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定食屋

「私、ちょっと変なのかもしれませんね。なんでしょう、レイプ…とかそういうのちょっと興味あるし」 直生は絡めた腕をほどくと、赤らめた頬を手で覆った。 「そ、そうなのか?!」 総治郎は驚いた。 「あ、いや…本当にレイプされたいわけじゃないですよ。ああいうのはやっぱり怖いし。最悪は殺される人もいるじゃないですか。あくまで、妄想ですよ」 直生があわてて否定したので、総治郎はホッと胸を撫で下ろした。 そんなふうにされたいなどと言われても、総治郎はとてもできそうにない。 それとは別に、たとえようの無いわだかまりができていることに気がついた。 直生が胸の内を明かしてくれたことに嬉しさを感じる反面、なんだかモヤッとする。 これはいったい何なのだろうか。 考えて考えてもどうにもならないので、総治郎は話を続けることにした。 「あー…うん、まあ、妄想は自由だろう。それよりも、きみがなぜあのときに俺のことを「先生」って呼んでたのか、ちょっとわかったよ。その人が、初恋の人なんだな?」 「初恋?うーん…ちょっと違いますかねえ」 直生が少し考え込んでから否定したのを見て、総治郎はホッとした。 ──ん?アレ? なぜ、自分はいまホッとしたのだろう。 総治郎は、自分の心情が自分で理解できなかった。 こんな気持ちになったのは初めてで、ただただ困惑するばかりだった。 「恋、ではないんですよ。その先生のことが男の人として好きっていうよりかは、なんでしょうねえ…?」 直生が考え込む。 「あー、言っては難だが、たぶん「欲情」じゃ無いか?それは」 直生の言葉を遮るようにして、総治郎は口を挟んだ。 たぶん、そうだろうと思ったのだ。 「そうかもしれませんね。なんですかね、普段は大人しくて落ち着きのある人が、はすごく激しくなるのって、なんだかドキドキするんですよ」 直生の顔の赤みが、一層濃くなった。 「まあ、それは、ちょっとわかるな」 それなら、総治郎も少しは理解できる。 普段は強気な人が、ふたりきりになると初々しい態度を見せるのは、とても魅力的に感じる。 それこそ、普段は大人しくて従順な直生が、行為のときにだけ大胆に異様に求めてくる態度は、総治郎には一種の興奮材料だった。 ──これまた、いい歳して… ふと我に帰った総治郎は、またしても自分が情けなくなった。 妻の要望に応えるためとはいえ、結局はしっかり欲情して行為を楽しんでいる。 なんと恥ずかしいとことか。 そもそも、オメガの子のブルマ姿がトラウマになっているのというのに、結局は本能が勝って体が反応してしまうなんていうのも、なかなか情けない。 ──まあ、わざわざ着替えて無理して起きて、仕事に行くフリをする生活よりはたいぶラクだな… 総治郎は自分にそう言い聞かせて、気持ちを落ち着けた。 いまとなっては、直生との生活にもだいぶ慣れてきた。 ヒマを持て余してどこかに出かけていくよりは、そばにいる誰かの願いを聞き入れて動く方が幾分か楽しいし、有意義な気もする。 それを考えたら、結婚生活も案外悪くないような気がしてきた。 「総治郎さんも、はすごく大胆ですよね?」 直生が、顔を赤らめたまま熱っぽい瞳で総治郎を見た。 「嫌か?」 「いや、むしろ、アレがいいっていうか…ものすごくドキドキします」 直生がもじもじと身じろぎする。 気のせいだろうか、なぜかちょっと嬉しそうだ。 「うん、まあ、嫌だったり痛かったら即刻言うんだぞ?最悪、蹴っ飛ばしてくれてもいい」 「やだ、総治郎さんたら…そういう趣味もあるんですか?」 からかっているのか本気なのかわからない声色で、直生がニヤつく。 「なぜそうなるんだ…」 総治郎は苦笑いするしかなかった。 総治郎には、蹴飛ばされて喜ぶ趣味はないのだから。 ここ最近、直生の言動にはつくづく驚かされてばかりだ。 初対面のとき、どちらかというと直生には真面目で大人しい印象を抱いていた。 しかし、いまはどうか。 大胆不敵というのか、好き者というのか。 実は、見合いの席ではしっかりした風に振る舞っていただけで、元は茶目っ気のある性質なのかもしれない。 「まあ、とりあえず…今日は休んでなさい。今日はいろいろとヤッたから、疲れただろう」 「え?総治郎さん、お食事はどうするんですか?」 「外で食べるよ。そうだ。きみは何が食べたい?待って帰ってやるよ」 「わたし、一緒にごはん行きたいです!」 直生がもう一度、腕を絡めてくる。 「え?いや、疲れただろ?休んでなさい」 「大丈夫です!だから、一緒にごはん行きましょ!」 直生が腕の力を強める。 まるで、スーパーやデパートでおもちゃを買って欲しいとタダをこねる2歳児みたいだ。 直生がこんなに頑なになるのは初めてのことで、総治郎はどうしたものかと思った。 「……わかった。じゃあ、一緒に行こう。それで、何が食べたい?」 適切な対処がほかにわからないので、総治郎はすっかり諦めてしまって、直生のわがままに付き合うことにした。 「いいんですか?」 直生は腕を掴んだまま、上目遣いに総治郎を見た。 「……きみが言い出したんじゃないか」 先ほど、あれだけタダをこねておいて、いざ了承すればコレなのだから、やはり総治郎は、いまだに直生のことが理解できなかった。 「ダメだと言われるかもしれないと思ってたので…あ、それじゃあ、総治郎さんの行きつけのお店とか、お気に入りのお店ってありませんか?教えてくれます?」 「それは別にいいが…」 「じゃあ、早く行きましょう?お店が閉まっちゃう前に!!」 直生は腕を離すと、飛び跳ねるようにして、ベッドから下りて立ち上がった。 「まだ時間あるから。落ち着け」 これから遊園地に行く子どもみたいにはしゃぐ直生を、総治郎は父親みたいな口調で宥めた。 「はあい。それで、お店はどこにあるんです?」 「離れたところにあるから、車で行くことになる」 「わかりましたあ!」 総治郎も同じように立ち上がると、2人して玄関に向かった。 ここで気づいたのだけど、現在所有しているセダンに誰かを乗せるなんて、初めてだった。 ──今日は人一倍気をつけて運転しないとな そう肝に銘じながら、直生と2人で外に出て行った。 総治郎の行きつけの定食屋までは、自宅から車で20分程度。 最寄り駅周辺とはかなり離れた場所に位置しており、店の周辺はオフィスビルがいくつも建ち並ぶような立地条件にあった。 つまりその店は、近辺のオフィスビルで働くビジネスマンたちのためにあるような店なのだ。 かくいう総治郎も、若いころはよくこの店の世話になった。 ここには、今でも気が向くと行くのだけど、まさかこんな形で、この店に向かうとは思っていなかった。 今までは大成と2人で行くか、それでなければひとりで食べに来ていたのだ。 「着いたぞ」 店の近くにあるコインパーキングにセダンを停めると、総治郎はシートベルトを外した。 続けて直生もシートベルトを外すと、2人同時にセダンを降りた。 「あそこだ。あの白い建物」 総治郎は、約10メートルくらい先にある小さな店を指差した。 漆喰造りの質素な佇まい、と言えば聞こえはいいのだけど、どこからどう見ても見事なボロ屋だ。 平面の屋根に、銀フレームの薄いガラス戸、そのガラス戸には、古びた赤い暖簾が垂れ下がっている。 白い漆喰の壁はほんのり黒ずんでいるし、長いこと陽に当たり続けたガラス戸は、経年劣化して黄ばんでいる。 銀フレームはところどころにキズが走り、一部が錆びている。 どこにでもあるような庶民的でかつ、古い定食屋だ。 人によっては、風情があって良いと言うのだろう。 総治郎がそうだ。 しかし、直生はどう思うのだろうか。 温室育ちでかつ、老舗料亭の息子として生きてきた彼に、この店は合わないのではないか。 直生の若い感性で見ると、「汚くて古くて入りがたい店」という認識になるのではないか。 「きみ、こういうところには入ったことはあるのか?」 おそるおそる確認してみる。 「え?ないですけれど…」 「そうか。どうだ?気に入らなかったら、別の店にしても…」 「え?どうして?せっかく来たんですから、ほら、早く入りましょうよ!」 直生が手を握ってきた。 この店に入るのは、別に嫌ではないらしい。 「ああ、わかった」 直生の手を引いて、総治郎はガラス戸を開けた。 何十年も開閉を繰り返して陽に当たり続けたガラス戸は、キシキシと軋みながら客を店内に招き入れた。 「いらっしゃいま」 定食屋の主人の、独特な挨拶が飛んでくる。 ここの主人はいつも「いらっしゃいませ」ではなく「いらっしゃいまし」と言うのだ。 「いらっしゃいませ。こちらにどうぞ」 従業員の中年女性が、そばのテーブル席に案内してくれた。 店内には中年の主人と、もうひとりの若い男性従業員と、サラリーマンらしき3~4人ほどの男性客がいる。 「何が食べたい?」 総治郎は、先ほどの女性従業員が置いてくれたお冷やを口にした。 「何があるんでしょう?」 直生がテーブル端に置いてあったメニューを開いた。 「まあ、いろいろだな。魚もあるし、肉や揚げ物もあるぞ」 総治郎は食べたいものがだいたい決まっているので、楽しそうにメニューをめくる直生を、ただただ眺めていた。 普段はあまり意識していなかったが、こうして見ると、直生は間違いなく顔が整っている。 美人の母親の血が濃いのだろう。 ──キレイな顔してるな

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