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第40話 一歩進めば戻れない①
楽しい時間ほどあっという間に過ぎていく。部活に通っては植物の世話をして、時折友人たちと近場に出かけて、澄也のもうひとつの家ともいえる神社に通う穏やかな日々を過ごすうちに、気付けば季節は一巡りしていた。
高校三年の春。
校門の前には桜の花びらが降り積もり、新入生たちの朗らかな声と、上級生の勧誘の声が絶え間なく聞こえてくる。もっとも園芸部は人の波から外れた校舎裏を主な活動場所としているので、春だろうが秋だろうが騒がしさにはあまり縁がない。ここ最近の日課となった花びらの掃き掃除をしていたとき、ふと思い出したようにひまりが顔を上げた。
「ねえ今日、十五日じゃない?」
「そうだけど、何かあったか? 新入生の歓迎会ならまだ随分先だった気がするぞ」
「部活のことじゃないよ。澄也、今日誕生日じゃなかった? 大人になったって言えるじゃん」
「いきなり何だ」
脈絡のない言葉に思わず顔を上げれば、まるで澄也の方がおかしなことを言ったかのように、ひまりは不思議そうな顔をした。
「嬉しくないの? 十八歳だよ、十八歳」
「それがどうかしたのか」
「十八って言ったら成人だよ? 年上のひとにアピールするなら、この日を逃す手はないでしょう」
「年上の人? 蓮くんはどうしたんだ。週末に会うって昨日言ってたのに」
「誰が私の話をしたの。澄也の話をしてるんだってば!」
嫌そうな顔をするひまりの恋愛は順調そうで何よりである。べしべしとほうきで地面を意味もなく叩きながら、ひまりはふんと拗ねたように鼻を鳴らす。
「俺の話?」
「澄也の好きなひとをどう落とすかって話だよ! 分かってないなあ、もう。毎日会ってていざ口説くなんて難しいから、こういう特別な日こそ絶好のチャンスなのに」
さらりと言われた言葉に、澄也はぱちぱちと目を瞬かせた。
「毎日会ってるって言ったっけ」
「言われなくても分かる。人間じゃないって前に言ってたし、あれだけ毎日神社に通ってたらさすがにね。だから余計に今日が攻め時だと思うんだよね。普段とちょっと雰囲気変えてさ、真面目な顔して迫ればくらっと来てくれるかもしれないじゃん」
「真面目に迫った途端に笑い飛ばされるよ」
はいはい分かった分かったと言われて頭のひとつでも撫でられるのが関の山だ。試すまでもなく想像がつく。けれど、むっとしながらひまりが言い返した言葉が澄也の心をほんの少しだけ動かした。
「でもさ! それって子ども扱いされてるからなんでしょ? だから、『俺はもう大人だ』って言えばいいんだよ。ちょっとくらい見る目を変えてくれるかもしれないよ」
「大人か?」
「法の上では。人間じゃないひとに関係あるかはともかく、気持ち的に変わるでしょ」
一理あるような気もした。恋やらいかがわしい夢やらで悩んでいたとき、相談に乗じてからかってきた白神様に対し、年齢を引き合いに出したのは澄也の方だ。
けれど、と澄也はため息をつく。
「何も変わらなかったら? いや、それならまだいいけど、じゃあもう守ってやる必要もないね、なんて言われたらどうしたらいいんだろう」
「澄也らしくもない。言ってから考えなよ。もしそうなったらジュース奢ってあげるから。今日しかできないことを今日しなかったらもったいないじゃない」
「そう言われるとそうかもしれないけど、でもな……」
「言うだけならいいじゃない。素敵なお祝いをしてもらえるといいね」
にこにこと笑うひまりに、澄也は肩をすくめて返した。誕生日のお祝いというなら毎年白神様にしてもらっている。正直なところ、十七が十八になったところで、いくつ年上かも分からないひとが今さら見る目を変えてくれるとは思えない。
けれど妙に楽しそうなひまりは、意味がないとは思っていないようだった。いつになく押しの強いひまりに乗せられるがまま、気付いたときには澄也は白神様と話をすることを約束させられていた。
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