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第34話 秋祭り④
祭りの日の夕方、澄也は神社の小屋で人形のように直立していた。着物をもらったものの、着物どころか浴衣さえ着たことのない澄也は自分で着ることができなかったのだ。
必然的に、澄也は白神様を頼ることになった。
「後ろを向いて」
誰かに服を着せてもらうなんて、いつぶりなのかも分からなかった。少なくとも澄也の記憶にある限りでは、初めての経験だ。
腕を上げたり下げたり、くるりと回ったり、白神様に言われるがまま動きながら、澄也は着物を緩く着付けてもらう。澄也には浴衣と変わらない形に見えるそれは、着流しと呼ぶ着方らしい。
「はい、終わり。よく似合うよ、坊」
「ありがとう。白神様」
着慣れぬ布地に違和感はあったが、白神様が裾を調整してくれた着物は、澄也の体にぴったりだった。特別な装いをするだけで、いつもと違う浮かれた気持ちになる。
『ユキも』と騒ぐ使い魔の首元をリボンのように細長い布で飾ってやった後で、澄也は鳥居の外に出た。見送りに来てくれた白神様は、鳥居をくぐる直前でぴたりと足を止める。
「楽しんでおいで。危なくなったらいつでもお呼び。見ているから」
「ユキもいるから大丈夫だよ。……白神様は来ないのか?」
期待を込めて見上げるが、白神様は穏やかに微笑むだけで、頷いてはくれなかった。眉尻を下げれば、苦笑とともに軽く背中を叩かれる。
「いってらっしゃい、坊」
「……いってきます」
ごまかされたとは思ったものの、背を軽く押されて送り出されれば、それ以上何かを言うことはできなかった。
* * *
部員たちと合流した後で、古びた道を進んでいく。祭りの会場は賑やかで、浴衣姿どころか面をつけたものまで多くいた。耳慣れぬ音楽が鳴り響き、楽しげな喋り声がそこらかしこから聞こえてくる。澄也はほうと息をつきながら、あたりをじっくりと見渡した。
「祭りって、こんなに賑やかなんだな」
「苦手?」
「楽しいよ」
「遊ぶともっと楽しいよ。ほら澄也、こっち」
とんぼの柄の浴衣をまとったひまりが、近くの屋台の前でひょいとかがみこむ。真似をして澄也もかがみこむと、店主が小さな網のような道具を渡してくれた。どうやらこれで金魚を取ればいいらしい。
しかし、何も考えずに水につけた途端、紙でできた網はあっけなく破れてしまった。
「なんだ? 白峰、やったことないのか」
「初めてやった。これ、不良品じゃないんだよな?」
「こういうもんだよ」
澄也が初めて祭りに来ると知るや否や、部員たちは手当たり次第に澄也を屋台へと連れていった。おかげで一息つく頃には、お面にヨーヨー、金魚の入った袋といった細々とした荷物が増えていた。屋台すべてを巡ったのではないかと思うほど色んな食べ物を食べさせられたせいで、腹がはちきれそうだ。
射的で遊んでくるという部員たちを見送って、道端のベンチに澄也は腰を下ろした。もりもりと戦利品を食べ続けるユキを眺めつつ、無意識にため息をつく。楽しいけれど、人混みに少し疲れた。
耳を傾ければ、人も多いが人ではないものの声も多く聞こえてくる。人が集まると悪意も集まると言った白神様の言葉の意味がよく分かる気がした。小さな魔物だけならまだしも、あまり良くないものの声が聞こえてくるのは、心臓に悪い。
ぼんやりとしていたその時、突然肩を叩かれた。びくりと体を震わせた後であわてて振り返れば、くすくすと笑うひまりが後ろに立っていた。
「び……っくりした……。ひまりか」
「ごめんごめん。澄也、ぼーっとしてるんだもの。つい。……疲れた?」
「疲れたっていうか、見たことのないものが多くて、目が回った」
「いっぱい買わされてたもんね」
みんな悪ノリするんだから、とひまりは笑う。けれど、その声はどこか沈んでいるように思えた。どうかしたのかと聞くより前に、ひまりはぱんと手のひらを打ち合わせる。ひまりの顔には、何かから気を逸らそうとしているような、どこか無理をした明るさが張り付いていた。
「ね、少し休んだら一緒に回ろうよ。せっかくだから浴衣デートしよう」
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