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楽しく食事

改めて思うのだけど、こんなに若くてキレイな顔をした直生が、なぜこんな金があるだけの中年に嫁いだのだろう。 さらには、こんな中年との子どもまで生みたいと言い出す。 ここまできても、やはり直生の考えていることは理解できなかった。 ──まあ、もういいか… 番になった以上、いまさらそんなことを考えてもどうしようもない。 それに、何も言われないよりは、わがままのひとつでも言ってくれた方が、こちらとしてはありがたい。 「決まりました。とんかつ定食にします!」 「おお、そうか。すみません。注文をお願いします」 「はい、ご注文をどうぞ」 若い男性従業員が、注文表を片手に駆け寄ってくる。 「サバの味噌煮定食をお願いします」 総治郎はお冷やが入ったグラスをテーブルに置いた。 「息子さんのほうは?」 男性従業員が、直生に注文を聞いた。 「私、息子じゃなくて、この人の妻ですう」 直生が、にこやかに従業員の言葉を訂正した。 ラブホテルから出てきたときの職務質問じゃあるまいし、こんなところでまで、自分たちの関係性を明かすことはないだろう。 「え…」 男性従業員は心底驚いた顔をした。 それはほかの人たちも同じことで、先ほどの女性従業員と店主はもちろんのこと、店内にいる数人の客が一斉にこちらを見た。 地元のサラリーマンと思わしき客は、直生の言葉に驚いて、食事する手を止めてこちらを凝視している。 「直生!」 総治郎は目立たないように小声で、直生をたしなめた。 「し、失礼しました。奥さま、ご注文をどうぞ」 困惑していた男性従業員は、冷静さを取り戻すと、自分の仕事にかかった。 というより、冷静さを取り戻すために仕事に集中しようとしたのかもしれない。 どちらにせよ、総治郎はいたたまれなくなった。 直生は妙に嬉しそうにしているし、別に何ら悪いことをしているわけではないので、怒るに怒れない。 「とんかつ定食をお願いします」 直生は注文を述べると、メニューをパタンと閉じた。 「はい、ほかにご注文ございませんか?」 男性従業員は、総治郎と直生の顔を交互に見た。 「ありません」 総治郎は震える手でお冷やを掴んだ。 手のひらが湿る。 それが自分の汗なのか、グラスについた水滴なのかもわからない。 「それでお願いしまあす」 「あ…かしこまりました」 直生が上機嫌で答えると、男性従業員はパタパタと急ぎ足で店の奥に引っ込んでいった。 「直生、あんなところで「息子じゃなくて妻です」なんて言うことないだろう」 総治郎はなるだけ声を小さくして直生を注意した。 「どうして?」 直生がキョトンした様子で首を傾げた。 ──かわいいな… ──…ってそんな問題じゃない!なんだ「かわいい」って!! 総治郎はまたしても自分の心情が理解できなくて、戸惑った。 「どうしてって…それはだな……」 それよりも、直生の疑問に対して、どう説明したらいいものか。 総治郎は口ごもってしまった。 商談なら、すらすらと言葉を紡ぐことができるのに、直生が相手だと、なぜかしどろもどろになってしまう。 これはいったい、どういうことなのだろう。 「あの、ひょっとして、迷惑でした?私とごはん行くの…」 直生の表情が、一気にくもりはじめる。 「いや、あー…そうじゃない。まあ、なんだ」 なんと返したらいいかわからなくて、総治郎はあわてた。 その間にも、直生は落ち込んだような顔をしてこちらを見つめている。 さて、どうしたものか。 「…ああいうのは、なんだか照れるんだ。公然とノロケ話されているみたいで」 別にやましい話をしているわけでもないのに、総治郎は思わず小声になった。 「え、やだあ!ノロケだなんて、そんなつもりじゃあなかったんですよ?あ、いや、ノロケですかねえ?」 直生がポッと顔を赤らめて、両手で頬を覆った。 そんなやりとりの間にも、そばの席に座っているサラリーマンが、箸を止めてこちらの様子を伺っている。 しかし、何気なく横を向いた総治郎と視線がばっちり合うと、サラリーマンは気まずくなったのか、ごまかすようにして箸を忙しなく動かしはじめた。 「うん、もう、いいんだよ。気にしなくていい。それより、本当にここでよかったのか?きみは洋食とかの方が好きじゃなかったか?」 そんなサラリーマンに対して、なんだか申し訳ない気持ちになった総治郎は、なんとか話題を変えようとした。 「いいって言ってるじゃないですかあ。ヘンな総治郎さん!」 直生がクスクス笑う。 さっきシュンとしていたのがウソみたいに、すっかり上機嫌だ。 その様子を見て、総治郎はホッとした。 ──アレぐらいは、もう流してしまったほうがいいな よくよく考えてみたら、直生のあの言動はどうかと思うが、男性従業員の接客態度だって、まずかったかもしれない。 先ほど寄ったブティックの店員みたいに「お連れ様」とは言わずに「息子さん」などと言うのだから。 もっとも、彼を責めることはできない。 50歳の総治郎と20代の直生、いや、見ようによっては10代後半くらいにも見える直生が一緒にいたら、たいていの人は親子と誤認するのが普通であろう。 それこそ、あの若い男性従業員は、つい最近働きはじめた新顔らしく、注文を取る様子もぎこちなかった。 あまり接客には慣れていないようだし、このあたりは大目に見てやるべき、と総治郎は考えた。 それに、直生にもよその人にも、好きに言わせておけばいいのだ。 親子と誤認されても、歳の差夫婦だと確信されても、何も変わらない。 そう自分に言い聞かせているうち、直生が注文したとんかつ定食が運ばれてきた。 「お待たせいたしました。とんかつ定食のお客様」 テーブルまで料理を運んでくれたのは、注文を取った若い男性従業員ではなく、先ほど席に案内してくれた中年女性の従業員だった。 「私です」 直生が自分の胸の高さまで手を上げた。 「はい、こちら失礼しますね」 女性従業員は淡々とした態度で、料理が乗ったトレーを直生の目の前に置いた。 「残りのご注文、もう少しお待ちくださいね」 女性従業員は、変わらず淡々とした様子で去っていった。 彼女の態度は、人によっては無愛想で不愉快と感じるかもしれない。 しかし、なるだけ干渉されずにゆっくり食事を楽しみたい総治郎には、あの態度でいてくれる方が、むしろありがたかった。 それこそ、彼女なら総治郎と直生が夫婦だと知っても、あまり動じなかっただろう。 そうは言っても、結局あの男性従業員が悪いわけではない。 慣れていないうちは、あの程度のしくじりは許容範囲であろう。 アレくらいはかわいいと感じるほどのミスに出くわしたことなど、何度もある。 楽しい食事どきなのだ。 これくらいのことでカリカリするのはよそう。 よくよく考えたら、いままでにもいろいろあったのに、なぜ直生のことに限ってだけこうも自分はあわてふためくのだろう。 自分たちはもうすでに結婚していて、番にもなって、子どもまで設けようとしている間柄だというのに。   そう自分に言い聞かせているうち、総治郎が注文したサバの味噌煮定食が運ばれてきた。 「ご注文、以上でよろしいでしょうか?」 女性従業員が確認しながら、注文票をテーブルに置いた。 「ええ、ありがとうございます」 直生が、とんかつを一切れつまみながら礼を言った。 女性従業員は返事の代わりに軽く会釈すると、無駄のない軽い足取りで去って行った。 「美味しいです、コレ」 行儀良く箸を動かしながら、直生がこちらに笑いかける。 「それはよかった」 総治郎は味噌汁が入った碗を手に取ると、一口すすった。 麹のいい匂いが食欲をそそる。 ここで総治郎は、朝っぱらからバタついていたせいで、食事をちきんと摂っていなかったのを思い出した。 「ここには、よく行かれるんですか?」 「そうだな。若い頃…俺がいまのきみくらいの頃は、普通のサラリーマンだったんだけど、そのときには、ここにはほぼ毎日来ていたな。美味いし安いし。当時勤めていた会社がここから近かったんだ」 総治郎は店内に漂っている麹の匂いを嗅ぎ取りながら、遠い昔を思い出していた。 たしか、最初に来たのは、当時世話になっていた先輩社員に連れてこられたときだった。 ここは安くて上手いぞと教えてもらって以降、すっかり気に入って常連になったのだ。 起業してからは足が遠のいたが、それでも、ときどき食べたくなる。 いろいろと大変ではあったが、楽しさもあったあの頃の残滓(ざんし)が、ここにあると実感できるからかもしれない。 「総治郎さんの若い頃、すごくハンサムだったから、目立ったんじゃないんですか?」 直生が白米をつまみながら、クスッと笑った。 「そんなまさか!若い頃はだいたい昼に行ってたんだけどな、いまはけっこう空いてるけど、昼どきはバタバタするから、誰かをボーッと見てる余裕なんかなかったと思うぞ。みんな食べるのに大忙しだ」 「そうでしょうか?」 直生はまたクスクス笑った。 「ホントだとも!」 談笑しているうちに、箸は進んでいく。 不思議なことに、しばらく経つと周囲の視線もあまり気にならなくなっていた。 食事中、快活に饒舌に楽しそうに話す総治郎が見られて、直生は嬉しかった。 総治郎は優しいけれど、いつでもどこか気づかわしげなところがある。 妻としてはそれが気になるし、少しは自分も楽しむことを覚えて欲しかったのだ。 直生は談笑している最中、総治郎の顔に、ときどき若者の影がよぎるのを感じた。 彼が普通のサラリーマンのときに戻って、楽しんでいるのが見て取れて、直生はますます箸が進んだ。 2人はあっという間に完食して、店を出た。

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