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第16話 魔物狩り⑧
物を刻む音がして、ふわりと食欲を誘う香りが漂ってくる。目を開けると、古びた小屋の天井が視界に飛び込んできた。
神社の小屋だ。何度ねだっても泊めてもらえなかったのに、なぜ自分はここにいるのだろう。ぼんやりと目をこすりながら、澄也はゆっくりと身を起こす。
「白神様……?」
あまりにも幸せな光景に、まだ夢を見ているのかと一瞬疑った。
澄也にとっての朝とは、誰もいない家で目を覚まし、前日に持たせてもらった食事をひとり口に運ぶ時間のことだ。こんな風に穏やかに立てられる音で目が覚めることなど、まず有り得ない。まして目を覚ましてはじめに見るのが大好きな神様の顔となれば、この先一年分の幸運を使い果たしてしまったのではないかとさえ思う。
「何を面白い顔をしているんだい」
頬をつねっていると、不思議そうな声が頭上から降ってきた。見れば、皿を両手に乗せた白神様が首を傾げている。
「おはよう、白神様」
「はい、おはよう。目が覚めたならご飯をお食べ。お腹が空いているだろう?」
「うん」
つねった頬は痛かったので、どうやら夢ではないらしい。自分は今日死ぬのだろうか。それとも家と学校が嫌になるあまり、とうとう無意識にここに来るようになってしまったのか。
のそのそと身を起こし、白神様に言われるがままに机の前に座りながら、澄也は不安になって問いかけた。
「俺、夢遊病か何かになった? ここに住めたらいいのにとはいつも思ってるけど、来たおぼえがないんだ」
「坊は連れてこられただけで、寝てる間に自分で来たわけではないよ。安心おし」
「連れてこられた? 白神様はここから出られないんじゃなかったっけ? あれ、でもいつも食べ物はあるから、違うのか……?」
寝起きで頭が回らない。思考をそのまま口から垂れ流していると、白神様はすっかり呆れたように澄也を見ていた。
「まだ寝ぼけているのかい? ……寝相が悪いねえ。ほとんど脱げてしまっているじゃないか」
呆れたように白神様が言う。自分の体を見下ろして初めて、澄也は己が見慣れない白い浴衣のようなものを着ていることに気が付いた。
こんな服は持っていない。腕を上げてみると随分と袖が余るから、白神様のものだろう。
「服なら濡れていたから着替えさせたよ」
「ありがとう」
反射的に礼を言いながら、澄也はぼんやりと昨日の記憶を辿り始める。
――ああそうだ。水を被せられたのだ。
「健がいなくて、トイレに連れていかれて、変な黒い魔物がいて……」
「あの雑魚なら、もういないよ」
「あれは何? 白神様が助けてくれたのか? ……高松たちは大丈夫だったのかな」
「一気に聞くねえ」
肩をすくめた白神様は、並べられた料理を食べろと言うように澄也に手で促してくる。おずおずと手を合わせた澄也は、作り立ての朝食をありがたく口に運んだ。
白神様は作るばかりで物を食べない。だからこのあたたかい食事は、すべて澄也のためだけに用意されたものなのだ。そう思うといつも以上に料理がおいしく感じられて、思わず頬が緩んだ。
澄也が食べている間に、だらりと肘をついた白神様は先ほどの問いに順番に答えをくれる。
「坊が見たのは、ヒトに憑かなければ生きられない魔物だよ。憑かれたものは気付かない」
「憑く?」
「悪意を好む悪食さ。ヒトの集まるところではよく見るけれど、こんな田舎で見ることはそうそうない。見るとしたら森の奥か、誰かが持ち込んだものくらいだ」
珍しい魔物だというなら、あの黒い霧のような魔物に覚えた既視感は気のせいだったのだろうか。考え込む澄也の気を逸らすように、白神様はのんびりと言葉を重ねた。
「怖がることはないよ。どうせ烏の羽ばたきひとつで消し飛ぶような弱い魔物だ」
「烏……そうだ、白い烏を見た気がする。いつも鳥居の側にいるやつ。白神様のペットだったの? ありがとうって言っておいて欲しい」
澄也がそう言った途端に、何が面白いのか白神様は喉を鳴らして笑い出した。
「ペット! ペットか。似たようなものかもしれないねえ。礼なら奴に直接言っておやり。きっと喜ぶよ」
「分かった」
「あとは何だったかな? お前を害そうとした者たちが気になる? あれらも無事だよ」
「そっか、良かった」
出されたものをきっちりと平らげた後で、澄也はそっと目を伏せた。
一昨日は狐の魔物に襲われて立ち尽くすことしかできず、昨日はやられるばかりで高松たちの言葉を撤回させることさえできなかった。誰かに助けてもらわなければ、澄也は嬲られるばかりでろくに抵抗すらできないのだ。自分の弱さがほとほと嫌になる。
「……俺、また、何もできなかった……」
「これからできるようになればいい。それに、何もできなかったということはないだろう? この子狐だって、坊が助けてやったおかげでまだ生きているんだから」
座ったまま近くの白い箱を手繰り寄せた白神様は、澄也を手招きする。箱をのぞき込むと、手当てをされた小さな狐が中ですやすやと眠っていた。
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