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【2】抱えたもの①

 勇士郎が脚本家としてデビューしたのは二十七歳の頃だ。一時は高校時代から続けていたバンドでプロを目指したこともあったが、大学二年の頃、そのバンドが解散した。  これから先の将来をどうしようかと悩んでいた頃、フラリと入った映画館で観た映画が勇士郎の人生を変えた。  それは白黒の古い日本映画だった。緻密でまったく隙のない話運びは、全てが計算し尽されていると判るのに堅苦しさは微塵もなく、徹頭徹尾エンタテインメントを追及しているのだと判った。  翌日調べたその映画の脚本家は、日本でも屈指の作家だと知り、勇士郎は出版されている彼の作品を可能な限り入手し、隅から隅まで読みつくした。  それから古今東西の映画を観まくり、独学で脚本を学び、習作を重ねては公募に投稿を繰り返していた。それは大学を卒業し、一般企業で働き始めてからも続いていた。  そしてその映画に出逢ってから五年後、某テレビ局主催のコンクールで最終選考に残った作品が、あるプロデューサーの目に留まり、企画書を書いてみるよう誘われたのが最初のきっかけだ。  もちろん即シナリオを書かせてもらえるわけではなく、ひたすら企画書を書いてはボツを喰らう日々が延々と続いた。だが作家への夢は不思議としぼむことはなかった。  ポツポツと企画が通り始め、脚本協力としてクレジットに名前が載るようになった頃、勇士郎は背水の陣を敷くため仕事を辞めて脚本一本に絞った。  しばらくはバイトと掛け持ちでプロットライターを続けていたが、ある日、例のプロデューサーから深夜ドラマの脚本家が急に降りることになったので代打を頼めないかと連絡があった。もちろん一も二もなく引き受けた。それが勇士郎のデビュー作となったのだ。  以来、非常にありがたいことに、様々な執筆の機会に恵まれ、勇士郎はそれらに誠実に取り組むことで、一定以上の評価を得て来た。  デビューから五年経った今では、少しは名の通った書き手になっていると自負している。   だがこの世界は険しい道の連続だ。大小のトラブルはつきものだし、いつ仕事がなくなるかも判らない。  大阪の父親は、勇士郎が仕事を辞めて、この不安定な世界に足を踏み入れたことを、ひどく嘆いていた。  一人っ子だったこともあり、幼い頃から厳格な父親の過干渉を受けてきた勇士郎は、なるべくその顔を見たくなくて、もう何年も帰郷していない。  だから今その父親が、勇士郎のひとまずの成功をどう思っているのかも判らないし、知るのが怖かった。  夕方からずっと打ち続けていたタイピングの手を止めて、勇士郎はぐうっと伸びをした。  深夜二時過ぎ。首と肩が張っている。ひと段落ついたので、今日はこの辺で終えてもいいだろう。  しばしばする目に目薬をさしてぱちぱちと瞬きをすると、勇士郎はパソコンの電源を切った。  勇士郎の自室は八畳ほどの洋間で、オレンジ色の間接照明が、安らぐ雰囲気を作っている。  今座っているデスク前の赤いチェアがこの部屋のアクセントだ。大学卒業と同時に買ったもので、もう十年愛用している。仕事に向かう際の、勝負服ならぬ勝負椅子でもある。  今年の春は連ドラの成功を収め、そして今回、二時間ドラマを想定した、オリジナル企画が初めて通った。  だが勇士郎に声をかけてくれた例のプロデューサー、河合かわいからはいつも、作品の甘さを指摘されてしまう。彼曰く、 『プロットはいいんだよね。セオリーを踏まえつつ、いい感じで外してくれるとことか毎回、オォッて思うし。でもシナリオになるとなー、んー、なんというかなー、表面的な印象が強くなるっていうか、傍観者の目になっちゃうんだよねー。いま一つ「生身」の人間を感じないというかさぁ…』といった感じだ。  河合の指摘は、まさに勇士郎の痛いところを突いていた。それは勇士郎自身の問題ともいえるかもしれなかった。  自分の感情ですら出来るだけ冷静に、客観的に見つめたいと思う心が、登場人物の心情や葛藤を、薄っぺらいものにさせてしまっているのかもしれない。  克服したいとは思っているが、なかなか一筋縄ではいかないところだ。  溜め息をついて、デスク前の壁に貼られた写真を見つめる。上京してすぐの、大学一年の頃に、ライブハウスでバンド仲間たちと撮った写真だ。  まだ十代の、どこか少女めいた容貌の勇士郎が、マイクを握ってピースサインをしている。その隣でギターを抱えた背の高い男が、勇士郎の肩を抱いて、親指を立てていた。 (こん時からもう、十年以上経ったんやな……)  そして勇士郎の恋は、それ以上に長い。  肩を抱かれた勇士郎は、このとき多分、密かに心臓を高鳴らせていただろう。  けれど絶対に知られてはならなかった。彼は自分を見つけ出してくれた、とても大切な友人だったから。  子供の頃から感情に蓋をすることに長けていた勇士郎は、初めての恋を自覚した時でさえ、自分の想いを遠くから見つめていたのだ。

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