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【3】届いた招待状③

 その招待状が届いたのは、それから三日後のことだった。差出人の名を見た瞬間、勇士郎の心臓がギュウッと絞り上げられた。 『この度、私たちは結婚式を挙げることになりました。』  その言葉だけが、グルグルと何度も頭の中を駆け巡る。  新郎の名は「辻野(つじの)泰典(やすのり)」。かつてのバンド仲間であり、親友であり、出逢ってから今日までずっと、勇士郎が密かに想い続けてきた男だ。  彼の名前の横に書かれた、佐々木(ささき)紀子(のりこ)という新婦の名前を見た瞬間、深い悲しみが、みぞおちから喉奥までこみ上げてきて、勇士郎は咄嗟に招待状を封筒にしまってしまった。自室のデスクの一番下の引出しの奥にそれをしまう。  しばらくはぼんやりとして、何も考えることが出来なかった。  赤いチェアに座って、壁に貼ってある写真を見つめる。若き日の辻野と勇士郎が笑っている。  辻野と出逢ったのは高校二年の時だ。同じクラスで、最初はさほど親しくなかったのだが、ある日クラスの何人かとカラオケに行ったとき、帰りに辻野から声を掛けてきた。 『なあ、一緒にバンドせえへん?』 『え?』 『俺、おまえの声すごい好きや。ボーカルやったらええと思う。絶対ウケるで』  その言葉がきっかけだった。  辻野がギターで、他に別のクラスからベースとドラムを集め、『Alison』が結成された。  アリソン、は女性に多い名前だが、なんとなく響きが綺麗で、ボーカルを務める勇士郎の優しげな容姿にもよく似合うということで決められた。  主に国内外のロックバンドのコピーをしつつ、辻野が作曲、勇士郎が作詞でオリジナルも作った。  結成半年後から小さなライブハウスに出演し始め、次第にファンが付き始めると、もう少し大きな箱でやるようになった。  ライブはいつも盛況だった。特に勇士郎と辻野は、そのルックスのせいもあり、人気はうなぎ上りだった。  勇士郎は顔が小さく色白で、くっきりとした二重まぶたの大きな目がひときわ目を惹く、甘い顔立ちをしている。特に笑顔が可愛いと評判になり、勇士郎が笑うといつも大きな歓声があがった。  反対に辻野は背が高く、理知的でクールな男前なので、対照的な二人はいつも良い意味で比較され、人気を二分した。  勇士郎は早い段階から辻野に惹かれていた。おまえの声が好きだといった彼の涼やかな声が、その言葉が、その後もずっと忘れられず、自分を認めてくれた辻野のためにも、バンドを盛り上げたいといつも考えていた。  自分の恋愛対象が男だということは、中学の頃から気付いてはいたが、辻野ほど勇士郎の心を捉えた男はいなかったし、ふとした接触ですら、身体が甘く痺れるようなことは、それまで一度もなかった。  高校三年になると、進路の問題が出て来た。ベースとドラムは地元に残り、勇士郎と辻野は大学進学で上京することになったため、バンドは解散となった。  その後、辻野とは大学は別になったが、東京で新たなメンバーを見つけて、再び同じバンド名でライブ活動を再開した。   ライブは盛況で、『Alison』と言えばちょっと知られた存在となった。  ここでも勇士郎と辻野は大きな人気を得た。ファンサービスとして、よく二人でハグや頬へのキスなどをして、歓喜の悲鳴を浴びていたが、勇士郎は毎回胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。  この頃は本当に幸せだったと思う。恋人にはなれなくても、辻野の一番近い場所にいるような気がしていたからだ。  『Alison』は大学二年の時にライブハウスでスカウトされたのだが、ベースとドラムの二人が抜けることになって、デビューではなく解散となってしまった。  引き抜きの理由が、表向きは音楽性を買ってのことだと言いながらも、その実、勇士郎と辻野のルックスに目を付けたものだったと判ったからだ。  そのせいでメンバー内の空気はぎこちないものとなり、ベースとドラムが脱退。残された勇士郎と辻野も、年齢や将来のこと、次のメンバーを見つける情熱が残っていなかったことなどを理由に、バンドの継続を断念した。  バンドが無くなってしまったことは悲しくて寂しいことだったが、勇士郎はどこかホッとしてもいた。  その頃、辻野が彼女と同棲を始め、勇士郎は辻野の傍にいることが、辛くて堪らなくなっていたからだ。  バンド解散を機に、辻野とはめったに逢わなくなった。今では時々、共通の友人の結婚式などで会うくらいだ。  今回の招待状に書かれていた新婦の名前は、当時辻野が同棲していた彼女の名前ではなかった。十二年も経てば、何もおかしいことではない。ただ勇士郎はなんだか身体中の力が抜けるような虚しさを感じた。  辻野があの後、そうやって色々な人に出逢い、こうして人生のパートナーを見つけた今も、勇士郎は独りだ。恋人と呼べる存在がいたことは、一度もない。  そしてきっと、これからもそうなのだろうと、勇士郎は思う。  その夜、温人が走りに行くというので、勇士郎は一緒に走らせて欲しいとお願いした。  体力がかなり戻りつつある温人は、最近夜のジョギングを始めたのだ。これは元々の習慣だったらしい。 「いいですけど、……どうしたんですか、急に」 「いやなんか、家にこもってばっかやと、頭も鈍ってくんねん。ちょっとは運動したほうがええかな思て」 「そうですか」  温人は頷いたが、意外に鋭い男のことだから、勇士郎の表情に何かを感じ取っているかもしれない。  それでも温人は、それ以上は何も訊かずに、いつも走っているというコースを、一緒に走らせてくれた。例の公園の外周をぐるっと回るようなコースだ。  勇士郎は何も考えずに黙々と走った。何も考えたくはなかった。  夜になっても湿度が高いので、すぐにTシャツは汗だくになった。温人が時折振り向いて、勇士郎がついて来れているかを確かめてくれる。ペースもきっと、いつもよりずっと緩めてくれているのだろう。  勇士郎は淀みのない走りを見せる温人の、広い背中を見つめた。大きくて、頼りがいのありそうな背中だ。  けれどこの背中も、いつかこの先に温人が出逢う、可愛い彼女や、奥さんのためのものなのだ。  そう思うと勇士郎はまた哀しくなった。

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