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第六話
「結局、全部持って帰ってしまった」
やっぱり全部はもらえないと断腸の思いで断ったが、いいからとダンボールを押し付けられた。
いつもと違った和音の様子に、ラウンデルが関係しているのかもしれないと直感があった。家族のことも話したがらないところをみると、麻耶の家のように確執があるのだろうか。帰り道の中、堂々巡りをしては重たい溜め息を吐いた。
結局は訊いてみないとわからない。
腕にかかる重さに耐えきれず、ダンボールを地面に置いた。家まであと五十メートルもない。まさかダンボールを抱えたまま電車に乗る日が来るとは思わなかった。
周りの不審な視線は痛かったが、ラウンデルのためだと思えばいつもより前向きに歩けた。
我ながら単純にできている。家に帰ったらどうやって飾ろうかと考えると胸が高鳴った。
「でも」
嬉しいはずなのに、気が重い。肩に岩でも乗っているような。男のくせにかわいいものが好きという罪悪感とは違う。いままでに感じたことのない気持ち。
きゃんきゃんと甘えてくるのではなく、妙に大人びた表情の和音の姿が過る。見透かされているような気持ち悪さがある。けれど嫌じゃない。どうしてそう思うのか、自分でもわからない。
和音の存在が大きくなっていっているような気がする。最初は毎日教室に来られて迷惑していたはずなのに、いつから和音のことで頭を悩ませるようになったのだろう。
かわいいものに囲まれて女装をしていれば幸せだったはずなのに。地面に置いたダンボールに目を向けると、物寂しいような気持ちにさせた。
麻耶はダンボールを持ち上げ、足早に家へと向かった。
「ただいま」
「おかえり。遅かったのね」
ちょうど玄関にいた母親の佳恵と鉢合わせをしてしまい、麻耶は目を背けた。ダンボールを床に置いて靴を脱いでいると、背後から視線を感じる。
「そのダンボールどうしたの?」
「別に」
「そう……」
どことなく佳恵の声が寂しそうに聞こえた。
これは和音の言葉に影響されているせいではないか。
『そんなことないよ。ただ、子どものときみた麻耶先輩のおばさんは、とてもやさしそうにみえたから』
和音の言葉が耳にこびりついている。本当にそうだっただろうか。ラウンデルの記憶はあっても、店に連れて行ってくれた佳恵の表情は何一つ思い出せない。
「これ、後輩からもらったんだ」
腰をかけたまま振り返りダンボールの箱を開けると、佳恵は興味津々といった顔を覗かせる。
「あらあら」
グラスを手に取り、懐かしそうに指でなぞった。
「懐かしいわね。まだラウンデルってあるのね」
目を細めて笑う佳恵の横顔を眺めと、目尻に薄らと涙が溜まっているようにみえた。思い出を懐かしむみたいに佳恵の指がグラスの淵を撫でる。
「麻耶、好きだったものね」
「……いまも好きだよ」
訊いてもいいかな。でもいましかないよな。麻耶は一つ呼吸をおいてから、あのさ、と切り出した。握った拳に汗が滲む。
「俺が家でしてる格好のことなんだけど、どう思う?」
「そうね。よく似合ってると思うわ」
「そういうことじゃなくて」
「ん?」
「こう……恥ずかしいとか」
「あ、そういうこと」
ようやく麻耶のいわんとしていることに気が付いたのか、佳恵は手を叩いた。それからにこりと目を細め、ふくよかな手のひらで麻耶の髪を撫で始めた。
「恥ずかしいなんて考えたことなかったわ」
「でも」
子どもの頃、姉の麻央と喧嘩をするたびに佳恵に撫でてもらったことを思い出した。優しくて温かい手は大好きだった。いつからこの温もりの大切さを忘れてしまったのだろう。
涙腺が緩み、涙が込み上げてきそうだ。麻耶は奥歯を噛んだ。
「お母さん、不器用だから。なんて声をかけたらいいのかわからなかったの。お父さんもお姉ちゃんもきっと同じよ」
「本当?」
「そうよ。だって家族なんだもの」
ようやく顔をあげると佳恵の頬は濡れていた。優しく微笑み返され、麻耶もぎこちなく笑った。
心のしこりが溶けていく。鎖で縛られていた心が軽くなっていく。
「麻耶、帰ってきたの?」
階段から降りてくる姉の麻央は麻耶と佳恵の様子をみて、目をきょとんとさせている。
「何みてるの?」
二人の返答を聞く前に目敏くダンボールをみつけ、中を覗く。
「懐かしい!」
「でしょ?麻耶がお友達からもらったんですって」
「へえー。そういう話ができる友達がいたんだ?」
「うん、まあ」
「よかったじゃん」
肩を小突かれると少し痛かったが、麻央の笑った顔をみるとどうでもよく思えた。
急に麻央は真面目な顔つきになったかと思うと、おどけたように大口を広げた。
「あんた好きだもんねー。それに女の子の格好似合って私より可愛いし!」
まいっちゃうわ、とドシドシとした足取りでリビングに消える。その後ろ姿をみて、佳恵と顔を見合わせて笑った。
「あれは照れ隠しね」
「そうかな」
「そうよ。麻耶のこと一番心配してたのはお姉ちゃんなんだから」
「そっか」
嬉しいようなこそばゆいような。こんなに家族に大切にされていたんて気付かなかった。
きっと和音の言葉がなかったら、どんどん溝を深めていって二度と笑いあえなかったかもしれない。和音のお陰だ。
――――いますぐ和音に会いたい。
かわいいものが好きで、女装もする自分が少しだけ許せるような気がした。
次の日、いつも通りに教室に来た和音を屋上の踊り場に連れ出した。はやく伝えたくて、知ってほしくて人がいるか確認もせずに口を開いた。
「家族とはまあ、大丈夫だった」
「でしょ?やっぱオレの言う通りじゃん」
よかったね、と笑う和音の笑顔が眩しくみえた。
これで少しは前向きになれるかな。一歩でも進めることができたかな。
「オマエのお陰だ。ありがとう」
「どういたしまして」
腕を引っ張られ和音の逞しい胸にすっぽりと収まる。突然のことで驚いたが、和音の熱すぎる体温が心地よくて背中に腕を回した。
「本当に、よかったね」
まっすぐに笑顔を向けられ、麻耶も初めて和音の前で笑った。
――――その笑顔を最後に、和音の姿は消えた。
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