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おやすみなさい
その後、卒業までに何度も参観日はあったが、彼女の両親がやってくることはなかった。
運動会や卒業式には来ていたけれど、娘に気を遣ってか、目立たないところに立っていた記憶がある。
ほかの保護者の群れから一歩引いて、遠巻きに娘を見やる彼女の両親は、どこか辛そうな顔をしていた。
──申し訳ないことをしてしまったな…
総治郎は、やりきれない罪悪感に襲われたのと一緒に、自分が将来そうなるかもしれないというかすかな不安にも駆られた。
「きっと、俺が参観日に来たら、きっと「成上さんのところのお父さん」じゃなくて、「成上さんのところのおじいちゃん」なんて言われるだろうな」
総治郎は自嘲した。
自分もいつか、あのクラスメイトの父親みたくなるのだろう。
そのときに自分は、子どもとどう向き合うべきか。
このあたりも、これからの課題になる。
「いまどきは40歳50歳過ぎてからの子どもとか当たり前なんじゃないですか?晩婚化が進んでるって聞くし」
直生が体勢をかえた。
今度は総治郎の胸に背をつけるようにして、体を寄せてきた。
自然と、直生の後頭部やうなじが見えるようになる。
熱気を帯びてピンクに染まったうなじには、総治郎がつけた咬み傷があった。
「うーん、どうだろう?」
総治郎がほんの少しだけ首を真下に傾けると、直生の濡れた髪が、総治郎のあごにかすかに触れた。
「別に、おじいちゃんみたく見られてもいいじゃないですか。将来的にはみんな「おじいちゃん」「おばあちゃん」って呼ばれるんだし」
直生が総治郎の腕に触れた。
なるほど、直生の言うことは一理ある。
そういえば、クラスメイトの女の子とは中学校も同じだったのだけど、そのときには父親とも普通に歩いていた。
彼女も成長して、気にならなくなったのだろうか。
それを踏まえると、だいたいの悩みごとはこうして時間が解決してくれるのかもしれない。
少なくともいまは、そう思うことにしよう。
「それもそうだな」
「そうですよ」
「そろそろあがろう。湯あたりするぞ」
「はあい」
2人が同時に立ち上がると、ざばんという激しい水音が、バスルームいっぱいに響いた。
少し前までは、こんな大きな音を耳に入れることもなかった。
このまま、ひとり静かに生きていくものと思っていたのに、いまとなってはかなりにぎやかだ。
──これからはもっとにぎやかになるんだろうな
「総治郎さん、背中をお拭きします。」
脱衣所に行くと、直生がバスタオルを出してくれた。
「ああ、わかった」
総治郎はクスッと笑いつつ、背中を向けた。
「それぐらい自分でできるよ」と断ろうかと思ったが、そんなことはたぶん直生もわかっているのだろう。
要は直生は、総治郎とスキンシップを取りたくてこんなことを言ってきたのだ。
丁寧に洗われたバスタオルの感触が、背中に伝わる。
直生はこういうことを誰かにやってもらっていたことがあるのだろうか、ものすごく手慣れている感じがある。
「終わりましたよ」
「ありがとう。ほら、次はきみの番だ」
総治郎はそばのラックから新しいバスタオルを取り出して、直生の体を拭いてやった。
「やだあ!くすぐったい!!」
直生がせわしなく体をよじる。
そのせいで、直生の体についた水分が何滴か床や壁に飛び散った。
完全にわざとだ。
わざと総治郎を困らせて、楽しんでいるのだ。
「こら直生。もう!ジッとしないか!」
イタズラがはなはだしく、手に負えない子どもみたいなことをする直生を、総治郎は父親みたいになだめた。
いや、おいおい父親になることを考えると、いつかは自分の子どもともこんなやりとりをするかもしれない。
「いやでーす!」
直生はクスクス笑いながら、さっきより激しく身を捩った。
「まるで体ばっかり大きな子どもだな!そーら、つかまえた!!」
その悪ふざけに乗っかるように、総治郎は直生の華奢な体を抱きしめた。
こんなふうにじゃれ合いつつ、2人は遅い入浴を終えた。
2人がバスルームから出てベッドに入るときには、もう日付けが変わる寸前だった。
結婚当初は寝るときは別々だったのが、いまはもっぱら総治郎の部屋で寝るのが慣習になっていた。
というのも、総治郎の部屋のベッドサイズはセミダブルで比較的大きいので、2人いっしょでも寝られるのだ。
「明日も発情期が大変だと思うから、ゆっくり寝るんだぞ。起きたときに発情期が苦しくて、俺がまだ寝てたときはムリヤリ起こしてくれても構わないから」
隣で寝ている直生の体に、総治郎はブランケットをかけてやりながら、労いの言葉をかけた。
直生は以前、寝ている自分に遠慮して、襲いくる発情期にずっと耐えていた。
「大丈夫ですよ。発情期、もう過ぎちゃいましたから」
「え?ああ、そうだったのか」
言われてみれば、発情期が来てから1週間くらい経っていた。
直生に付き合っているうちに、それほどまでに時間が過ぎているなんて、総治郎は気がつかなかった。
「はい!だから、あとは赤ちゃんを待つだけです」
「それはちょっと気が早いだろう」
総治郎は笑ってしまった。
いや、言っていることは間違いないのだけど、まだそういう兆しもないのに、もうすっかり母親になるつもりの直生がなんだか可愛く思えるのだ。
「それはそうなんですけどね。でも、できれば早く来てほしいんですよ」
「まあ、妊娠にはリミットがあるし、俺も歳とはいえ、そんなにあわてて子どもを生むことはないだろう。こればっかりは授かりものだから、気長に待つことにしよう。子どもが生まれるまでは、自分をいたわることだけを考えなさい」
蒸栗色の髪を撫でてやると、直生は嬉しそうに頬を緩めた。
「そう言ってくれるのは嬉しいですけど、総治郎さんも自分をいたわってくださいね。いずれはパパになるんですから」
髪を撫でる総治郎の手に、自分の手を重ねた。
「それもそうだな。医者から血圧だの皮下脂肪だの、アレコレ指摘されてるし」
「あらやだ、そうだったんですね」
心なしか、直生が心配そうな顔をした。
「この歳で健康診断なんかいったら、どっかしら引っかかるのが普通なんだよ」
「じゃあ、健康のために早く寝ましょう」
直生が体をこちらに寄せてきた。
「そうだな」
総治郎の返事を合図に、2人は目を閉じた。
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