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【4】ひとつの終わり①

 今回、勇士郎が脚本を担当するドラマの内容は、一言で言うと、十五年間引きこもりを続けた青年が、往年の女性タンゴダンサーと出逢い、それぞれが自分の人生を見つめ直しながら、再生への道を辿るというものだ。  中学に入って間もなく、ある事件をきっかけに不登校となり、その後十五年もの間引きこもりを続けた青年、ソウタは、両親がいなくなったことで、外の世界へ出ることを余儀なくされた。  何の準備も、知識も、心構えも持たないまま社会に放り出されたソウタは、厳しい現実と、無力な自分に打ちのめされ、自殺さえ考えるようになってしまう。  そのソウタを拾ったのは、『夜間飛行』という変わった名前の、怪しげなホテルを営む、マダム・ノワールと呼ばれる人物だった。  フランス人と日本人の血を引く彼女は、かつて本場アルゼンチンで活躍した、知る人ぞ知る往年のタンゴダンサーだった。  ホテルの従業員として働くことになったソウタは、このホテルに長期滞在する客達が、皆それぞれ訳ありで、ソウタよりもよほど重い事情を抱えていることを知り、彼らと交流するうちに、自分の弱さや、無益に失ってきた時間、両親にかけた苦労などを、次第に顧みるようになってゆく。  雇い主であるマダムは、辛辣な物言いと横柄なふるまいが甚だしく、ソウタはたびたび怒りを覚えるが、彼女もまた重い十字架を背負った孤独な人間であることを知り、ソウタは次第に心を許すようになってゆく。  ホテル『夜間飛行』は、タンゴを踊れるホテルとしても知られていた。客達はマダムからステップを一つずつ教わり、曲に合わせて踊れる頃になると、少しずつ表情に張りが出始め、心に力を取り戻してゆく。  そしてソウタもまた、変わってゆく客達の姿や、マダムの不思議な魅力に触れて、一歩ずつ、生きてゆくための力と希望を取り戻してゆく、というストーリーだ。 このマダム・ノワール役には、還暦を過ぎているとは思えないほどの美貌を持ち、圧倒的な存在感と凄みを持った大女優、辰己(たつみ)鏡子(きょうこ)を迎えることになっている。日本人離れした彫りの深い顔立ちと、どこか不遜にも見える派手な立ち居振舞いなどがマダム・ノワール役にぴったりだ。   勇士郎は彼女のポートレイトをパソコンの脇に貼って、いつもそれを眺めながらイメージを高めていた。  ソウタという青年を考えたとき、勇士郎はふと温人のことを考えた。  温人はこの主人公とは少し違うけれど、生きることに不器用そうな感じは共通しているかもしれない。  どこか寂しげで、不安げな彼の雰囲気を思い出すと、ソウタの表情が自然にイメージ出来る気がした。  いつになく筆が乗って、第一稿は予定よりも数日早く仕上がった。 『いいじゃない。今回は初っぱなから、なかなかリアルで深みがあるよ』  河合プロデューサーから明るい声で電話があったときはホッとした。 『そうそう、昨日Kスタジオに行った時、偶然別の撮影に来てた(はなぶさ)くんに会ってさ、ふと思いついてこのドラマのこと話したの。そしたら興味あるって言うんで読んで貰ったんだけど、すごく好評でね、是非にって売り込んできたよ。全然イメージ違うから全く候補に入ってなかったんだけど、逆に面白いかもなって。ソウタ役は彼にやってもらおうかと思ってるんだけど」 「いいですね。新鮮かもしれないです」  英というのはブレイク間近と言われている若手俳優の英圭吾(けいご)だ。  蠱惑的な美貌を武器に、多くの女性ファンを獲得している。華やかで毒のある役をやらせたらピカイチだった。  だが勇士郎は、彼が時折見せるどこか寂しげで陰りのある横顔を見るたびに、もっと繊細で傷つきやすい青年の役などをやらせても光るんじゃないかと常日頃から思っていた。  本人も自分の方向性について何か思うところがあるから、今回の話に売り込みをかけてきたのだろう。このドラマの主役をやることは、彼にとっても、役者としての幅を広げるいい機会なんじゃないかと思えた。  きっとガラリと違うイメージの役に、ファンも彼の新たな魅力を発見するだろう。ギャップというのは時に、人を強く惹きつける大きな要因になるからだ。  ギャップと言えば、温人もなかなか意表を突く性格をしていると思う。  人畜無害のような雰囲気を持ちながら、時折りハッとするほど男くさい表情を見せたりするし、鈍そうに見えて、実はとても鋭い面も持っている。  そういう彼に気付くたびに勇士郎はドキリとするのだが、それは決して不快な動揺ではなかった。    河合に初稿を褒められたのは嬉しかったが、少し気を抜くと、辻野のことを思い出してしまいそうになる。  勇士郎はその悲しみを紛らわせるために、早めに風呂に入り、歌を歌ってごまかした。  風呂で歌うのは、勇士郎のストレス発散方法の一つだ。  よく歌うのは、有名なアメリカ映画の同名主題歌である『THE ROSE』だ。  勇士郎はバンド時代、高音とバラードにも定評があった。ライブハウスでリクエストされて知ったこの曲は、バンドでアレンジして時々歌うことがあり、その都度とても好評だったことを憶えている。  ここは古いマンションだが、風呂とトイレが別なので、ゆったり湯に浸かれるのが気に入っていた。  風呂の中で歌うと、自分の歌が上手く聞こえるのは何故だろう。  勇士郎は寂しさを紛らわすように、そんなことを一生懸命考えた。  翌日、河合と都内のカフェで待ち合わせをして、初稿を叩き台としながらの修正点や変更点などについて打ち合わせをした。  今回のドラマのチーフプロデューサーであり演出も担当する河合は、非常に濃い顔立ちをした四十過ぎの色男だ。若干チャラい印象があることは否めないが、仕事は出来る。  彼自身、バリバリの演出畑出身であり、学生時代は筋金入りの映画青年だったというだけあって、その意見やアドバイスはいつも非常に的確だ。  他のどのプロデューサーよりも、もしかしたら脚本家よりも、シナリオ造りの技術やセオリーに精通しているのではないかと勇士郎は常々思っている。  「なんか、高岡くん、ちょっと照りツヤが出て来たんじゃない?」  一通り打ち合わせが終わると、河合は三杯目のコーヒーを啜りながら、勇士郎の顔を見て、からかうように言った。  「照りツヤがある」というのは河合の口癖だ。どういう意味かは未だによく判らないが、たぶん色気が出ているとか、脂がのっているとか、そんなようなニュアンスなんじゃないかと勝手に解釈している。 「なんですか、なんも特別なことなんてないですよ」 「いやいや、なんかあったでしょー、フェロモン出まくっちゃってるもん。恋でもしちゃったぁ? それとも失恋とかかな?」  身に覚えのあることをずばりと言われて、その炯眼に舌を巻く。  辻野のことはともかく、恋でもしちゃったかという言葉に、何故か温人の顔が浮かんできてドキリとする。 「そんなヒマ、どこにあるんですか」  勇士郎は笑ってごまかすが、河合はニヤニヤしながら見ている。この人にウソをつくのは難しいとよく判っているので、勇士郎は早々に話題を変えた。  その数日後、舞台にぴったりな妖しげなホテルを見つけたという河合達とともに、近隣の県までシナハンに同行させて貰った。  大正時代に建てられたというその洋館は、説明によると、いわゆるイタリア・ルネサンス様式の煉瓦造りで、ホテルになる前は個人の邸宅だったということだ。  古代ギリシャの神殿を思わせる円柱に、正面入り口の端整なステンドグラス、優美な曲線を描くベランダなどがとても見事だ。  しかし、建物全体にツタが絡まり、周りを囲む鬱蒼とした木々の影響もあって、どこか浮世離れした仄暗さも感じた。  ドラマでは主に夜間のホテルが舞台となるため、ライトアップの交渉も進めているとのことだ。この魅惑的な洋館が、闇夜に浮かび上がる様を想像するだけで、勇士郎はわくわくした。  ロケハンのあと都内に戻り、打ち合わせの席で英を紹介されて、初めて挨拶を交わした。 「わー、タカオカ先生ってほんとにイケメンなんだー、カッコイイー、つか綺麗!!」 「そうだよ、アイドルでも行けそうだろ」 「アイドルって、僕いくつやと思ってるんですか」  軽いノリの河合に苦笑する。  確かにデビュー当時から勇士郎の容姿は業界でもちょっとした話題となり、エンタメ系の情報誌などに取り上げられることは多かった。  中には仔犬を抱いて、などとワケの判らない注文を出されることもあり、丁重に断ったこともある。  まさにアイドルのような扱いに違和感を覚え、以来出来るだけその手の雑誌やWEBマガジンなどへの露出は控えるようになった。バンド時代の苦い経験もあってのことだった。 「今をときめく英くんにそんなこと言われたら、今度からオレ、覆面で来るからね」  二人から笑いが起こる。  ひとしきり和気あいあいと雑談をしてからドラマについての話に移ると、英の表情が引き締まった。キャラクターに関する意見を聞くと、彼が考えている人物像やアプローチ方法などをよどみなく伝えてくる。  お愛想ではなく、本当にあのホンを気に入ってくれていることは、具体的に読みこんだうえでの意見を聞けばすぐに判った。  テレビで見るよりもずっと理知的で思慮深げな佇まいに、これはイケると確信する。  物語の舞台とメインキャラクターの一人を目の当たりにしたことで、より具体的なイメージを膨らますことができた。  話し合った改善点などを踏まえながらすぐに第二稿へと入る。すでにキャラクターは生き生きと動き始めていた。

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