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【5】切ない予感①
自宅のマンションまで戻ってくると、勇士郎は五階の自分の部屋を見上げた。その窓に明かりが点っているのを見てホッとする。
帰ってきたのだと思えて、ずっと緊張していた身体から自然と強ばりがほどけた。自分の部屋を見て、そんな風に感じたのは初めてだった。
勇士郎がチャイムを鳴らすと、すぐに温人が玄関ドアを開けてくれた。その顔を見たとたん、胸の奥がじわりと熱くなった。
「おかえりなさい」
「うん。…ただいま」
温人は勇士郎の持っていた荷物を持って、明るい室内へといざなってくれる。
「疲れたでしょう。お風呂入りますか」
「うん、せやな。温人は夕ご飯食べたん?」
「まだです。ユウさんがお腹すいてたら一緒に食べようかなと思って」
「ほんま? せやったらすぐ入ってくるから、ちょっと待っとって」
「はい、ゆっくりどうぞ。今日はオムレツですよ」
「オムレツ!? オレの好物やん」
「はい。準備しておくので、焼くのつきあってください」
「分かった、待っとり!」
勇士郎は自室に荷物を置いて、スーツを素早く脱ぐと、着替えを持って風呂場へと向かった。
温人が勇士郎の好物を用意してくれたのは、きっと今日、結婚式に出席したことへのご褒美なのだろう。
ここ最近の勇士郎の様子に、当然温人も何かを感じ取っているはずだ。けれど何も訊かずに、そっと勇気づけ、励ましてくれる温人の存在が、勇士郎には本当にありがたかった。
風呂から出て、Tシャツとゆったりしたハーフパンツを身に着けると、勇士郎はほどよく冷房の効いたダイニングへと向かった。
温人がダイニングテーブルの上に、溶いた卵や刻んだ具を並べている。
「うわ、チーズも入れてくれるん?」
「はい、チーズとトマトとほうれん草のオムレツです」
「めっちゃ美味しそうやん」
「あとは具を入れて混ぜたらもう焼けます」
「よっしゃ、混ぜよ混ぜよ」
温人はわくわくした様子の勇士郎に微笑んで、細かくカットしたトマトと、予めレンジで下準備したほうれん草を、溶き卵の入ったボウルに入れた。そこにチーズと牛乳を加え、塩、こしょうを振ってから、ゆっくりとかき混ぜる。
そして勇士郎にボウルを手渡すと、温人はフライパンにオリーブオイルを落として、勇士郎がしっかり見ていることを確認してからゆっくり火を点けた。
リハビリの最初の頃は、つまみを回すまでに随分時間がかかったが、今では勇士郎の目を見てからすぐに点火出来るまでに進歩している。
「大分慣れたやん。もうそんな怖ない?」
「まだちょっと緊張しますけど、ユウさんがいてくれるので大丈夫になりました」
温人からの全幅の信頼を受けて、勇士郎はくすぐったい気持ちになる。温人に頼って貰えるのは純粋に嬉しかった。
オイルが熱せられたところへボウルの中身を静かに流し入れて、焦げ付かないように慎重に焼く。ほどなく良い匂いがキッチンに拡がり、勇士郎は久々に純粋な空腹を覚えた。
オムレツの他に焼きたてのパンとコンソメスープ、グリーンサラダを用意して、二人は食卓についた。
一緒に手を合わせて、いただきますを言う。
「うん、旨い! めっちゃ旨いでコレ!」
オムレツは割ると中身がトロリと零れだす絶妙な焼き加減だった。
「ほんとだ、大成功ですね。すごく美味しいです」
温人も頷いて、勇士郎に微笑む。
熱い黄金色のスープも、瑞々しいサラダも、どれも本当に美味しくて、それはきっと温人が勇士郎のために作り、こうして一緒に食べてくれているからだろうと勇士郎は思った。
部屋には静かに音楽が流れている。勇士郎の部屋でかけている映画音楽が聞こえてくるのだ。
いつも勇士郎が聴いている自選のCDで、往年の名画のテーマ曲を集めたものだ。ドアを開け放して、今夜はゆったりとした気分に浸る。
「綺麗な曲ばっかりですね。聴いたことあるやつが多いです」
「せやろ。ロミオとジュリエット、カサブランカ、ひまわり、エデンの東、道、シェルブールの雨傘、追憶、雨に唄えば、ゴースト、ニュー・シネマ・パラダイス、THE ROSE……。名画と呼ばれるもんには、良いテーマ曲がついとるもんや。そういう曲には愛を歌ったもんが多い。……せやから惹かれるんかな……」
(オレには縁がないから)
勇士郎が寂しげにちいさく笑うと、温人は目を見開き、それから何か言いかけたが、勇士郎はそれをさりげなく遮った。
「せや、この髪な、すごい似合 てるて褒めてもろたで」
「ほんとですか。良かったです」
「ええ結婚式やった。ほんまに」
「良かったですね」
「温人のおかげや、ほんま…」
そう言ったとたん、ふいに熱いものがこみあげ、勇士郎はナイフを持ったまま、手の甲で零れ落ちた涙を拭った。
「……ユウさん」
温人が痛ましげに声をかける。
「違う、……ごめん、なんかホッとしたんや。オレの青春、ちゃんと終わらせられたんやなって、思って」
勇士郎はもう一度グイと涙を拭うと、温人に微笑みかけ、涙を呑み込むように、熱いスープを口に運んだ。
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