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第13話 魔物狩り⑤
実習の翌日は、朝から何かがおかしかった。
たとえば聞こえてくる声の種類が違う。普段であれば真っ先に健が絡んでくるのに、今日はくすくすと感じの悪い笑い声が聞こえてくるだけだった。教室に漂う雰囲気もどこかが違う。遠巻きに視線を向けられるのには慣れているけれど、あからさまな悪意が込められたものには馴染みがなかった。
時間が経つにつれて、違和感は増していった。例えば体育の時間に使う運動靴がない。例えば澄也が席を外した一瞬の間に、机の上の教科書が破かれている。いつもならば面と向かって罵られたり、見えないところを小突かれたりと直接的な嫌がらせが多いというのに、今日はいやにやり方が陰湿だった。
魔物のいたずらかとも思ったけれど、見かけるのは人間だけだ。ぐるりと教室を見渡して、ようやく澄也は違和感の原因を付きとめた。
(健がいない)
昨日の怪我のせいで、健は休んでいるらしい。腹の立つ相手ではあるけれど、健はどんな嫌がらせも澄也の目の前で、必ず自分で実行する。手が出るのは早いが、物を粗末にすることはしない。大人に介入させないためか、本人の中に何か決まりがあるのか知らないが、それが健のやり方だった。
今日は違う。リーダーが不在のいじめっこたちは、ブレーキの利かない暴走車と同じだった。
放課後になるや否や、澄也はトイレへ押し込まれ、床に突き飛ばされた。周囲を囲んでいるのは、昨日も見かけた健の取り巻きたちだった。
「おいスミヤ。お前、教師に言いつけやがっただろ。昨日のこと」
「事情を説明しただけだ。同じことが起こったら危ないじゃないか」
「うるせえよ」
苛立っているらしい相手は、数人がかりで澄也を床に押さえつけてくる。獣型の魔物に飛び掛かられることや、鳥の魔物にいたずら半分でつつかれることに比べれば怖くもなんともないけれど、そんな態度がいけなかったらしい。次の瞬間、澄也は水を全身に被せられていた。
「冷たい。迷惑だ」
「俺らだってそっちに迷惑かけられたんだよ。自分が正しいんですーっていっつも澄ました顔しやがって。気に喰わねえなあ、スミヤくん」
うんざりとした気分で、澄也はじっと相手を睨み返した。
「狩るなって言われたのに何体も魔物に手を出して、結局親狐を怒らせただろう。あれが間違いじゃないなら何なんだ? 健のことだって、見捨てて逃げたのはどうかと思う」
「健? 自業自得だろ。あいつが調子に乗ったせいで俺らまで怒られる羽目になったんだ。むしろ謝ってほしいくらいだっつーの」
「嫌ならなんで言うことを聞いてるんだ。やらなきゃいいだけの話じゃないか」
「……黙ってろ!」
顔を歪めた男子生徒は、不機嫌そうに澄也の脛を蹴りつけた。その力加減の下手さで、澄也はようやく目の前の男の名前を思い出した。小心者の割には口が悪くて力加減が下手な健の取り巻き。高松だ。
「健のやり方は甘いって前々から思ってたんだよ」
言いながらスマホを取り出して、高松はにやにやと笑う。
「なあこれ、なんだと思う?」
画面にうつる写真を見て、澄也は言葉を失った。写真には、鳥居を挟んで笑う白神様と澄也がうつっていた。頭を撫でられているだけの写真だが、角度が悪い。見ようによっては抱き合っているように見えなくもない。
誰かに白神様のことを聞かれたこともなかったから、なんとなく澄也は、誰も白神様のことを知らないし、誰にも見えないのだと思い込んでいた。けれど魔物が見える人間ならば、人でないものが見えるのは、考えてみれば当然のことだ。
「これ、どうして」
澄也の動揺に気づいたのか、高松は歪んだ笑みを満足そうに深めた。
「お前、男が好きなの? こいつ何? 神主? コスプレ? こんなくっついて、ナニしてたんだよ。お前、親に飯もろくにもらえねえんだろ。そりゃあ金もいるよなあ」
「……ふざけるな」
怒りで声が出なかった。澄也のことはいい。けれど高松が笑い交じりに言った言葉は、白神様への純粋な侮辱だ。あの美しいひとを頭の中で汚されているようなものだ。許せなかった。
「白神様がそんなことするはずないだろう! 馬鹿にするな!」
「カミサマぁ? ばっかじゃねえの」
吹き出した高松の声を皮切りに、周囲の生徒がげらげらと品のない笑い声を上げた。
「聞かせろよ、スミヤくん。こいつとどんなことしてんの? 汚いことなんか何にも知りませんって面して、裏ではすげえことしてんのな、お前」
「何もしてない。汚いのはお前の頭の中だろう。最低だ」
「はあ?」
顔を蹴りつけられた。鼻血が床に散る。髪を掴まれ、背を床に何度も叩きつけられたけれど、ろくに抵抗できなかった。軽く小さな体が悔しくてたまらない。
「やめろ!」
「まだ状況分かってねえのな。スミヤくんはサンドバッグなの。黙って言うこと聞いときゃいいんだよ」
「状況、が……分かってないのはどっちだ。顔なんて傷つけたら先生だって知らないふりができなくなる。健がこういうことをしないのは、ぬるいからじゃなくて賢いからだ。そんなことも分からないのか」
「ああ? 男に媚び売って生きてる底辺のくせして、何だお前」
「白神様は俺を助けてくれているだけだ。ひとりじゃ何もできない卑怯者に悪く言われる筋合いはない」
健の名前を出した途端、高松は表情を失った。目だけを不機嫌そうにぎらつかせながら、高松は低めた声で周りの生徒をけしかける。
「……うぜー。おい、こいつ脱がそうぜ」
「何やって……やめろ!」
せいぜい殴られるくらいだろうと思っていたのに、様子が違う。
空気がおかしかった。乱暴に服をはだけられ、力づくで床に転がされる。何をしようとしているのか分からなくて、初めて澄也の背に冷たい汗が伝った。勝ち誇ったように澄也を見下ろして、高松は高圧的に言い放つ。
「オナれよ」
「は?」
「ちんこ握ってオナニーしてみせろっつってんの。言うこと聞かなきゃこの写真、学校と警察に持ってくぞ。神主だか知り合いだか知らねえけど、このカミサマに迷惑かけたくねえんじゃねえの?」
言葉が出なかった。頭が真っ白になって、何を言われているのか分からなかった。
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