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第17話 魔物狩り⑨
「元気になるかな」
「どうかな。魔物の割には治りが遅いからねえ……」
澄也と並んで狐をのぞき込んでいた白神様は、ふと何かを思いついたように言葉を止めた。ちらりと澄也を見たかと思えば、「そうだ、使い魔にしてしまえばいいじゃないか」ときらりと目を輝かせる。
「使い魔?」
「ペットみたいなものだよ。坊は血をやる。この魔物は坊の力になる。狐の傷の治りも早くなるし、腐っても魔物なら坊の役に立つはずだ。坊が大きくなるのを待つより、よっぽど早く強くなれるよ」
「成長期が遅れてるだけだって言ってるじゃん。ちゃんと大きくなるって!」
「そうだね。大きくなれるといいねえ」
ぐっと白神様を睨むけれど、白神様はまるきり子どもを宥めるように澄也の頭を雑に撫でるだけだった。
「でも、いい案には違いないだろう? こんなことばかり続いたら私も心配だ」
「俺は! 自分で! 強くなりたいの! 魔物を使うのなんて卑怯じゃないか」
「卑怯なものか。使い魔だってれっきとした手段だよ。坊たちの学校にも似たようなものがあるだろう。式神と呼ぶのだったかな? それとも霊獣?」
白神様が例に挙げたのは、プロの退魔師が好んで使うものらしい。実物は見たことがないが、澄也も聞いたことだけはあった。
「式神は動く紙人形みたいなものだし、霊獣は特別な育て方をした動物だ。魔物とは違う」
「同じだよ。意思を持たせた時点で人形ではないし、『普通』の範囲を外れた動物はつまり魔物と同じだろう。このちびだって、ちょっと色が白くて、育つと尾の数が増えるだけの狐だろう? 使い魔と呼ぶのが嫌なら霊獣ということにしてしまえばいい。呼び方が違うだけだ」
諭すように言われると、反論のしようがなかった。屁理屈のようにも思えるけれど、そう言われると同じようなものに思えてくる。
「それに、得をするのは坊だけじゃない。狐の傷の治りだってぐっと早くなるよ。坊はこの狐を助けてやりたいのだろう?」
「…………。どうしたらいい?」
長い葛藤の後で、おずおずと澄也は尋ねた。
その問いを待っていたとばかりに唇の端を上げて、白神様はそっと澄也の手を取った。何だろうと思う間もなく、ちくりと鋭い痛みが澄也の指先に走る。見れば、白神様の鋭い爪先が、澄也の人差し指の皮膚をわずかに切り裂いていた。
「痛い!」
「辛抱おし」
かすかに血を纏わせた長い爪先をぺろりとひと舐めして、白神様は艶やかに笑う。ぞくりとわけもわからず背筋が粟立つような、蠱惑的な表情だった。
「ああ、極上の血だ。一滴、その毛玉に与えておやり」
声に導かれるように、澄也はそっと己の指を子狐の前に差し出した。ふるふると鼻先を震わせた真っ白な狐は、乳を求める幼子のように、澄也の指にぱっと吸い付いてくる。狐の顔色など分かるはずもないが、血をひと舐めするごとに子狐に生気が戻っていくことは、澄也にもなんとなく分かった。
子狐が目を開けるのを今か今かと待っていたその時、強い力で後ろから腕を引かれた。あっという間に澄也は子狐から引き剥がされてしまう。
「一滴と言った」
一滴も二滴も変わらない。だってこれは澄也の血だ。けれど、笑顔なのに、白神様の言葉には言い返すのをためらう凄みがあった。
「ごめんなさい」
反射的に謝ってから、きゅう、と弱弱しく聞こえてきた声に澄也はぱっと視線を向けた。
『ニンゲン』
うるうると潤んだ小さな瞳が、静かに澄也を見上げていた。
「俺は澄也。何があったか覚えているか……?」
『かられた。かあさま、あにさま、みんな……』
きゅう、ともう一度狐が鳴く。この狐の家族を遊び半分に狩ったのは、澄也のクラスメイトたちだ。返す言葉に詰まった澄也に代わるように、白神様が尊大に言い放つ。
「お前は命を救われた。この子の血を受けた。白狐の端くれだというのなら、命尽きるまで従い仕えて恩を返せ。さもなくば襟巻にしてやる」
白神様を見た途端、ひどく恐ろしいものでも目にしたかのように子狐はぶるぶると震えだした。かわいそうになった澄也は、白神様から隠すように両手で狐を抱き上げる。
「襟巻になんてしないよ。でも、お前さえよければ俺の味方になってほしい。俺、ひとりじゃろくに自分を守ることもできないんだ」
『スミヤ、たすけてくれた』
ふたつに分かれたしっぽで澄也の手のひらをそっと撫でながら、じっと子狐は澄也を見上げた。
「俺の使い魔になってくれる?」
『いいよ』
「お前、名前は?」
『ない』
「じゃあ、真っ白だからユキにしよう」
『ユキ、わかった』
大人しい狐をよしよしと撫でていると、隣からじとりとした視線を感じる。
「何?」
「……名前までやるなんて。こんな毛玉もどきに」
「ないと不便じゃないか」
「名前というのは特別なものなんだよ」
自分で使い魔にしろと言い出したくせに、なんでそんな不機嫌そうな顔をするのか。白神様の剣呑な視線から隠すように狐を懐に寄せれば、これ幸いとばかりに小狐は澄也の着物の合わせから入りこんできた。くすぐったかったけれど、ぶるぶる震えているのが気の毒で取り出す気にはなれなかった。
空気を切り替えるように、澄也はぐっと伸びをする。
「今日は休みだし、ずっといてもいいんだよな? 畑の手入れ、手伝うよ」
「いいけどね。もう少し子どもらしい趣味を見つければいいだろうに」
「別にいいだろ。畑いじりが好きなんだ。俺も何か果物の木を育ててみたいな」
「苗にしなさい。木は時間がかかるから」
「小さくても良いから木がいい。植えたらずっと残るから」
「坊の好みはよく分からないよ」
外に出るなら身なりくらい整えなさい、という小言を聞き流して、澄也は扉をくぐる。もぞもぞと身動きする小さな使い魔と一緒に、初夏の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
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