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第39話 秋祭り⑨
返事がない。聞かれたから答えただけなのに、ひまりは頬を引きつらせて澄也を見返してくるだけだった。気を取り直すように何度が咳払いをしたかと思うと、ひまりはようやく口を開く。
「澄也って重いんだね。……でも『どこにも行けないようにしたい』とか『お前を殺して俺も死ぬ』とかそういうのじゃないだけましなのかな」
ぽかんとするのは澄也の番だった。
考えたこともない発想だった。だって白神様は澄也の神様だ。願いを叶えてくれるのは白神様であるべきで、澄也に許されるのは願うことだけだと思いこんでいた。
そもそも澄也が白神様をどうこうするなんて、そんなことが可能なのだろうか。
「……もともとの体のつくりが違う。腕力じゃ敵わない……傷もすぐに治るし、術の知識もまだ負けてる……」
加えて白神様は物を基本的に食べないし、風邪を引いているところなど見たこともない。毒や薬の類がきくのかさえ分からない。
ぶつぶつと呟きながら、澄也はユキをちらりと見た。なぜか苦い物でも食べたかのような顔で澄也を見上げている使い魔は、こう見えてかなり力が強い。年々強くなっている気がするほどだ。白神様が駄々をこねるユキに張り付かれて剥がすのに苦労しているところはよく見かけるし、白い大烏に蹴られてたたらを踏む場面を見たこともある。
澄也ひとりでは難しいことでも、魔物の力を借りれば不可能ではなくなる。いかに白神様が強くても押さえられないことはないかもしれない。
そもそも動ける範囲を制限されているのは何らかの術によるものなのだから、そういう術だって探せばあるのではないか。思索に耽りかけたそのとき、ひまりが鋭く澄也を見上げてきた。
「やめてよ澄也。本気にしないで。私が聞きたいのは甘い話なの。犯罪の手伝いならしないからね」
普段より低い真剣な声に、はっと澄也は我に返る。ひまりはじっと澄也を見ていた。厳しい目線から逃げるように目を逸らし、ごまかすように澄也は頬をかく。
「ごめん。考えたこともなかったから、そんなことができるのかなってちょっと気になったんだ」
「できたとしてもやっちゃだめだよ」
「できないし、しないよ。あのひとの嫌がることはしたくないんだ。笑って楽しそうにしてる顔が一番好きだから」
そこまで聞いて、ひまりはようやくほっとしたように息を吐いた。
「うん。そういうのでいいの。頑張ってアピールして、一緒にいると楽しいなって思ってもらえたら、そのひとだって澄也とずっと一緒にいたいなって思ってくれるよ。真っ向から攻めて行こうよ。ね?」
「そうだな。そうする。頑張るよ」
「応援するからね!」
互いに手に持ったじょうろを拳代わりにこつりとぶつけ合う。ぽこりと鈍い音が響いて、ふたりはくすくすと笑い合った。
けれどそんな和やかな空気を壊すように、唐突に目の前の地面がはじけ飛ぶ。視界の端に黒い影を捉えた瞬間、とっさに澄也はひまりを庇った。目を丸くして固まるひまりとは対照的に、澄也はさっと土に紛れたもぐらのような魔物の姿を見つけ出す。
「ユキ」
『うん』
阿吽の呼吸で飛び出した白い狐は、目をきらきらと輝かせてもぐらに喰いついた。引っかかれればただでは済まないだろうもぐらの太い爪も、ユキは器用に前足で押さえつけている。毎日遊びまわって鍛えているユキにかかれば、この程度の魔物は相手にならないらしい。
いたずらしたかっただけなのだと喚く魔物の声を聞きながら、澄也はぼそりとユキに声を掛けた。
「食べるなよ」
『たべる。おしおき! ユキはスミヤをまもる』
「ユキはえらいな、でも」
『たべなきゃまた来る。えものは逃がすなっておじじが言ってた!』
「分かったよ……」
誇らしげに二本の尻尾を揺らめかせるユキを放置して、澄也はひまりを振り返る。途端に、きらきらとしたいくつもの瞳と歓声が澄也を包み込んだ。
忘れていたけれど、ここにいるのは澄也とひまりだけではないのだ。ふたりが別れ話を始めたと見るや気を遣って距離を取っていたはずの部員たちも、今の騒ぎを見ていたらしい。
「あんな早いやつ、よく見えたな!」
「ユキちゃん、霊獣だって本当だったんだね」
「すげえじゃん」
「え」
興奮したような部員たちの声に、澄也はあたふたと目を泳がせた。うっかりユキと話をしてしまったというのに、誰も澄也を不気味がるような目をしていない。普通ではないふるまいをしてしまった後で、こんな風に優しく声をかけてもらったことなど、澄也にとっては初めての経験だった。落ち着かないあまり後ろに下がろうとしたけれど、隣の友人がそれを許してはくれなかった。
澄也の背を軽く叩いて、ひまりがにこにこと自慢するように笑う。
「ユキちゃんと澄也ね、お祭りのときも助けてくれたんだよ」
「ひまり! 俺は何もしてない。助けてくれたのはユキで――」
ユキを前面に出そうとするが、使い魔であるはずのユキまでも澄也を逃がしてはくれなかった。魔物を腹に収めるや否や、ユキは澄也の頭に飛び乗って高らかに鳴く。
『スミヤとユキはつよい! みて!』
ユキの言葉が分かるものなど澄也だけのはずなのに、まるでその言葉が届いたかのように周りからあたたかい視線が集まる。慣れない視線に、顔がじわじわと熱くなっていった。
「照れてんなよ!」
無遠慮に肩を叩かれるその感覚さえ新鮮で、どうしたらいいのか分からない。明るい笑い声に包まれたその日をきっかけに、澄也の高校生活はこれまでにないほど優しく穏やかなものへと変わっていった。
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