立てることあるか? と総治郎は思ったが、単純に直生が狭いところで着替えるのに慣れていないだけなのかもしれない。 思えば、総治郎も若い頃は、ブティックのフィッティングルームで着替えるのに、割と難儀した記憶がある。 いまの直生と一緒で、フェイスカバーの存在など知らなかったし、うっかり土足のままでフィッティングルームに上がりそうになって、店員から注意されたこともある。 ──歳を取ると昔のことばかり思い出すって本当だな… 直生の着替えを待っている間、総治郎はしみじみ思った。 昔のことを思い出すのはいまに始まったことではないのだけど、直生と結婚してからは、それがより顕著になっている気がする。 「お客様、いかがでしょうか?」 そうしているうちに女性店員が、フィッティングルーム内にいる直生に声をかける。 「あ…着ました」 直生が少しあわてふためいた様子で、シャーッと音を立てながらカーテンを開けた。 「よろしければ、お鏡で見て確かめてくださいね!」 出てきた直生に、女性店員が明るく元気に勧めてくる。 「あ、はい」 直生は小さな足を靴にはめ込むと、店内に設置されている姿見の前に立った。 「どうですか?」 女性店員が問いかける。 「えっと…」 しかし、問いかけられても直生は理解できない。 オロオロしてしまって、助けを求めるように総治郎に視線を渡してきた。 「似合うじゃないか」 見かねた総治郎が、感想を述べた。 「そうですかね…」 直生は戸惑い気味に笑ってみせた。 どう 「着心地はどうだ?肩がきついとか、袖口がゆるいとか、そういうことはないか?」 「ありません」 直生が確認するように、ジャケットとシャツの袖や襟をつまんだ。 「そうか。それなら、このジャケットとシャツは買おう」 「いいんですか?」 「そのために店に来たんだろう」 総治郎は呆れたように笑った。 「そうですけど…」 「じゃあ、試着室入って着替えなさい。それを包んでもらわないとな」 「はい」 返事すると直生はフィッティングルームに引っ込んでいき、カーテンを閉めた。 その間、総治郎は気になっていた商品を手に取った。 総治郎ほどの歳でも着られそうな、シンプルなデザインの、ネイビーブルーのジャケットだ。 「これ、羽織ってみても構いませんか?」 「ええ、どうぞ!」 男性店員が応える。 了承を得てジャケットを手に取ると、総治郎はそれを羽織ってみた。 サイズもちょうどいいし、着心地も悪くない。 ──直生のと一緒に、コレも買うか いま着ているのが古くなったところだったので、ちょうどよかった。 「いかがでしょうか?こちら、最近入荷したものなんですけれど」 男性店員が、にこやかに尋ねてくる。 「こちら、いただきます。彼のものと一緒に、コレも包んでください」 「かしこまりました!」 総治郎がジャケットを脱いで男性店員に手渡すと、威勢のいい返事で対応された。 「総治郎さん、お待たせしました」 カーテンがシャーっと勢いよく開いたかと思うと、着替え終わった直生が出てきた。 片腕に、先ほど試着していたジャケットとシャツをかけている。 「ああ、ほら直生。会計済ませるぞ」 「はい」 直生は靴を履くと、総治郎の方まで歩み寄ってきた。 「お連れ様の分とお客様の分、合わせて3着ですね。新しいものをご用意しますから、少々お待ちください!」 今度は男性店員が、店の奥に引っ込んでいった。 「失礼します。こちら、元の場所に戻しておきますね」 女性店員が、直生に向かって両手を伸ばす。 「あ、はい。すみません…」 直生は試着していたジャケットとシャツを、女性店員に手渡した。 「すみません。もう少々、待っていてくださいね」 女性店員が試着していたものをすべて元の位置に戻しながら、断りを入れる。 「いえ、構いませんよ」 総治郎は、店内の中央に置かれたソファに腰掛けた。 ちょっと疲れていたから、座れるところがあるのはありがたかった。 直生もそれにつられるようにして、総治郎の隣に座って、腕を絡めてきた。 初めて入る場所だから、緊張と不安が強くて、くっついていたいのかもしれない。

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