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第11話 理由の分からない怒り

「俺ね、記者ってそういうまあ、危険な目にあったりするのって、そんなに珍しいことじゃないと思うんだよね」  それについては将吾も同感だ。将吾自身もそこまで直接的な暴力沙汰には巻き込まれたことこそないが、危なかったことなら何度もある。 「それでさ、そういうのでいちいちトラウマになってたら、やってけないと思うんだよね。東堂だって、わざわざ言わないだけで、同じような目にはこれまでだって遭ってきたと思うし」  やけに回りくどい言い方をするな、と将吾は思ったが、佐倉が言いたいことがなんとなく分かりそうな気もする。 「お前は、その暴力沙汰になった相手の男が、ただの知人程度の関係じゃなかった、って言いたいのか?」  将吾がはっきり言葉にすると、佐倉は頷いた。 「あんま下世話な話はしたくない、って言いながら、超絶下世話な話をして申し訳ないんだけどさ」  将吾の推測と、佐倉の意見は概ね一致していた。  ただの知人ならば、暴力沙汰になったところでそれほど精神的なダメージを引きずるとは考えにくい。まして東堂の性格でまずそれはあり得ない。とすれば、トラウマになるほどの親密な関係だった、ということになる。  佐倉は、東堂と相手の男が恋愛関係にあったとまでは思っていなかったようだが、少なくとも親友かそのくらい近しい間柄の人物だったと踏んでいるようだった。  ——三ツ藤だろうな。まず間違いなく。  限りなく確信に近い予感だった。  この間の三ツ藤と東堂との会話を頭の中で再生する。佐倉の語った話と照らし合わせると、いろいろと合点がいった。  手元のジョッキの残りを流し込む。胃がカッと熱くなるのは、ビールのせいか、それとも一度は落ち着いていた三ツ藤に対する怒りが再燃したからなのか分からない。  東堂と三ツ藤の間にあったであろう出来事を知れば知るほど、将吾にはその身勝手さが信じられなかった。  ——大切な相手だったら、幸せそうに笑う顔を見たいと思うものじゃないのか? 力づくで縛り付けて、行く手を遮って、大事にしているものを踏みにじって、それであいつが幸せだとでも? 「クソ……ッ」  思わず悪態が漏れた。びっくりしたように佐倉が顔を上げる。 「どした?」  気の抜けるような佐倉の声に、将吾は曖昧に笑って誤魔化した。  その後は他の同期の近況や最近のニュースに話題が移ってゆき、終電がなくなる前に将吾と佐倉は店を出た。  同じようにギリギリまで飲んでいた乗客で混雑した車両に揺られながら、将吾は真っ暗な車窓を見るともなしに眺める。頭に浮かぶのは三ツ藤の下卑た余裕の笑みと、東堂の見せた様々な表情、膝の上で白くなるほど握り締められた手。その光景が頭にこびりついて、離れない。  ——俺は、どうすればいいんだ。  何も、できなかった。  三ツ藤と東堂の間には、将吾に割って入ることの許されない確固たる何かがあった。東堂の力になりたくても、今の将吾では、頼ってもらうことすらできないだろう。それがひどく苛立たしく、歯痒い。  将吾は、三ツ藤がどうしても許せなかった。これまでも取材の中で怒りを覚える場面は多々あったが、そのどれとも違う種類の怒りである気がする。  自分に何ができるのか。どうしたら、東堂の力になれるのか。その問いの答えは、将吾が帰宅して床についても出ることはなかった。   ◇  東堂から連絡があったのは、意外にも週明けすぐだった。  あの様子では少し時間がかかるかもしれないと、しばらく単独で動く心算をしていた将吾はやや肩透かしを食らう。しかも、連絡と言っても「これから本社へ寄る。十三時に出るからそのつもりで」と素っ気ないメッセージが送り付けられてきただけである。本社で溜まっていた書類仕事をするつもりだった将吾が、その十三時を目前にして慌てて片付けにかかったところで、後ろから聞き慣れた冷たい声が降ってきた。 「おい、何をもたもたしてる。十三時に出ると言ってあったはずだろう。十三時に出るというのは十三時にPCを閉じるんじゃないことくらい……」  流れるような嫌味が頭の上を通過していく。あまりにも通常運転だ。いや、むしろ通常よりもパワーアップしているかもしれない。先週の出来事は自分の記憶の捏造だったのかと思えるほどに清々しい毒舌を浴びて、将吾は目を白黒させた。  一通り言い終わるなり将吾を待たずさっさと歩き出す東堂を追って、将吾も慌てて社屋を飛び出した。 「今日はこの後、地元の商工会の関係者に話が聞けることになっている。それから……」  歩きながら淡々と予定を説明する東堂の横顔に、先週末の一件の名残は全く感じられない。将吾はかえってどう接すればいいのか、わからなくなっていた。  ——まあ、本人が触れたくないなら、あえてこっちからつっこむこともないか……。  そう思って将吾が気持ちを切り替えようとした、その時だった。 「先週の、件だが——」  ごく僅かに、東堂の声が硬くなった。  全身が耳になりそうだったが、将吾はそれを態度に出さないよう、つとめて何でもないふうを装う。あえてそっけなく相槌を打って、先を促した。  東堂が右手で眼鏡の縁に触れる。考えをまとめようとしているときにする仕草だと、この頃の将吾にはわかってきている。そんな何気ない仕草に気持ちが読み取れるようになったことが、少し将吾は嬉しかった。東堂が少し息を吸い込んで、先を続ける。  「あいつがこの件に関して絡んでくることはもうない。だから……いや、とにかく巻き込んで、悪かった」  ——ん、何? どういうことだ⁇  さらっと言われたが、いろいろと端折られすぎていてさっぱり分からない。 「いやいや、ちょっと待てよ。どういうことか全くわかんねえ。お前のことだから俺の理解とかどうでもいいと思ってんのかも知れねえけど、さすがにこの前の今日で、もう安心しろってだけ言われてハイソウデスカとはならないだろ」  東堂が一つ、ため息をついた。食い下がられるのは想定の範囲内だったらしい。ちょっとの間言葉を探すように考えたあと、面倒臭そうに続けた。 「……あいつの上の人間に話が通せるやつに頼んで、そっちから手を回させた。さすがにあいつも、上に逆らってまで何かすることはないからな」  素っ気ない口調でそれだけ言うと、東堂は今度こそきっぱりと前を向いて歩みを早める。さすがに、今これ以上聴き出すのは無理そうだ。将吾は諦めて東堂に歩く速度を合わせた。  ——あ、でも、それなら……。  記事はどうするんだろう、と将吾は思った。三ツ藤が手出しできなくなったのなら、あの脅しも無効なのではないのか。そこまで考えた時、横から東堂の声がした。 「記事は、書かない」  たった今考えていたことを見透かすような東堂の言葉に、将吾は飛び上がりそうになった。将吾の反応に、東堂は少しだけ苦笑いを浮かべる。 「こっちに何かしてくることはなくても、荻野さんを犠牲にはできない。……綺麗事だと、言われても、俺には、」  そこまで言って、東堂が言葉に詰まる。考える前に、将吾は口を開いていた。 「俺、聞いてたんだ」

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