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第12話 魔物狩り④
受けるはずだった痛みは感じなかった。代わりに、耳を塞ぎたくなるような悲痛な悲鳴が聞こえてきて、ばたばたと忙しない何人もの足音が耳に届いた。
おそるおそる目を開ける。
大狐は倒れていた。実習を引率していた教師たちが狐を囲み込むように並んでおり、狐の魔物は形のない鎖のような術で締めあげられていた。
「囲いこめ!」
「逃がすなよ!」
「え、あ」
腰が抜けて、澄也は立つことすらできなかった。ぎちぎちと音を立てる鎖は、やがて大狐の首を強く締め上げていく。澄也は、目を逸らすこともできずにその光景を見つめることしかできなかった。
息が途絶える直前、赤い目を血走らせた狐は澄也を見た。口は痙攣するように動いていたけれど、終ぞ狐が声を発することはなかった。ぎらぎらと憎しみをたぎらせた恐ろしい目の形だけが、澄也の瞼の裏に焼き付くように残った。
やがて狐の姿は空気に溶けるように消えていき、水晶玉のように大きな核が、音を立てて地面に落ちた。厳しい顔をした教師が、間髪いれずにそれに札を張る。
あっという間の出来事だった。
呆然と凍り付いていたその時、ふと小さな鳴き声が聞こえた気がした。近くの茂みを見れば、先ほど澄也が庇った子狐が、ぷるぷると震えながらうずくまっていた。
――こいつも殺されてしまうのだろうか。
そう思ったときには、澄也は子狐をそっと抱き上げ、自分の懐へと突っ込んでいた。教師たちの目が離れていた一瞬の間のことだ。
「おいスミヤ。お前……」
健が呻く。信じられないものでも見るような目で澄也を見ていたけれど、澄也は無言で健から目を逸らした。そうしている間に、辺りの安全を確認したらしい教師が次々と駆け寄ってくる。
「何があった! ……怪我をしているのか⁉」
「健だけです。俺は何も」
「急いで手当てを! 君は事情を説明してくれるか?」
澄也は頷く。もごもごと決まり悪そうに言い訳をしながらも、健は事情を説明することもできぬまま、担架に乗せられて行ってしまった。懐を抑えながら、澄也は教師に尋ねられるがまま、見聞きしたことを語り始めた。
* * *
実習中に起きた『事故』の調査のため、午後の授業は中止となった。暴れることもなければ声のひとつも出さなくなった小さな狐の魔物を抱えて、澄也はまっすぐに神社に向かう。
白い烏に挨拶することも忘れて、ほとんど扉を蹴倒すような勢いで、澄也は神社の奥の小屋に飛び込んだ。
「白神様! 助けて!」
「坊? どうしたんだい、そんなに慌てて。今日は随分早いじゃないか」
「色々あったんだよ。後で話す」
本を読んでいたらしい白神様が、目を丸くして顔を上げる。息を切らして駆け込んできた澄也を見て首を傾げながら、白神様は澄也の手元をのぞき込んだ。
「狐?」
「こいつ、まだ生きてるかな。助けてあげられる?」
「死んではいないねえ。でもね、坊。たしかに狐の毛皮は良いけれど、白狐の子をさらうと後が面倒だよ。白い狐は執念深いから」
「さらってないし、毛皮もいらないよ! こいつの親は……もういないんだ。手当てだけでもしてやりたくて……」
ふうん、と納得したようなしていないような顔で零しながらも、白神様は澄也が急かすまま、布と薬を取り出した。
「坊が手当てしてやりたいというならするけれど、随分衰弱しているようだから、元気になるかどうかは分からないよ」
「それでもいい。手当てしてやって」
「はいはい」
水を運んだり子狐の寝床を整えたりと自分にできる範囲で手伝いながら、澄也は子狐の手当てをする白神様の様子を伺う。くるくると器用に包帯を巻きながら、白神様はのんびりと口を開いた。
「それにしてもまた変なものを拾ってきたねえ」
「またって? 今まで何か拾ってきたことなんてないだろ」
「そこら中でたちの悪い魔物をひっつけてくるくせに、よく言うよ」
そう言われてしまうと澄也には何も言えない。声が聞こえるのが悪いのか、はたまた澄也が不運なだけなのか知らないが、子どものころから凶暴な魔物に狙われては神社に逃げ込むというのはありふれたことだった。
「今日は実習だと言っていなかった? 山に入ったのかい」
「……うん」
澄也はうつむいた。結局澄也は、自分の力では課題ひとつこなせなかった。澄也がもっとうまく交渉できていたら、健が怪我をすることもなかったかもしれない。この狐の親だって今も生きていたかもしれない。
「またうまくできなかったんだ。あのさ……」
いつになく落ち込んだ様子の澄也に首をひねりながらも、白神様はたどたどしい澄也の話に静かに耳を傾けるのだった。
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