17 / 32
【5】切ない予感②
夕食が終わってから、勇士郎は温人と一緒に一本の映画を観た。有名なイタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』だ。
映画監督として成功した主人公が、自分の人生に大きな影響を与えた、歳の離れた友人の死をきっかけに、映画少年であった頃の忘れがたい思い出や、青年期の美しく悲しい恋を回想しながら、映画と共にあった自分の半生を振り返るという物語だ。ユーモアと感傷と郷愁が観る者の共感を呼び、涙を誘う。
ワイン片手にリビングのソファに並んで座りながら、時々言葉を交わしたり、見入ったりしながらゆっくりと鑑賞した。
そして物語は終わりへと近づく。
それはあまりにも有名な、美しいラストシーンだった。ノスタルジックで、切なく甘美な愛の テーマ曲 とともに、かつては禁じられたシーンたちが、彼らの遠く失われた輝かしい青春の日々が、雪のように、星のように、次々とスクリーンの上に浮かびあがっては消えてゆく。
「オレの大好きなところや。シーンが降ってくるみたいやろ……。すごい綺麗で、いつもここで泣きそうになる……」
「……綺麗ですね、ほんとに」
そう呟いた温人が、勇士郎の横顔を見ていたことに勇士郎は気付かない。
「せっかく買うたから、この曲もレコードプレーヤーで聴けたらええなあ」
「そうですね」
穏やかに返してくれる温人の声がとても優しくて、勇士郎はほっと息をつく。
「オレな、あんまし人とおんの好きやないねん。気ぃ遣 こてまうし、自分のこと話すんも苦手やし、……でも温人とおるんは、なんか落ち着く」
すっかりワインに酔っている勇士郎は、潤んだ目で温人を見つめてしまっていることに気付かないまま、ふわりと笑う。温人がハッと息を呑んだことにも、苦しげに目を伏せたことにも気付かずに、ぼんやりとエンドロールを見つめていた。
温人の後押しのおかげで、辻野の結婚式を乗り切れたことで、気持ちが吹っ切れたような気がしていた。
けれど今度は、今隣にいる温人のことがとても気になり始めている。いつでもさりげなく勇士郎の心を慮ってくれる、優しい男のことが。
(でもこんなん知られたら、気持ち悪いて思われるよな、絶対……)
そう思って自分の心を戒めるのに、それでもやっぱり温人の隣は心地よくて――。
「オレな……、ほんまはな……」
ふわふわと霞みがかった頭で、勇士郎はちいさく囁くように言いながら、逞しい肩にコトリと頭を預けて、そのまま目を閉じた。
翌朝は少しばかり酒が残っていたものの、シャワーを浴びて、温人が用意してくれたトーストとサラダの朝食を食べ終わる頃には頭もスッキリとしていた。気分も悪くない。
なんとなく良い日になりそうだと思っていた矢先、温人からとんでもないことを訊かれた。
「ユウさんて、辻野さんのことが好きだったんですか」
「――え?」
麦茶を飲む手を止めて、呆然と温人を見つめる。
「だって昨夜、言ってましたよね、男の人が好きなんだって。青春を終わらせられたっていうのも、そういう意味なんじゃ」
「誰が?」
「ユウさんが」
「え?」
「え、」
「ええっ?」
「ええっ!?」
「う……は、ははっ、……ぅ、」
「う?」
「……ウソやんな?」
「いえ? 嘘じゃないですよ。『オレ、男しかアカンねん』て言ってました」
勇士郎は穴が開くほど温人を見つめ、次の瞬間、電光石火の速さで自室へと逃げ込んだ。
ベッドに頭から潜り込んで、ギュウウッと小さく縮こまる。
(アホや…! アホやアホやアホやあぁ―――!!)
あまりの衝撃と情けなさに涙が出て来る。
「ユウさん……」
ドア越しに心配そうな温人の声が聞こえる。
「く、来んな!!」
布団の中から大声で叫ぶ。それでも温人は部屋に入ってきた。
「来んな言うてるやろ!」
「ユウさん、すみません、不躾なこと訊いて。……でも、ユウさんがとても辛そうだったから、心配で、……それになんかちょっと、悔しかったっていうか……」
「……どういうイミや、悔しいて」
鼻をぐすぐす言わせながら、弱々しく訊く。
「そんなに想われて、辻野っていう人は幸せだなって。……そんなに長く、一人のひとを想っていたっていうのも、凄いことだって思いました」
穏やかで落ち着いた声に、勇士郎の心も次第に落ち着いてくる。
勇士郎は思い切って、布団からちょこっと顔を出した。
「……気持ち悪ないの? オレのこと」
「気持ち悪い? なんでですか」
心底解らないといった顔で温人が見る。
「だって、……普通、そうやろ」
「気持ち悪いなんて、言われたことあるんですか」
「――昔、……中学ん時、同じクラスのヤツにふざけてくっついたら『おまえ、なんかキモい』って」
そうだった。今まで無意識に封印してきたけれど、クラスに気になる男子生徒がいて、文化祭か何かの準備で遅くなったとき、ついすり寄るような仕草をしてしまったことがあったのだ。
当時は今より更に少女めいた印象だった勇士郎は、よくその手の噂になることがあった。
思春期の男子生徒からすれば、そんな噂の渦中に入ることは、とてつもなく恥ずかしいことで、それは相手の生徒も同じだっただろう。
けれど、キモい、の一言は鋭い刃となって、無防備だった勇士郎の胸を切り裂いた。
二度と迂闊な行動は取るまいと、その時、勇士郎は思った。自分はおかしいから、絶対に隙を見せちゃいけない、欲しがっちゃいけない、すべてはこの胸の中に。そう誓ったのだ。
それからは独りでいることを好むようになった。それが無理なら人といる時はなるべく自分の感情を無視するように努めた。それが次第に勇士郎の生き方になっていったのだ。
なのに温人に出逢ってから、そのスタイルはどんどん崩され、綻びが出始めてしまっている。
「ユウさんは気持ち悪くなんかないです。すごく、綺麗です」
今まで聞いたことのないような低い声で、温人が告げた。怖いまでに無表情なのは、きっと凄く怒っているからだ。
それが判ったとき、勇士郎の胸に、なにか温かいものが流れ込んで来るような気がした。
「……変なの、自分のこと悪く言われても、どうでもええって顔しとったのに、オレのことやったら怒るん?」
温人は決まり悪げな顔になって、またむっつりと黙り込んでしまう。
「温人は、偏見とかない人なんやな」
「……偏見っていうのも違うというか、『偏見ないです』って言うこと自体、もう上からみたいな感じがして、…俺はそういうのはあんまり好きじゃないです」
勇士郎はしばらくその言葉を噛み締めたあと、むっくりと身体を起こし、布団から出た。
「温人って、なんか、すごいな」
どこかほわんとしているようで、実は凄く鋭いし、とても思慮深い。
「そうですか。ユウさんのほうがずっと凄いと思いますけど」
真顔で言う温人に、勇士郎はふふっと思わず笑ってしまう。その笑顔を見て、温人がパッと顔を輝かせたのを見て、また胸が熱くなった。
「よし、ほな、凄い勇士郎さんが特別にパンケーキ作ったる」
「ほんとですか」
「起こして」
我が儘な王子風を装って両手を伸ばす。
本当に触って貰えるのかと緊張したが、温人はためらいもなくその手を取って、ゆっくりとベッドから降ろしてくれた。
そんなことに、勇士郎は泣きそうなほどの安堵を得る。
「生クリームとフルーツ、乗っけるのどっちがええ?」
「どっちでもいいです」
「またそれや、オレはそういうのは好きやない。どっちか決め」
「あ、……じゃあ、フルーツで」
「よっしゃ、まかしとき、スペッシャルなの作ったるでな!」
目の奥にこみ上げる熱いものを堰き止めながら、勇士郎は久しぶりに心からの笑顔を見せた。
ともだちにシェアしよう!