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第33話 秋祭り③

 週末ということもあってか、花屋には絶えず客が訪れていた。接客や花束作りは主にひまりの母親の担当で、ひまりと澄也は花の手入れや会計の手伝いをこなすだけだ。  不慣れながらも精一杯働いているうちに、あっという間に時間は過ぎていく。ようやく客の出入りが途絶えた夕方、澄也はある花の前で立ち尽くすひまりを見つけた。  ひまりの視線の先にあるのは、夏に見かけるものよりも一回り小さなひまわりの花だった。眺めているだけかと思ったけれど、それにしては表情が重い。どこか泣きそうにも見えるひまりは、『忘れられるかもしれないよ』と澄也に付き合いをもちかけたときと同じ表情をしていた。不思議に思いながら、澄也はひまりに近づいていく。 「ひまわりか。ひまりの花だな。秋にも咲くって知らなかった」  背中から声をかけると、ひまりはびくりと肩を揺らして振り返った。周りが目に入らないほど深く物思いにふけっていたらしい。 「びっくりした。スミヤ、心でも読めるの?」 「え? まさか」  首を傾げながら、澄也は運んでいた荷物を隅に降ろした。 「こっちの片付けは終わったよ。店長が手伝いの分のお小遣いを渡すから、ひまりと一緒に待ってるようにって言ってた」 「店長? ……ああ、お母さんのことか。じゃあ、お茶でも飲む? 麦茶持ってくるから、先行ってて」  ぱたぱたと小走りに家に向かったひまりを見送り、澄也は店の外に出る。夕暮れ時ということもあってか、ほんのりと冷えた空気が心地よい。  店先に置かれたベンチに座っていると、奥から麦茶の入ったコップをふたつ持ってきたひまりが、ひとつを澄也に渡してくれる。ほどよく冷えた麦茶は、慣れぬ仕事で疲れた体に染み渡るようだった。  一息ついた後で、澄也はおもむろに口を開いた。 「さっき心を読んだのかって言ってたのはどうしてだ?」 「別に大したことじゃないよ。『秋のひまわりは小さいからひまりの花だ』って前にも言ってた人がいたなってちょうど思い出してたから」  ひまりはそう言って控えめに笑った。悲しげなのに、どこかはにかむような表情はかわいらしい。その顔には、不思議と見覚えがある気がした。どこで見たのだったかと考えて、中学のとき、扉の隙間から見えた儚く美しい景色を思い出す。 「言ったのは、前に付き合ってた人か?」 「……よく分かるね」 「同じ顔をしてた。なんで別れたんだ?」  疑問をそのまま口に出せば、ひまりは顔を引きつらせた。からりと音を立てて麦茶の中で氷が割れる。 「そういうこと聞く?」 「あ、聞かない方がいいのか? ごめん」  あからさまに肩を落としたひまりを見て、あわてて澄也は謝った。けれど、澄也はズレてる、と顔をしかめながらも、ひまりは澄也の疑問に淡々と答えてくれる。 「蓮くんは、隣の県の高校に行くことになったの」  蓮くんというのがひまりの元恋人の名前らしい。続きを待つけれど、それ以上ひまりは話そうとしない。困り果てた澄也は、首を傾げながら問いかけた。 「それが何かまずかったのか?」 「まずいよ。分かるでしょ。遠距離なんてうまくいかないってみんな言うじゃん。だから別れたの」 「みんなって?」 「みんなはみんなだよ。友だちとか」 「蓮くんもそう言ったのか?」 「蓮くんは、言ってないけど……」  ますます澄也は首を傾げた。 「関係ない誰かが無理だって言って、どうして無理ってことになるんだ?」  澄也にはよく分からなかった。たとえばそれが白神様の言葉ならば信じるかもしれないけれど、周りの誰かの言葉がどうしてそこまで関係あるのだろう。誰もいない教室で笑い合い、ひそやかにキスしていたときには、あんなに幸せそうに見えたのに。思ったことをそのまま口にすれば、ひまりは目元を赤くしながら澄也を睨んだ。 「澄也には分からないよ。そんな簡単なことじゃない。最初は良くても、気持ちなんて変わるかもしれない」 「試しもしないうちから分かるのか?」 「……澄也のそういうところ、苦手だよ。私が悩まなかったと思うの? 澄也の言うことは正しいかもしれないけど、みんながみんなそういう風にできるわけじゃない」  むっとしたように顔を強張らせて、ひまりは苛立ちを表すように空のカップを揺らした。   「ごめん」 「いいよ。でも、前も言ったかもしれないけど、澄也はもう少し周りの人の顔を見た方がいいと思う。言わなくてもいいことを言って、『うまくできなく』なっちゃうの、そのせいだよ」 「顔を見るって?」 「顔そのものっていうか、気持ちを見るの。その人の目や表情を見たり声の調子を聞いたりすれば、その人が何を考えているのか、何をしてほしいのか、何をしてほしくないのかって、なんとなく分かってくるものだよ」  ため息をついたひまりは、足をぶらぶらと揺らしながら夕焼け雲を見上げていた。ひまりの言葉通り、澄也はじっとひまりの顔を眺めてみた。不機嫌が滲んでいること以外はいつも通りに見えるけれど、その目はどこか遠くを見ていて、苦しそうだった。声音だって思い返せばどこか落ち込んでいる。ひまわりの花を見つめていたときからいつになく口数が多いのは、気を紛らわしたいからなのかもしれない。  なぜ、と考えて、ああそうかと腑に落ちた。  きっとそれは、何かをしていなければ、嫌でも考えてしまうからだ。 「ひまりの頭の中から、蓮くんは離れてくれないんだな。だから俺と付き合おうなんて言ったんだ」  ひまりは澄也を見なかった。否定も肯定もしないまま、ただじっと空を見上げていた。会話が途切れると、もの寂しい鈴虫の声がいやに大きく聞こえてくる。並んで空を見上げながら、ぽつりとひまりは呟いた。 「澄也だって同じなんでしょう。ならいいじゃん」 「悪いとは言ってないよ」 「恋ってつらいね、澄也。恋に落ちることも、恋を忘れることも、自分じゃどうにもできない」 「……そうだな」  ひまりの瞳は潤んでいた。こちらを頑なに見ようとしないのは泣きそうだからなのだとようやく気付く。想いの純粋さが透けて見えそうなほど、その横顔はきれいだった。  ひまりの『恋』を知るほどに、澄也が抱える違和感は増していく。  白神様と一緒にいたい。名前を知りたい。肌に触れたい。あのひとには澄也だけの神様であってほしいし、白神様があのきれいな目で柔らかく見つめる人間も、澄也だけであればどんなにか良いだろうと思う。見捨てられるくらいなら、死んだ方がましだ。  それはひまりの恋のようなきれいなものとは違う、べたりと粘ついて剥がせない、どろどろとした感情のように思えた。  これは本当に恋なのだろうか。  ぽつりぽつりと話をするうちに、束の間のアルバイトの時間はあっという間に終わっていた。

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