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第54話 朝まで一緒にいたかった①

 青く染まった小さな実をぷちりぷちりと摘んでは小箱に入れていく。卒業試験も無事に終わり、いっそ不気味なほど平和に日々は過ぎていた。夏休みに入って早数日、空は眩しいほど青く、端々に見える入道雲が夏らしさを感じさせる。 「ちゃんとなったんだ、ブルーベリー。すごいじゃん」 「うん。ほっとした」  近くで花に水やりをしていたひまりが、澄也の手元をのぞき込みながら感嘆する。笑みを返しながら、澄也はもぎたての実をひとつ食べてみた。酸っぱいけれど、自分が育てたものだと思うとそんな味さえおいしく思えるのが不思議だ。  次の実を摘もうとしたとき、隣で揺れていた白いしっぽがぶわりと膨らんだ。 『すっぱい!』 「緑の実をかじるからだよ」  渡す前から勝手にかじりついているユキは好きにさせたまま、澄也は摘んだばかりの青い実を三つ四つ手にとった。ひまりとそれからもうひとり、居心地悪そうに校舎の影に立っている幼なじみにそれを手渡しに行く。 「よければひまりも食べてくれ」 「ありがとう」 「健も」  笑顔でブルーベリーを口に運ぶひまりとは対照的に、ただその場に居合わせただけの健は顔をひきつらせていた。律儀に渡された実を食べながら、「なんで俺まで」と健はぼそりと呟く。 「そこにいたから」  澄也が答えると、ひまりがいたずらっぽく付け加える。 「そうだよ。嫌ならそこにいる方が悪いんじゃない? せっかくだから私の花もあげようか、健」 「いらねえよ」 「あ、酸っぱかったか? 甘いのが欲しいならアメもあるぞ。夏だし塩アメの方がいいか?」 「うるせえ! 何の話をしてるんだよお前らは!」  澄也は首を傾げ、ひまりはくすくすと笑う。そんなふたりをうんざりと見ながら、健はこめかみに青筋を立てた。 「俺は用事があって来たんだよ。お前らに会いに来たわけじゃねえ」 「そうか。俺はブルーベリーの収穫に来たんだ。手土産にしようと思って」 「私は夏期講習のついで」 「聞いてねえよ」  言葉通り、各々が各々の予定に合わせて登校したら、たまたま顔を合わせただけだ。何の約束もしていない。夏休み独特の落ち着いた空気のせいか、以前行き合わせたときのように気まずくはなかった。三人で穏やかに話していると、少しだけ懐かしい気分になる。  ブルーベリーを三つ一気口に放り込み、健は唇をへの字に曲げた。酸っぱかったらしい。これ見よがしに舌打ちをした後で、健は物言いたげに澄也を見た。収穫の手は止めずに首を傾げれば、どこか言いにくそうに健は口を開く。 「おいスミヤ。手土産って、どこに行くんだ」 「神社。夏休みだから泊まりに行く」 「はあ?」  聞かれたことに答えただけなのに、健は信じられないものでも見るかのように目を剥いた。 「馬鹿かよ。お前、名刺の場所には行ったのか」 「行かないって言った。名刺も捨てたし、場所も覚えてない」 「なんでだよ」 「興味がない」  きっぱりと澄也はそう言った。取り付く島もない澄也の態度に、健は不満を隠そうともせずに顔をしかめる。 「興味がないって……あの白いやつが本当に鬼だったらどうするんだよ。あのヤクザみたいなおっさんと水無川って坊主、あの時は不審者だと思ったけど、先生に聞いたら本当に試験官だったぞ。あの時言ってたことだって、きっとただのでたらめじゃない。なのに神社に泊まるって、何考えてるんだよ!」  何をしに学校に来ていたのかと思えば、卒業試験の日に会った人たちの素性を問い合わせていたらしい。試験官はボランティアだと聞くし、学校側も名前を教えるのを渋っただろうによく聞き出せたものだと少し驚いた。 「お前、エサだって言われただろうが。その耳は飾りか? 聞いてなかったのかよ」 「ちゃんと聞いてたよ。だからなんだっていうんだ?」 「だから、って……本当だったらお前、やばいだろうが。お前だけじゃない。他にも被害者がいるかもしれない」 「俺のことは別にいい。それに前にも言った。噂がただの噂じゃないならとっくに事件になってるはずだ。そうじゃないってことは、噂はただの噂ってことだ」 「……っ、じゃああのアザはどう説明するってんだよ。あんな気色の悪い首輪みてえなアザ、見間違いだとは言わせねえぞ」 「俺の問題だ。健には関係ない」 「てめえ……っ」    何やら険悪な空気が生まれかけたことを敏感に感じ取ったらしいひまりは、澄也と健を交互に見ながら、「和尚さんって誰? それに噂って?」と口を挟んだ。 「何の話? 澄也と健、卒試で一緒の組だったとは聞いたけど、何かあったの?」 「お坊さんに会ったんだ。隣町の寺にいるらしい。それだけだよ」  ひまりはますます混乱したように眉尻を下げた。それ以上口を開こうとしない澄也と、じっと澄也を睨む健を困り顔で眺めたひまりは、場を取り繕うように笑顔を作る。先ほどまでたしかに流れていたのんびりとした空気は、もうかけらも残ってはいなかった。 「えっと……寺? 噂? よく分からないけど、健が見つけたの? 昔から新しいもの見つけるの得意だったもんね。澄也の好きな神社だって、たしかもともと健が見つけたやつだったっけ」 「――うるせえ!」  ひまりは昔の話を出すことで、場を和ませようとしたのだろう。けれどひまりが神社を引き合いに出した途端、健の顔色が変わった。唐突に荒げられた声に、ひまりはびくりと肩をすくませる。 「知ってたら行こうなんて言わなかった」  くしゃりと顔を歪めて、健は何かを堪えるように澄也を見る。その視線を真っ向から受け止めて、澄也は淡々と返答した。 「俺は感謝してるよ。あの日ふたりと一緒に神社に行かなかったら、きっと俺は今ここにいなかった」 「バカスミヤ。お前はいつもそうだ。人の気も知らずに……っ、くそ、もういい!」  苛立たしげに吐き捨てた健は、そのまま逃げるように踵を返した。残されたひまりと澄也は顔を見合わせる。 「……なんで怒ったのかな? 私、そんなに変なこと言った?」 「健はいつでも怒ってるから、気にしなくていいと思う。機嫌が悪かったんじゃないのか」 「そうは見えなかったけど……。自分から話を振ったくせに、それで怒るのも変じゃない?」  健は噂と白神様の関連をしきりに気にしていた。それなのに澄也が取り合わないから苛立ったのだろう。そうは思ったけれど、澄也は少し迷ってから口を閉ざすことに決めた。うまく話せる気がしなかったし、わざわざひまりに話すことでもないと思ったからだ。   「健と何かあったの? なんで名刺の場所に行かないのかみたいなこと言ってたけど……」 「あってもなくても、行かないよ」  思ったよりも強い語気になってしまった。ますます困惑の色を深めたひまりの、「変なの」という呟きが、寂しげに場に落ちた。

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