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【1】おかしな出逢い④
勇士郎の現在の住まいは、東京寄りの千葉にあるマンションの一室だ。
栗原の自転車を自転車置き場にとめさせてから、あまり広くはないエレベーターに、布団を担いだ大男と一緒に乗り込む。疲労と栄養不足のせいか、栗原はまだぼうっとしていて眠そうだ。
勇士郎の手には、風呂敷に包まれた彼の家財道具一式と思われるものが抱えられている。
(今時、唐草模様て。泥棒か)
内心でつっこみを入れながら、五階にある角部屋へと栗原を誘った。
部屋の間取りは2LDKと謳われているが、実際は1LDKみたいなものだ。
確かに部屋は二部屋あるが、勇士郎の自室からリビングを挟んで向かい側にあるもう一つの部屋は三畳程度しかなく、ほとんど物置みたいなものだ。
勇士郎は元々物を増やすのが好きではないので、その部屋にはほとんど物が置かれていない。とりあえずそこに栗原の布団と荷物を置かせた。
「狭いけど寝られんことないやろ。辛抱してや」
「いえ、充分です」
栗原は恐縮してみせたが、閉所恐怖症ぎみの自分だったらちょっと耐えられないかもな、などと考える。それでも公園の東屋よりはずっと安心して過ごせるのは言うまでもない。
風呂やトイレの場所を教えながら自由に使っていいからと告げた。
「ただし、オレの部屋には絶対入ったらあかんで」
「もちろんです」
「うん」
それからダイニングへと連れて行き、料理も勝手にしていいが、火には気をつけろと言うと、一瞬、栗原の顔がひどく強張った。
怪訝に思ったが、次の瞬間には分かりました、とはっきり答えたので、さほど気にすることもなくリビングへと移った。
ここにはソファと低いテーブルとテレビがあって、仕事の作業をすることもある。
「栗原、温人くんやったよな?」
「あ、はい、えっと」
「高島やないで」
先に突っ込むと、栗原はハハと笑った。
「高岡勇士郎、さんですよね」
「せや」
「このたびは、本当にありがとうございます。少しの間、お世話になります。よろしくお願い致します」
「うん、とりあえず、はよ体調戻さんとな」
「はい」
「栗原くんて呼んだらええ?」
「はい、栗原でも温人でも」
「ほな温人くんにしよか、年上っぽく」
「呼び捨てでいいです」
「そおか。じゃあ、温人や」
「勇士郎さん」
「ん?」
「て呼んでいいでしょうか、年下なので」
「え」
ジョークの返しなのか、真面目なのか、いまいち判断のつきにくい男だ。
「あ、うん…まあええけど、なんか勇士郎さんて時代劇みたいやん?」
「そうですか?」
「あんま好きやないねん、この名前」
「かっこいいと、思いますけど」
「武士みたいやろ。ウチの親父が強うなれてつけたらしいわ。完全名前負けや」
「そんなこと、ないと思います。凜としてて、いいと思います」
たどたどしくも、誠実に話す様子が好ましくて、つい頬が緩む。
「おおきにな。まあでも、なんかちょっと硬いし長いから、ユウさんとか、そんなカンジで」
「ユウさん……、はい」
温人はなんとなく嬉しそうな目をして頷いた。
「眠いんは、もしかしたら栄養不足のせいかもしれんで。何か適当に作っといたるから、とりあえず、服も汚れとるし、風呂入ってきたら」
「はい、ありがとうございます」
着替えはあるというので大小のタオルを渡して、温人を風呂に押し込んだ。その間に、極薄い味付けのお粥と湯豆腐を用意する。
これくらいならゆっくり食べれば胃が驚くことはないだろう。まだ会って二度目の男のために甲斐甲斐しく世話を焼く自分がなんだか恥ずかしかったが、あの大きな身体の割に物静かで穏やかな青年の顔を見ていると、らしくもなく面倒を見てやろうという気になってしまうのだ。
しばらくして風呂から出て来た温人は、汚れを落とし、無精ひげも剃ったせいか、随分こざっぱりしていた。
「ありがとうございました」
「あ、あ…、うん」
「タオル、どうしたらいいですか」
「あ、こっち、ベランダに干せるとこあるから」
受け取って忙しなくベランダへ向かったのは、風呂上りの栗原温人が思った以上にいい男だったからだ。
奇抜な髪が濡れて目立たなくなったことで、元々整っている造作が、より際立って見えたのかもしれない。しっとりと潤った肌は、彼が若い男であることを生々しく表していた。
勇士郎はゲイだ。慎重な性格なので、そのことを知っている者はほとんどいないが、こんなに近くにいたら、自分の仕草や態度でセクシュアリティを見抜かれてしまうのではないかと、今頃になって焦りが生じた。
あまりにも温人の状況が良くなかったので、こうして連れてきてしまったが、もしかしたら自分は、とんでもなく愚かな選択をしてしまったのかもしれないと思う。
「ユウさん?」
ベランダで固まっている勇士郎を怪訝に思ったのか、温人が呼びかける。
勇士郎はハッとして、タオルを干すと、努めてなんでもない顔をして室内に戻った。
(大丈夫や、ほんの少しの間のことや。普通にしとったらええ。結構ぼーっとしとるヤツやし、バレることはないやろ)
気を取り直して、温人にダイニングテーブルの上に用意しておいた軽食を食べるように促す。
「ゆっくり食べや。胃がびっくりするで」
「はい、何から何まで、すみません」
温人は丁寧に手を合わせ、いただきます、と言って姿勢よく食べ始めた。その様子は、事故のあとに送ってきた手紙の文字や、丁寧に押された印のことを思い出させる。
家族は祖父母だけと言っていたが、きっときちんとした躾を受けて育ったのだろう。
「合意書、おおきにな。丁寧な手紙まで頂いて」
リビングのソファの背もたれ越しに言うと、温人は匙を置いて、わざわざ身体を勇士郎の方に向けながら両手を膝の上に置いた。
「いえ、とんでもないです」
「ちょっと仕事のことで、神経質になっとってん」
「仕事?」
温人の目が、リビングのローテーブルの上に乱雑に置かれた参考資料などを捕えた。
「物書きや。脚本家いうヤツ」
「へえ、凄いですね」
「地味な仕事や。ひどいときは一日中パソコンに向 こてることもあるし。不健康極まりないで」
「そうなんですか」
「自分は? なんでアパート出ることになったんか訊いてもええか?」
「あ、はい。以前は物流会社の倉庫で働いていたんですが、……ちょっとあって、体調崩してから勤務出来なくなってしまって」
そう言って俯く姿がなんだか痛々しくて、それ以上は尋ねるのがはばかられた。
「そっか、まあ、とにかくは体調戻すんが先決やな。オレは今、結構修羅場やから、あんまし相手も出来ひんけど、基本静かにしとってくれたら、あとは好きに過ごしたらええから」
「お仕事大変なところ、すみません」
「ええよ、オレが連れてきたんやから。ときどきテンションおかしなって叫ぶかもしれんけど気にせんといてな」
「あはは、はい」
「それと、食費は当面ツケとくから。あんたが仕事見つけたら返して。光熱費もちゃんと折半やで。朝はオレの時間がバラバラやから各自好き勝手に食べるとして、夕食の食事当番、週に5対2くらいで引き受けてくれたら特別に利子無しにしたる。もちろん温人が5やで」
「……はい」
温人が少し言葉を詰まらせたように頷く。
「以上や。冷めてまうで、はよ食べ」
「はい」
温人が食事を再開したのを見てから、勇士郎は自分も汗を流すといって風呂場へ向かった。
「あの、ユウさん」
「ん?」
呼ばれて振り返る。
「本当に、ありがとうございます」
深く頭を下げる温人の姿に、うん、と頷くと、勇士郎はなんだか嬉しいような、恥ずかしいような気分で、風呂場の戸を開いた。
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