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第八話

 「ありがとう。もう大丈夫」  どのくらい時間が経ったのか、和音の声を合図にお互い体を離す。和音の目元は赤く腫れ、頬にはいくつもの涙の痕が残っている。  それを誤魔化そうとしているのか、和音は両手で目を強く擦り、またいつものように笑った。  「こんな身の上話したの、先輩が初めてだ」  「そうか」  「重い話だから引かれるしね。だから気付かれないようにできるだけニコニコしてたんだけど」  子どものときからずっと我慢を強いられていたのだろう。誰にも頼らず胸の奥に隠して、笑って、心では泣いて。  それがどれほど辛かったのか想像すると、きゅっと心が縮んだ。  ピンポーンと電子音が店内から聞こえてきた。客が来たのだろうかと監視カメラを確認すると、和音は「げ!」と声を荒げた。  恰幅のいい中年男性が迷わず事務所へと歩いてくる。あ、と思うこともなくドアを開けてテレビに映っていた男が入ってきた。  「お疲れちゃん」  「お、お疲れ様です」  男が麻耶と和音の姿をみて、目を見開いた。  「だれ?」  「学校の先輩っス」  「すみません。お邪魔してます」  麻耶が何度も頭を下げると「いいよ、いいよ」と人の好さそうな笑顔を向けた。  「どうせ、わんちゃんが無理矢理入れたんじゃないの?」  「そうです」  「しょうがないなあー。今回は目を瞑ってあげるよ」  男は怒るどころか「ジュースでも飲む?」と小さな冷蔵庫から炭酸ジュースを麻耶に渡した。拍子抜けするような対応に麻耶はただ黙って流されるようにペットボトルを受け取った。  「それより早く上がらないと学校に間に合わなくなるよ」  壁にかけてある時計をみやると、針はちょうど七時を示していた。  「あ、やばい。まだ品出し終わってない」  「あとは僕がやっておくから。はやく着替えてきなさい」  「すいません。ありがとうございます!」  和音が事務所のさらに奥へと続く扉の中に消えた。二人きりに残されてしまい、なんだか気まずい。こういうとき、気の利いた会話ができない自分が歯痒く思う。  「本当は未成年を深夜に働かせちゃいけないんだけどね。どうしてもって頼まれちゃって。このこと、内緒ね?」  お互い秘密だよ、とへたくそなウインクをした男はゲラゲラと大声で笑った。「はい」と目をみて返すと、男が目を細めた。目尻にたくさんの皺が刻まれ、それがそのままこの人のやさしさの数なのかもしれないと思った。  「先輩、行こう」  「お、お邪魔しました。ジュースありがとうございます!」  制服に着替えた和音に腕を引っ張られ、強引に事務所から追い出された。「車には気をつけてね」と呑気な声が返ってきた。  自動ドアを抜けると、朝日が目に沁みた。  家の隙間を縫うように太陽の光がまっすぐに線をつくる。この道を辿れば間違いなく明日に繋がるのだろう。  和音は麻耶の手を握ったままずんずんと歩いていく。学校にでも行くのだろうか。でもいまの麻耶の服装は普段着だ。さすがにこれでは学校には行けない。  前から人が来ても和音は麻耶の手を離そうとしない。きつく握られ、まるで弟を引っ張る兄のように頼もしさを感じた。麻耶は黙って握り返し、そのまま和音のあとについていった。  「ここは?」  歩いて数分のところにある大きな大学病院に着いた。真っ白な建物は堂々と聳えている。  まだ開いていないのか人の姿はない。それでも和音は構わず進み、入り口の隣にある小さな非常口扉のドアノブを迷うことなく捻った。  「入っていいのか?」  「大丈夫。許可はとってある」  本当だろうか、と思いながらも和音に誘導され左側にある階段を上った。  電気もついておらず、看護師や医師の姿のない病院はしんと静まりかえっている。いまか、いまかと手をこまねているような不気味な感じ。  心霊スポットになりそうな古びた院内ではないのに、どうも病院という場所柄、幽霊が出るのではないかと無意識に身構える。  階段を二回上って廊下を進み右に角を曲がると、いくつもの病室があるのか扉が並んでいた。和音は慣れた手つきで一番手前の扉をノックした。「どうぞ」とドア越しにくぐもった女性の声が聞こえる。壁に書いてある名前を確認し、どうして和音がここに自分を連れてきたのかますますわからなくなった。  「おはよう、和音。あらあらそちらの方は?」  ベッドの上に上半身だけ体を起こした女性が柔和な笑顔を向けた。髪が長く、窓の隙間から入ってきた風にさらさらと揺れた。白く透き通るようなネグリジェに、細い体のラインが映る。昔とほとんど変わらない儚さがあった。  「まやちゃんだよ。覚えてない?」  「あらあら、まやちゃん? こんなにカッコよくなっちゃって」  「ご無沙汰してます」  軽く会釈をすると上半身だけで丁寧にお辞儀をされ、慌てて頭を深く下げた。  「どうしてまやちゃんと和音が一緒に来てくれたの?」  「オレ、お袋に報告に来たんだ」  「あら、何かしら」  のどかはずれたカーディガンを直し、微笑を浮かべる。  手を握ったままの和音に力が入った。深く息を吸い、ゆっくり吐くと大きく口を開いた。  「この人、オレの大切な人だから」  「え!?」  突然の宣言に麻耶は目を剥いたが、のどかはすべてを悟ったようにゆっくりと頷いた。  すべてを包み込むやさしい笑顔。  「大切にしなさいよ」  「うん」  「傷つけちゃだめよ」  「わかってる」  母親と子どもの間だけでわかる小さなやり取り。目を合わせただけでお互いの気持ちを理解しあえる。この親子はどれだけの苦境を乗り越え、支えあってきたのだろうか。  「麻耶ちゃん……じゃ、可笑しいわね。麻耶さん」  「はい」  「この子、けっこう子どもっぽいし頑固なところもあって嫌になっちゃうかもしれないけど、根はとても優しい子だから。どうか見捨てないであげてね」  「はい」  麻耶が頷くと、のどかは目元を指で拭った。  「またあなたに会えて嬉しいわ」  大切にしてください、とまた深々と頭を下げられ、麻耶も応えるように額に太ももがつくくらい腰を曲げた。  病院を出たあとも和音に手を引かれ、見慣れたボロアパートに着いた。玄関で靴を投げ捨てるように脱ぎ、部屋の奥へと進む。床が歩くたびにギシギシと鳴り、突然の来訪に怒っているようだ。  和音が勢いよく襖を開けるとそこはベッドが一つだけある部屋だった。  「わお……っ!」  ベッドに投げられ、スプリングが悲鳴をあげた。ぼふんと布団の羽が宙を舞い、反対に麻耶の体は深く沈んだ。  「ちょ、なにするんだ」  「ごめん。我慢できない。キスしていい? ねいいよね?」  「えっ、んん!」  反抗もろくにできず、和音の顔が迫ってきて唇が重なる。触れて、離れて、また触れて。  やわらかくて温かい感触が繰り返される。初めてのキスに感慨を思い馳せることもなくシャツをたくし上げられ、薄い胸板が外気に触れた。  「先輩のここ、ピンクでかわいい」  和音は麻耶の乳首に舌を這わせる。ねっとりとした感触に飛び上って、和音の頭を押さえつけた。  「ステイ!」  「え?」  大声で叫ぶと、和音は毒気を抜かれたようにピタリと動きをやめた。  シャツをおろし、ベッドの隅に体を縮ませると和音は叩かれたあとのような驚いた顔をしていた。  待てで止まるなんて本当に犬みたいだ。  「オマエいきなりなんだよ」  「なにって……こう先輩のことが好きだって気持ちが溢れちゃった感じ?」  「……そうかよ」  それで理性飛ばして襲いましたか。はい、そうですかって納得できなくもないけど。あけすけな言葉に怒る気力も失せる。  麻耶はじとりと和音を睨みつけると、駄犬はバツが悪そうに顔を背けた。  「だってさ、先輩と心が通じ合ったってわかったらやっぱりエッチなことしたいじゃん」  「お、おまえ!」  「事実でしょ?なに、麻耶先輩はオレのこと好きじゃなかったの?」  和音の顔が近づいてくる。茶色い瞳が欲情で潤んでいた。堪らなくシたいと、熱く語る。  「そういうわけじゃないけど」  「じゃあ言って。オレのこと好きだって」  和音が正座をして、麻耶の言葉を待つ。小さなベッドに二人腰かけているので狭く、手を伸ばせば簡単に届いてしまう距離。  「えっと、その」  顔も体も熱が高くなってくる。好きだと自覚したのがいまさっきでもう告白とかはやくないか。いや、ふつうはこんなものなのか。  恋愛ごとに疎く、耐性がない麻耶は頭を抱えたい気持ちだった。  麻耶の告白をいまかいまかと待ち受けている和音の期待の眼差しが、余計に気持ちを焦らせる。ラウンデルのことなら雄弁に語れるのに。  「オレは先輩のこと好きだよ」  まっすぐな瞳に射抜かれる。嘘も偽りもない瞳がただ麻耶だけを映している。少し痩せこけた和音の顔はいつもより大人びてみえた。  辛いことも悲しいこともいままで一人で乗り越えてきたのだろう。長年の疲労を隠し、ただ誰にも嫌われないようにと振る舞っている和音に惹かれている。  二匹の猫が脳裏に浮かんだ。  「俺も……好きだよ」  好き、と口をついた途端体の芯が火照ってくる。まるで麻薬みたいに全身に回り、体の力が抜けてくる。なんだこれは。ベッドヘッドに背中を預けていないと後ろに倒れてしまいそうだ。  「うれしい!オレも大好き」  飛びかる勢いで抱きつかれ、壁に頭をぶつけそうになった。力強く抱きしめられ、応えるように和音の背中に腕を回した。  ゆっくりとベッドに押し倒される。さっきまでの勢いはない。どこか不安げな顔で見下ろしている姿がかわいくて、前髪を撫でてやった。  「どうした?」  「なんか冷静になるとちょっと怖くなって。先輩のこと傷つけちゃわないかとか、痛くしちゃわないかとか不安で」  和音は眉を寄せていまにでも泣き出してしまいそうだ。  さっきまでが嘘のように壊れ物を扱うようなやさしさで触れられると、こっちがじれったくなってしまう。自然とばかと口をついていた。  「オマエなら大丈夫だよ」  「うん。痛かったら言ってね」  唇がゆっくりと近づいてきて、目蓋を閉じた。やわらかく甘い唇が触れ合うと、スイッチが入ったみたいに欲望が疼く。カチカチと電気が消えたり点いたり。  和音の右手が器用に麻耶のシャツをたくし上げ、体のラインをなぞる。まるで麻耶という人間を確認するみたいに、何度も何度も往復を繰り返す。脇腹に手のひらが触れるとくすぐったい。  「せんぱい……好き、だいすき」  身が蕩けるほどの甘い言葉を囁きながらの愛撫に、体が痺れる。バックルが外され、金具が触れ合う金属音すら興奮する。おかしくなったみたいだ。  ズボンも下着も一気に下ろされると、剥き出しの性器が天を仰いでいた。先端にだらしがなく液を零している。和音は息を止めてみつめている。そんなにみるなよって言いたいのに、見られていることの羞恥心すら血が騒いでしょうがない。  和音の長い指が性器に触れる。ゆっくりと上下に扱かれると、鼻にかかる甘い声がでた。  「あ、あっ……」  「先輩の声、かわいい」  耳の裏を舐められ、水音がダイレクトに鼓膜を震わす。耳も、体も、麻耶に触れられている。心にメーターがあったら、針が振り切って壊れてしまいそう。  「でも、ごめん。はやく挿れたい」  「いいよ」  男同士のセックスのやり方はなんとなくわかる。快楽で頭がおかしくなったせいか、自分から股を大きく開いて後孔を晒す。なんて大胆なことをしてるんだろ。和音が目を見開いて驚いていたが、すぐに真面目な顔つきになった。  「ジェルないから、ハンドクリームでいいかな?」  「なんでもいいよ」  はやくして。和音と一つになりたいよ。  枕を腰の下にいれ、下半身を浮かせると強張っていた体の力が抜けてくる。暑さで溶けたアイスのようにとろとろと溶かされていく。  「やさしくできなかった、ごめん」  ベッドの横に転がっていたハンドクリームを指にたっぷりと塗り付け、麻耶の体の奥に塗り付ける。傷つけないようにと慎重な動きをしているのに、和音の顔はぎらぎらと欲望に満ちている。そのギャップが必死さを物語っている。  「んっ!」  指が入ってくるのがわかる。狭い器官が無理やり広げられているせいで、痛みと気持ち悪さがあり嗚咽を漏らしそうだ。  「ごめん。痛いよね」  まるで和音が痛いみたいに泣きそうな顔をしている。その額にはびっしりと汗の粒が浮かんでいて、和音も不安なんだって思うとこの痛みすらも受け入れたくなる。  「大丈夫だから。続けて」  「無理だったらすぐに言って」  やめようとしない指の動きに、麻耶とおなじ気持ちなんだと思った。はやく一つになりたくて、苦しいのを我慢している。  セックスって求めることなんだ。相手を受け入れようと痛みすら甘受して。すべてを理解しようと 躍起になってる。  指が二本に増やされ、ただ押し広げるだけのように器官をまさぐる。もうほとんど感覚がなくなり、夢中になって和音とキスをした。  「もう大丈夫かな」  指を引き抜かれると、粘膜が物悲しそうにヒクヒクしている。  和音がすばやく性器を取り出し、麻耶の奥にあてがう。それでも表情はどこか不安そうで、怯えている。怖くないよと言ってやりたいのに、喉が引き攣って声がでない。代わりに両足を和音の腰に巻きつけて先を促す。  ほころんだ箇所にゆっくりと押し入ってきて、指とは比べられない質量に息が詰まった。  和音の腰が進み、納まりきると二人して熱い息を吐き出した。  「全部入った」  和音が破顔して、顔を舐めるみたいにキスをする。犬にじゃれられてるみたいって言ったら怒るかな。  ゆっくりと抜き差しされ、性器を肉壁に擦りつけられる。一つになれた喜びか苦しさがわからないけど、涙が次から次へと溢れてくる。それを和音の舌が舐めとっていく。  このまま一つに溶け合えたらいい。なんてどこかの安っぽい歌詞が浮かんだ。でもあながちばかにできない例えだ。  痛みも悲しみも歓びも嬉しさも全部和音と一緒に分かち合えたらいい。  離して欲しいと言っても離してなんてやらない。  一匹の尻尾でハートをつくるようなことはさせない。  目の前が白く霞んできて限界が近づいていく。まだイきたくない。もっと繋がっていたいのに。でもこれが最後じゃないんだ。今日みたいな日が明日も明後日も続いていくんだ。  「先輩、中に出すよ」  「んっ……ん!」  中に熱いものを感じると感化されるみたいに性器から白濁を吐き出した。気が遠くなるほどの長い吐精で頭がくらくらしてくる。  「大好きだよ」  「俺も」  和音の体を引き寄せて、境があいまいになるほどキスを繰り返した。

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