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第49話 一歩進めば戻れない⑩
町のはずれにある小さな療養施設は、建ってからそう何年も経っていない、新しい施設だった。喘息や心の病、余命わずかな病気の患者まで、幅広い患者を受け入れているのだという。真新しい建物は清潔感があり、周りを囲む木々と花畑がのどかな雰囲気を醸し出していた。
そんな施設に背を向けて、さんさんと降り注ぐ陽光の下、健と澄也は延々と土を掘り返しては埋めていた。ユキが手慣れた様子で穴を掘る横で、ぶつぶつと文句を言いながら健が土をどかしていく。
「神隠しとか、若い女が消えるとか、もっとこうそれっぽい事件はねえのかよ……なんでこんなところで土いじりしなくちゃならねえんだ、よっ……と!」
「穴掘りうさぎが出てみんな困ってるって言うんだから、事件だろう。土いじりをしてるのは、巣穴を塞いで追い払うのが一番確実だからだ」
「知ってるっつうの。あと穴掘りうさぎって言うな、バカスミヤ。一角獣っていうんだよ」
「名前あったんだな、あいつ」
夜になると魔物が庭を掘り返すので困っている。最近数も増えてきているのでなんとかしてほしい――というのが澄也たちに与えられた課題だった。危険性こそ少ないが、個人で対処するには手間がかかる力仕事は、学生に回すにはぴったりなのだろう。拍子抜けしたというのが正直なところだったけれど、その分対処の仕方や協調性などを細かく評価されると聞いているので、簡単だろうが気は抜けない。
「おつかれさま」
絶え間なく流れる汗を拭っていると、施設の管理人に声を掛けられた。皺が深まり始めた柔和な顔つきの管理人は、ゆったりとした独特な話し方をする。
「暑い中ありがとうねえ。助かるよ。麦茶を入れたから、そろそろ休憩したらどうだい。冷えたスイカもあるから、よかったら食べていってくださいな」
汗だくになっている健と顔を見合わせて、澄也はぎこちなく頷いた。まだまだ作業は終わりそうにないし、厚意に甘えるべきだろう。
「ありがとうございます。ちょうど喉が渇いていたので――」
『なら、おみずをあげるよ』
お礼を言おうとした澄也の声を遮るように、いたずらっけのある鳴き声が聞こえ、ぶわりと風が吹いた。
「げっ」
「うわっ」
派手な水音がしたと思ったときにはもう遅い。避ける間もなく地面から水が噴き上がり、運悪く正面に立っていた澄也と健の顔から全身までを満遍なく濡らしていた。
「まあ、スプリンクラーが……!」
『きゃはは!』
追い討ちのようにつむじ風が巻き上がったけれど、澄也にぶつかる前に、土交じりの風は勇ましく前に立ったユキが散らしてくれた。怒ったようにしっぽの毛を膨らませて、ユキは何かを威嚇するように声を上げている。吹き上がる水の向こう側には、ひらひらと舞いながら逃げていくかまいたちの姿が見えた。
「あらまあ、びしょ濡れ。ごめんなさいね。昨日まできちんと動いていたはずなのに、壊れてしまったのかしら」
不自然に剥がれ落ちたスプリンクラーの部品を見ながら、管理人が不思議そうに首を傾げている。魔物の知識はあっても、この人の目にはかまいたちの姿が見えていなかったのだろう。一方で、髪の毛から水を滴らせながら、健はじとりと恨みがましく澄也を見つめていた。
「おい。これも『よくある』ことか?」
「うん……まあ……」
「やっぱり疫病神じゃねえか、クソスミヤ」
澄也は顔を引きつらせる。魔物に絡まれるのはいつものことだが、こんな風に人を巻き込むのは珍しいことだった。返す言葉に悩みつつ、澄也は水の滴る髪をかき上げる。途端に、ほう、と息をつく音が複数聞こえてきた。
顔を上げれば、先ほどの騒ぎを聞きつけて駆けつけてきたのだろう施設の人々が、ぼんやりと澄也を見つめていた。中には顔を赤らめている人さえいる。
「……? どうかしましたか?」
問いかけても返事は返ってこない。途方にくれて隣を見れば、健は形容しがたい顔をして澄也を見上げていた。
「あの……?」
再度声を掛けると、ようやくはっとしたように管理人は肩を揺らした。決まり悪そうにぱたぱたと手を振った彼女は、ぎこちなく澄也に笑いかける。
「あ、ああ。ごめんなさいねえ。あなた、怖いくらい綺麗な人ねえ。穴掘りをしていたときは気づかなかったよ。水も滴る良い男っていうのはこういうことを言うのかね。すぐに拭くものを持ってきますから、中に入って待っていてね。そちらの学生さんも。さあさあ」
「え」
ほとんど追い立てられるようにして、澄也と健は建物の中、食堂と思わしき場所まで連れて行かれた。タオルと着替えを取りに向かってくれた管理人を待ちながら、澄也はぺたりと張り付いた制服の袖を意味もなく持ち上げる。
「びっくりした。初めて言われた」
「何をだよ」
「怖いほど綺麗って」
「自慢か? お前、あれだけ学校でも見られてるくせに何言ってんだ」
「そういうことじゃない。怖いほど綺麗っていうのは、白神様みたいなひとのことを言うんだ。俺は違う」
「……同じだろうが。自覚ねえのかよ」
「え?」
健とは思えないほど小さな声で囁かれた言葉が聞き取れず、澄也は己の袖から視線を離した。こちらを盗み見ていたらしい健とぱちりと目が合う。しかし、口をもごもごと動かした健は、何を言うでもなく逃げるように目を伏せてしまった。
どうかしたのか、と尋ねようとした瞬間、突然ふわふわとおぼつかない声が場に割って入った。
「かみさま」
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