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閑話 使い魔の一日②

 鞄のすき間から見える光景に、ユキは興味津々で鼻をひくつかせる。  教室というらしい部屋の中では、澄也と同じ服を着た小さな人間が、何人も集まっておしゃべりをしていた。にぎやかで楽しそうなのに、ユキの主人は別人のように口を閉ざしたまま輪に入ろうとはしない。 『スミヤ、いかないの?』  心配になって声を掛けると、見慣れない冷たい顔をほんのりと崩して、澄也はそっと唇の前に指を立てた。慌てて自分の口を手で押さえて、ユキは鞄の奥に逃げ込んだ。 そうだった。静かにすると約束したのだった。 「おいスミヤ」  鞄の奥に引っ込んだ途端に、嫌な声が聞こえてきた。すき間から見える澄也の顔が、また無表情に戻る。 「……健。傷はもういいのか」 「お前に心配されるほどやわじゃねえんだよ。うぜえ。それよりお前、高松たちに何した」 「俺は何もしていない。したのはあっちだ」 「あぁ? 何もないのにあいつらがあんなに辛気臭い顔するかよ。すっかり真面目ちゃんになっちまって、わけが分からねえ」 「先生たちに説教でもされたんだろう。健だって学校に来られるくらい良くなったなら、呼び出されてるんじゃないのか」  そう言って、澄也はくるりと背を向けようとした。 「おい待て。話は終わってねえ」  途端に焦ったような声がして、ユキの入っている鞄が揺れる。何ごとかと慌てて顔を出せば、今の今まで澄也に絡んでいた少年とぱちりと目が合った。 『おまえ!』 「お前」  忘れもしない、家族の仇だ。唸り声を上げれば、澄也があわててユキを鞄の中へと押し込んでくる。 「やっぱりそれ、持って帰ってたのか! 何考えてるんだてめえ!」 『スミヤをいじめるな!』 「いいから! 静かにしていてくれ、ユキ。健も。こんな小さなやつ、害はないって知ってるだろ」  ユキは小さくない。けれどユキが抗議の声を上げるより早く、大きな鐘の音が響き渡った。 「魔物は魔物だ。俺は納得してねえ。覚えてろ」 「健には関係のないことだ」  鐘の音が下がって上がる間に、ぼそりとふたりは何かを言い合う。  不思議なことに、鐘の音が止まるや否や、大人の人間が中に入ってきた。小さな人間たちは黙って席に着き始める。 『なにするの?』 「しーっ!」  聞いただけなのに怒られた。人間の世界は難しい。  窓の外を飛ぶ魔物を眺めつつ昼寝をしていれば、退屈な時間はあっという間に過ぎていった。  * * *  家に戻って服を変えた澄也は、ユキを連れて神社へとやってきた。待ちに待ったご飯の時間である。ぴんと耳を立てて、ユキはしろいやつの裾を手で押さえる。好んで近寄りたい相手ではないが、この時間帯だけは別である。何しろ澄也とユキのご飯はこのしろいやつにかかっているのだ。 『おにく』 「私は肉じゃないぞ、毛玉」 『ユキは毛玉じゃない! おにくがたべたい』  うりうりと頬をつつく手から逃げながら、ユキは甘えた声で鳴く。澄也ならばこれでご飯を分けてくれるというのに、しろいやつは白けた目でユキを見下ろすだけだ。なんて冷たいやつなのだろう。 「やかましい。お前も獣の端くれなら肉くらい自分で取ってこい」 『しろいのだってニンゲンにもってこさせてるくせに』 「私はいいんだよ。獣じゃないからねえ。……はは、ちび。それは何? じゃれついているのか?」 『ひっかいてるんだ! ばか!』  爪がだめなら牙だ。けれど噛みつきたくとも、体の大きさが違い過ぎてろくに届きやしない。一方的につつかれる不愉快さに泣きそうになっていると、にこにこと機嫌よく笑う主人が外から帰ってきた。 「ただいま。野菜取ってきたよ。……なんだユキ、白神様に遊んでもらってるのか? やっぱり学校じゃなくて昼間も神社にいたらよかったのに」 『ちがう! スミヤもばか!』  とんちんかんなことを言う澄也に体当たりをする。 「なんだ、機嫌が悪いな。お腹が空いてるのかな」 「さあ。毛玉はいいよ。採ったものを台所まで持ってきておくれ、坊」 「うん、白神様」  面白くない。ぽわぽわと幸せそうに笑う澄也も、先ほどまでの意地悪なやつとは思えない優しい声で話すしろいやつも、ユキに構ってくれなくなってしまった。  ふんと鼻を鳴らして、澄也と入れ違うようにユキは外に飛び出していく。  いいのだ。この神社にはもうひとり住民がいる。 『おじじ』  大きく立派な羽を持った白い烏は、いつでも神社の木の上で外を眺めている。ユキがひと鳴きすれば、気難しい烏はもったいぶった動きで下へと降りてきてくれた。 『子狐か。どうした』 『あそぼう』 『遊ばぬわ。それから儂はおじじではなく、八咫烏という名が――』 『おいかけっこしよう。スミヤがおしえてくれた。おじじが鬼ね』 『ひとの話を聞け!』  口ではつれないことを言うけれど、この大きな烏は付き合いがいいとユキは知っている。人間の澄也よりも体力があるので、遊び相手としては澄也よりも好ましいくらいだ。  ひとしきり敷地内を駆けまわったあとで、ユキは羽繕いをしている白い烏をじっと見上げる。 『おじじ。なんでスミヤとはおしゃべりしないの』  澄也が神社に来るたびに挨拶はしているけれど、この烏と話しているところは見たことがない。 『みんなであそんだらもっとたのしいのに』 『たわけ。澄也は人間。我らは人ならざるもの。生き方も常識も寿命も脆さもすべてが違う。あの鬼もお前も、本来であれば関わるべきではないのだぞ。あの糞鬼はともかく、お前の場合は、仲を深めれば深めるほど、いずれ互いに傷つくだけだ』  何やら難しいことを言い出した。ユキにはよく分からない。  学校では退屈そうな顔をしていた澄也が、ここに来ると楽しそうな顔をする。ユキだって楽しい。しろいやつだってきっと楽しいのだろうし、この烏だってなんやかんや言いながらずっとここにいるのだから、居心地がいいのだろう。ならばそれだけでいいではないか。 『理解したか?』  ユキは力強く頷いた。 『ユキはスミヤの使い魔。ずっといっしょにいる。しろいのはきらいだけど、ごはんはおいしい。おじじもいっしょにたべよう』 『だから話を聞けと言っておるのだ! 何も分かっておらぬではないか、まったく……。ほら行け。呼んでおるぞ』  耳をそばだてる。遠くから呼びかける主人の声がして、ユキは耳をぴんと立てた。開かれた扉からはなんともおいしそうな香りが漂ってくる。白い烏に背を向けて、ユキは全速力で走り出した。

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