一度手が届いてしまうと、それまでどうしてそうせずにいたのか分からなくなるほど、触れ合うことが当たり前になっていく。 　神社からの帰りがけ、鳥居の前に立ち尽くした澄也は、その日も白神様と唇を合わせていた。舌を吸われてたどられるたび、背筋を這い上がるような、ぞくぞくとした快感が全身に走る。 　多分、これはいけないことだ。倫理だとか法律だとか、そういう意味ではない。体を寄せ合い、唇を合わせて、舌を絡める。たったそれだけのことなのに、頭がぼんやりとするほど気持ちがよくて、恐ろしいくらい中毒性がある。続けていたら、おかしくなるという確信があった。 「白神様、もう終わりに……！」 「どうして？　お前が始めたことだよ。嫌になった？」 　もう何日も、同じやりとりを繰り返している。 　澄也は白神様のことが大好きだ。嫌か嫌ではないかと言われたら、嫌であるはずがないのだ。そういう言い方は卑怯だと澄也は思った。 「嫌じゃないけど、だめだ。これ、なんか……俺、だめになる」 「なってしまえばいいじゃないか。何をされてもいいと言ったのはお前だろう？　もう少しだけ吸わせて、坊」 　いつだって澄也を慈しんでくれる白神様は、その実とても自分勝手だ。澄也を丸め込んでは悪い顔で微笑む、そんな顔さえ魅力的なのだから、どうしようもない。 　ひたりと濡れた金色の瞳で見据えられると、抵抗する気が失せていく。だって白神様はとても気持ちよさそうな顔をするのだ。頬を染め、目を不思議な色に深めながら口付けをして、唇を離した後にはいつも何かを確かめるように、濡れた自分の唇をそろりと舌でたどっている。口付けの合間に漏らす吐息が恐ろしいほど色っぽくて、耳から離れない。 　だめだと分かっていても、やめられない。日に一度、別れ際の習慣となったそれを、どこかで澄也は心待ちにしていた。 　気持ちがいいからでもあったし、白神様が澄也に何かを求めてくれることが単純に嬉しいからでもあった。今までずっと与えられてばかりだったから、澄也にも白神様にあげられる何かがあるというなら、こんなに嬉しいことはない。 　首元に落ちてきた真っ白な髪をすくい取り、白神様の耳にそっとかけて戻してあげる。頬に手を添えるような形になったから、もう一度キスをすると思ったのだろうか。白神様は当たり前のように目を閉じた。その様子が、耳を伏せて撫でられる準備をするユキと重なって見えて、思わず澄也は小さく笑う。 「どうかしたのかい、坊」 「ううん。何も」 　白神様の頭を引き寄せ、唇を重ねながら、澄也はもう少し身長が欲しいな、と思った。ほとんど背たけが変わらないとは言え、こうして並ぶと白神様の方がまだ少しだけ背が高い。自分ばかりが上を向くのは少し面白くなかった。幸いにもまだ緩やかに背が伸びているから、追いつける可能性はゼロではない。 　 　教えられたばかりの拙いキスを仕掛けていたとき、ふと白神様の肩越しに人影が見えた。 　反射的に睨みつける。 　去年の夏祭り以来、魔物に出くわす頻度が増えてきた気がしていた。怯えた態度を見せれば奴らはつけあがる。大概は澄也に害が出る前にユキが追いかけまわして撃退してくれるけれど、いつまでも使い魔ばかりに頼るわけにもいかない。姿を見かけたら睨みつけるのが習慣になっていた。 　けれど、どうやら相手は人間だったらしい。考えてみれば、白神様のいる神社にわざわざ好んで近づく魔物はいない。口元を抑えてわなわなと震え、背を翻して走り去っていく姿には、見覚えがあった。 （健……？　こんなところで何してたんだ） 　言っては悪いがここは寂れた神社で、近所に店も家も何もない。健の家からも離れているし、何の用事があってわざわざ来たのか。自分が毎日通っていることは棚に上げて、澄也は内心で首をひねる。 　惜しむように白神様の唇を軽く吸って、澄也は体を離した。 「また明日。白神様」 「ゆっくりおやすみ、坊」 　また坊だ。あの日、澄也と呼んでくれたのは聞き違えだったのだろうか。不満を隠しきれずに唇をへの字に曲げながら、澄也は鳥居をくぐっていった。