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第25話 これは恋かと問いかける③

 からかわれただけなのだと気づいて、むっすりと澄也は唇をへの字に曲げる。澄也の気も知らずに、白神様は笑いをこらえながら「分かっているとも」と宥めるように口にする。   「お前に出会ってこの方、退屈したことなんてないよ。心配しなくていい」 「そっか。それならいいんだ」  空いた皿に伸ばされた白神様の手をなんとなく捕まえて、手遊びのように手を合わせる。白神様の手は白くて、爪の長いしなやかな指をしていた。だいぶ追いついてはきたけれど、それでもまだ白神様の方が手が大きい。  からかわれれば心拍数は上がるし、触れたいと思うこともある。けれど、これだけ近づいても胸が高鳴ることはない。恋というのはもっと苛烈で甘くて胸が締め付けられるようなものではないのだろうか。  合わせた指がゆるりと動く。指と指を絡め合って、試すように白神様は微笑んだ。 「恋人になりたい? お前が望むなら、叶えてあげるよ?」  心惹かれなかったと言えば嘘になる。けれど、白神様自身がそう望んでくれているわけではない。  ならば、甘い言葉に頷いてはいけない。  そうしたが最後、澄也は白神様の望む澄也ではなくなってしまう。澄也は清く正しくまっすぐに生きることを望まれているのだから。  白神様と出会った日から、本能的に澄也が知っていることだ。だから澄也は首を横に振った。   「いい。俺は白神様が好きだけど、恋人になりたいわけじゃない……と思う」 「そう。まあ、恋だろうが恋でなかろうが、別にいいじゃないか。何が変わるわけでもない。坊は私を好いていて、私も坊のことが好きなのだから。無理をして何かをする必要もない。それとも何か、困っているのかい?」 「……ううん、何も」  ぐっと唇を噛み、澄也は小さな嘘をついた。困っているに決まっている。どうしようもない、正体も分からない気持ちは澄也の中で育つばかりなのだから。そうでなければわざわざ疎遠だったひまりを捕まえてまで相談しない。  それを正直に告げる代わりに、澄也は昔から変わらない、唯一明確な気持ちだけを口にした。   「俺は白神様とずっと一緒にいたいだけだ」 「坊が大人になったらね」 「いっぱい勉強するよ。この神社の経営とか、鳥居の修理とか、そういうことができるようになるように。白神様の役に立てるように頑張るから、ずっと俺のそばにいて欲しい」  手を握る力を強めながらそう言えば、白神様はからからと笑って澄也の手をするりと振りほどいた。逃げた手を追うより前に、白神様は二度軽く澄也の頭を撫でていく。 「役になんて立たなくていいんだよ。何度言えば分かるんだろうね。元気に育ってくれればそれでいい」  つむじにひとつ、額にひとつ。ふわりと優しくキスを落とされる。焦がれるように目を細めて、澄也はそろりと白神様の髪を握った。  役に立たなくていいのだと白神様は言うけれど、ならば不定期に神社を訪れる美しい人たちはなんだというのだろう。見ず知らずの誰かで退屈を紛らわせるくらいなら、澄也を頼ってくれたっていいはずだ。甘えなのか欲なのかも分からない己の声を、澄也はぐっと心の中に押し込めた。  澄也の気持ちも知らずに、白神様はからからと機嫌よく笑う。 「『高校』は楽しい?」 「……分からない。中学とは少し変わった気がするけど」  嘘はつきたくなかったから、そう答えるしかなかった。 「お前は曲がらぬまま健やかに育った。人が寄ってくるようになったろう?」 「うん。なんでいきなりそうなったのか分からなくて、不気味だ」 「坊も周りも大きくなったからさ。言ったろう? 目を引くものを排除したがるのは幼いうちだけだって。怖がることはない。気に入ったものがいれば仲を深めてみればいいよ。坊の心にも魂にも、きっといい刺激になるからね」 「……うん」  澄也は白神様がいればそれでいい。他人なんてどうでもいい。けれど、それをそのまま告げることには抵抗があった。澄也にとって白神様はそれだけ大きな存在だけれど、白神様にとってはきっとそうではない。慈悲を掛けてくれているだけだと知っているからだ。 (それでもいい。白神様が俺だけの神様であってくれるなら、それで十分だ)  これ以上を求めるのは強欲だ。分かっていても、澄也の心は言うことを聞いてくれなかった。白神様のさらさらの髪を一房手に取って、澄也は許しを乞うように自らの額に当てる。 「おや。様になることを覚えてきたねえ」 「からかわないでよ」  慣れないことをしてみても、意地悪なひとは動揺ひとつしてくれないのだからやってられない。唇を尖らせて体を離し、ぱっと澄也は立ち上がる。隣で黙々と桃をかじっていた食いしん坊の使い魔を抱き上げて、澄也は振り返った。 「また明日来る。じゃあね、白神様」 「気をつけてお帰り、坊」  背を曲げて小屋の扉をくぐり抜ける。外に出た瞬間、烏のしわがれた鳴き声が空から降ってきた。何かを訴えるように、烏は年々鳴く頻度を増していく。けれども烏は警告音に似た声を発するだけで、言葉にしてはくれなかった。  首を傾げながら、ひらりと澄也は手を振り、背を向けた。

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