7 / 32
【2】抱えたもの③
それでも温厚で、体格の割に威圧感のない温人との共同生活は、不思議なくらい、穏やかに過ぎていった。
「ユウさん、すみません」
夕食後、リビングで資料用の映像を見ていると、風呂場から温人に声をかけられて、振り返る。
「なにー?」
「タオル用意するの忘れちゃって」
「ああ」
すぐにバスタオルとハンドタオルを持って行ってやると、浴室の扉から温人が上半身を覗かせた。ドキン、として、思わず目を逸らす。
「すみません」
「え、ええよ」
伸ばされた長い腕にタオルを掛けてやると、そそくさとリビングへ戻った。初めて見た温人の身体は想像していたよりも逞しくて、食事により少しずつ体重も戻っているらしく、肌にも年相応の張りが戻りつつあるようだった。
俄かにこみ上げてきた緊張をほぐすために冷蔵庫に入っていたビールを取り出して、一気に半分近くまであおった。胃の底がカーッと熱くなってクラクラする。
「ユウさん、お先でした。タオルありがとうございます」
「あっ、うん、温人も飲む?」
「いいんですか」
「おう、飲みや。貰いもんやけど、オレほとんど飲まへんからどんどん飲んでええよ」
「ありがとうございます」
清潔なシャツと膝下までのパンツを身に着けた温人が、勇士郎からビール缶を受け取って、プシュリ、と開けた。男らしく豪快に飲むその姿に、ジワリと身体の芯が疼く。
いつ見ても、風呂上りの温人は男前だ。
「あーあー、まだ髪濡れとるやんか。ちゃんと拭かな」
首筋に落ちる滴を見咎めて、勇士郎は温人からタオルを奪い、飛び上がるようにして頭の上に乗せてやる。
子供みたいな仕草がおかしかったのか、温人はちいさく笑った。その顔がとても優しげで、勇士郎はいつになく、ふわふわした甘い気持ちになる。早くも酔い始めているのかもしれない。
「なあ、なんでこんな背ぇ高いん? なんかスポーツしとった?」
いつも見上げると首が痛くなるほどの温人は、多分190センチ近くあるんじゃないかと思う。
「バレーやってました」
「へえ! カッコええやん」
「高校までですけど」
「そうなん?」
「はい」
「ライトポジションやな」
勇士郎が言うと、温人はちょっと目を瞠った。
「よく判りますね」
「自分、左利きやろ。ライトは左利きの方が有利やて、何かで読んだで」
「さすがですね」
「物書きは調べもんが多いし、色んな知識が入ってくんねん。でもオレの場合はたいてい浅く広くや」
「でも、よく見てます、いつも」
そう言われて悪い気はしなかった。確かに職業柄、人の言動はよく見るし、常にアンテナは張っている。
当然と言えば当然なのだが、地味で孤独な作業の多い脚本家は、基本的に陰の存在だ。
だからこんな風に褒められると、物書きとしての姿勢を認めて貰えたみたいで嬉しくもなるのだ。
「温人は口下手の割に、褒め上手やな」
勇士郎がゆらゆらする身体を壁にもたれさせながら、ふわりと笑うと、温人は一瞬真顔になって口を閉ざし、それから困ったみたいに目を逸らした。
「ユウさんは、」
「ん?」
「……いえ、なんでもないです」
温人は少し掠れたような声で言って、何かを流し込むようにビールの残りを飲み干した。
その夜もまた、温人はうなされていた。
暑さのせいかとも思ったが、リビングはエアコンをつけているし、「栗原屯所」の戸はいつも開け放たれているので、うなされるほどの暑さとも思えない。
そのうち、温人が作る食事は、いつも火を使わない料理ばかりであることに気付いた。加熱が必要なものは電子レンジを使っているらしく、水を沸かす必要がある汁物などは、食卓に上らないことに、遅まきながら気が付いたのだ。
「なあ、なんで茹でたり焼いたりせえへんの? コンロも使ってええんやで。鍋もフライパンもあるやろ」
今夜も直火を使わずに調理していた温人に、勇士郎は不思議に思って問いかけた。
その時の温人の顔は、いつか夜中にキッチンに立ち尽くしていたときと同じ顔だった。
「つーか、すごいクマやで、自分」
「そうですか」
「夜、ほとんど眠れてないんとちゃう?」
とうとう気になっていたことを尋ねると、温人は顔を強張らせたのち、観念したようにふと疲れたような笑みを見せた。
「ほんとに、よく見てますね」
「うん、……夜中にな、時々うなされてる声が聞こえんねん」
温人はハッとしたように勇士郎を見て、それから少し気まずそうな顔で俯いた。
「夢を、見るんです」
「夢?」
「はい。とても、怖い夢です――」
ともだちにシェアしよう!