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第19話 夢に見るもの②

「な、なんでそんな……何かしてた? さっき、誰か見たけど」 「何か? ああ、まあ。そうだねえ」  くすりと笑った白神様は、毒を含んだ甘い視線で澄也を見る。からかいを多分に込めた声音で、白神様はそっと囁いた。 「知りたいかい?」 「……いい!」  聞きたい気もしたけれど、からかいに対する反抗心が勝った。真っ赤になって必死に睨む澄也の顔がよほど面白かったのか、先ほどまでの妖しい雰囲気はどこへやら、白神様は吹き出すように笑い出した。 「初心(うぶ)だねえ。何を考えているんだか」 「白神様が変な顔するからだろ! 悪いか!」 「誰も悪いなんて言っていないよ。清らかなのはいいことだ」 「……ああもう、厄日だ」  声を荒げた澄也を心配するように、ユキがひらりと肩に飛び乗ってくる。小さな相棒の優しさに癒されながら、澄也は白神様の隣に座り込んだ。 「走ってきたのかい、坊。汗だくじゃないか」 「逃げてきたんだよ」 「逃げる? 何から」  口ごもる澄也に代わって、ユキが何でもないことのように口を滑らせる。 『ちゅーしてた』 「はあ?」  このいくつ年上かも分からないひとに言えば絶対に笑われるのが分かっていたから言いたくなかったのに。澄也はなんとなくばつの悪い気持ちで白状した。 「クラスメイトがキスしてるところに出くわしたんだ」 「それで真っ赤になって逃げてきたと」  案の定、吹き出すようにして白神様は笑い始めた。ようやくおさまったはずの頬の熱が、また顔に集まってくる気がした。 「だって、焦るだろ! 抱き合ってた。見ちゃいけないものを見ちゃったって思うじゃないか」 「たかが口吸いだろう?」  笑いの気配を残しながら頬杖をついた白神様が、呆れたように言う。暇なのか、その指は無遠慮にユキの頬を指でつついていた。怒っているのかじゃれついているのか怪しいところではあるが、小さな狐もまんざらではなさそうに指を掴んでいるのでいいのだろう。 「口吸い?」 「キス。唇を合わせて、舌を触れ合わせていたのだろう、ということだよ」 「し、舌……」 「べろのことだよ」 「知ってるよ!」  唇を指し示し、赤い舌をそっと見せる仕草に、かっと頬が熱くなった。猥談を交わす友だちもおらず、電子機器のひとつも与えられていない澄也は、性の知識に疎かった。学校で教わったことと、図書館の本で読んだことだけがすべてだ。 「そんなことはしてなかったと思うけど……舌ってなんで? なんか意味があるのか?」  人の舌を舐めるなんて、あまりきれいとは思えない。澄也が目にした光景は、もっと素朴で、美しいものだったはずだ。 「さあ。気持ちが良いからではないのかい。ヒトは快楽にはとことん弱いくせに、探求心は驚くほど強いようだから」 「舌を舐めるのって、気持ち良いものなのか?」  問いかければ、白神様は底知れない瞳でぐっと澄也をのぞき込み、薄らと微笑んだ。 「試してみたい? 坊が願うなら、何だって叶えてあげるよ」  気付けば、薄い桃色をした唇がごく間近にあった。甘い声が耳を痺れさせる。蕩けるような眼差しを見ていると、頭がぼんやりとして仕方がない。  わけも分からないまま、好奇心に釣られて頷いてしまいそうだった。けれど澄也はきゅっと唇を引き結ぶと、渾身の気合いを込めて白神様の唇から視線を逸らす。 「だから、からかわないでくれって! 俺、白神様を犯罪者にはしたくない」 「なんで私が犯罪者になるんだい?」 「俺、未成年。白神様はうんと年上だろう。だから、その……い、いやらしいことをすると、白神様が捕まる。淫行はいけない」  腕を突っ張って距離を開ける。しばしの間、沈黙が落ちた。白神様は、違う言語でも聞いたかのようにぽかんとした顔をしていた。 「淫行」 「そういうことだろ!」  一瞬の沈黙の後で、白神様は腹を抱えて笑い出した。涙まで浮かべながら、けらけらと肩を揺らして笑っている。澄也はごく真面目に言ったというのに、なぜ笑われるのか理解できなかった。何年も一緒にいるが、このひとの笑いのツボはいまだに分からない。 「淫行! たかが口吸いひとつで? 私相手に?」 「何もおかしなことは言ってない! そんな笑わなくたっていいじゃないか!」  ごめんごめん、と澄也の頭を軽くかき回した白神様は、唇の端を緩めたままぽつりと呟く。 「私にヒトの理を説くなんて! 本当に、お前といると退屈しない」 「え? ありがとう」  つまらない人間だとか不気味だと言われた経験は数多くあれど、澄也を面白いと言うのは白神様だけだ。ごく真面目に礼を言えば、また発作でも起こしたかのように白神様は笑い出してしまう。  笑うなと言っても笑うことは分かっていたので、黙ってぶすくれることしか澄也にはできなかった。 「ああ、笑った笑った。口吸いの話ひとつで真っ赤になるお前に『いやらしい』ことを教えたら、どんな顔をするんだろうね。少し興味が湧いた」 「だから、いいって!」 「分かっているよ。坊が大人になったらね」  流し目を向けられて、心臓がおかしなぐらいに跳ね上がる。そのままついでのようにふわりとつむじに唇を落とされたものだから、頭が真っ白になった。 (今のは何だ?)  食事にしようかと腕を離されても、いつも通りにおいしい食事を食べている間も、手を振って別れる間も、澄也の脈はどきどきと乱れたままだった。

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