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第23話 これは恋かと問いかける①

 息をひそめて木に隠れる。おしゃべりなクラスメイトたちの声が遠くに行ったことを確かめて、ようやく澄也は力を抜いた。  季節は秋。高校生となった澄也は、十六歳になっていた。見下ろした水たまりには、景気の悪い顔が映っている。生来の生真面目さはそのままに、年を重ねたことで顔つきは精悍さを増した。  ちびだった澄也はもういない。中学の三年間でぐんと伸びた背たけは、周囲と比べて頭ひとつ抜けるほど高くなった。長身だと思っていた白神様と、今ではあまり目線も変わらない。それはいい。問題は別にあった。 「……なんで追いかけてくるんだろう」  ぼそりと呟けば、澄也の影からするりと一匹の白い狐が飛び出してきた。 『スミヤとあそびたいんだよ』  くりくりとした黒目はそのままに、本人いわく立派な使い魔となったユキが澄也の肩へとのぼってくる。しっぽが三本に増えると同時に、小さな相棒は鞄ではなく澄也の影にもぐる力を手に入れた。もぐれるのは主人である澄也の影だけだというので、正直なところ実用性は感じられないけれど、ユキは喜んでいるので良いのだろう。 「そんなわけがない」 『きっとそうだよ。ユキには分かる。だってニンゲンはきれいなものが好きっておじじが言ってた』 「俺は何も持ってない」 『しろいのがうつくしく育ったねって言ってたもん』  たしかに言われた。白神様の好きな顔であるなら良かったと思ったけれど、それだけだ。服装の乱れは心の乱れだと言うから身だしなみは整えるようにしているけれど、周囲に自分の容姿がどのように映るのか、澄也はあまり興味がなかった。  だから理解できなかった。ついこの間まで遠巻きにされていたのに、高校に上がった途端に周りに人が寄ってくるようになった理由が分からなくて、恐ろしい。 「……あ」  ユキを撫でていたそのとき、聞き覚えのある声が聞こえてきた。手慣れた仕草でユキはそそくさと澄也の影に逃げ込む。振り返ると、ひまりがほうきを持って立っていた。 「ひまり? 何してるんだ」 「私、園芸部だから。花、そこにあるでしょ」 「園芸部なんてあったのか」  ぎこちなく会話を交わす。中学のときに一度話して以来、話す機会もなかったから、なんとなく気まずかった。 「人気者だね。向こうで澄也、探されてたよ」 「探される理由がない」 「誰かに誘われるのが苦手なら、部活に入ればいいのに」 「部活に入ると帰りが遅くなるだろう。夕方は行く場所があるから」 「神社? まだ行ってたんだ。好きだね。ならゆるい部活入れば? みんながみんな真面目にやってるわけじゃないんだから、多分、探せばいくらでもあるよ」  そう言うと、会話を打ち切るようにひまりは掃き掃除を始めてしまった。おかしな話だが、そんなそっけない態度にほっとした。だからか、ついつい口が緩んだ。 「学校って難しいな。俺、うまくできないんだ」 「まだ言ってるの?」  胡乱げな表情で、ひまりはちらりと澄也を見た。額から足先までさっと視線を走らせたかと思うと、どうでも良さそうにひまりは言う。   「顔がいい。背が高い。頭もいい。見た感じ、体だって鍛えてるでしょ。余計なことさえ言わなきゃ、人気者だよ」 「余計なことって?」 「空気の読めないこと」  澄也は力なく首を振った。 「じゃあ無理だ。空気も何も、分からないことだらけだから」 「たとえば?」  葉っぱを集めながら、それでも律儀にひまりは返事を返してくれる。子どものころのひまりは優しく穏やかな子どもだったことを思い出す。幼い日に戻ったようで、少し懐かしかった。   「本当は答えが分かってるのに、分からないふりをしてわざと聞いてくる人がいる」 「仲良くなりたいんだよ」 「前まで避けられてたのに、クラスが変わった途端に話しかけられるようになった」 「環境が変われば考え方だって変わるでしょ」 「何も俺のことを知らない人に、好きだから付き合ってくれって言われても、どうしたらいいか分からない」 「もてて良かったね。お友達からお願いしますって言えば?」  淀みなく返される答えに感嘆する。ついでのように、澄也は質問を重ねた。 「俺も園芸部、入っていいか?」 「はあ?」  面倒臭そうにひまりは顔を歪める。 「なんで」 「土いじりが好きなんだ。桃の木を育ててみたい」 「もう半年経ってるよ。普通入学してすぐ入らない? それに、桃の木……? 何年も立たなきゃ実がつかないやつじゃなかった? そもそも木って育てていいの……?」  ひとしきり疑問符を浮かべた後、疲れたようにひまりは首を振った。 「入部届出すだけだよ。あとは先生に聞いて」 「分かった。ありがとう。……あ、そうだ」  聞こうと思ったのは、本当にただの思い付きだった。ここ数か月というもの、澄也を悩ませ続けていることがある。恋人がいる彼女ならば、何かしらいい方法を知っているのではないかと思ったのだ。   「まだあるの? いい加減私掃除したいんだけど」 うんざりとした様子でひまりは振り返る。 「ひまりは、付き合ってる人がいたよな」 「…………もう別れた」 「え」    予想していなかった言葉に澄也は硬直する。剣呑に強張ったひまりの表情を見れば失言だったらしいとは分かるが、フォローのしようがない。 「……ごめん」 「いいよ。それで、何?」   呆れたようにため息をつきながらも、ひまりは聞いてくれるらしい。数秒考えた後に、この機会を逃せば相談できる人もいないのだから、と澄也は意を決した。   「何をしても頭から離れないひとがいるんだ」 「そう。それで?」 「なんでか分からないけど集中できなくて、どうにかしたいんだ。ひまりなら、どうしたらいいか知らないか」 「そんなの、恋してるってことじゃないの? 私じゃなくて、そのひとに直接聞けば治るんじゃない」    投げやりに答えると、ひまりは「なんか疲れた」とぼやいて、今度こそほうきを握って離れていってしまった。後には落ちたいちょうの葉だけが残される。黄色の葉の山を見つめながら、澄也は眉を寄せて首を傾げた。 「恋……?」  出会ってからもうすぐ十年。澄也は白神様に、恋をしているらしい。

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