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第56話 朝まで一緒にいたかった③

 真っ白な髪を辿り、首の後ろに手を回す。触れ合うだけのキスを、当然のように白神様は受け入れてくれた。ちろりと唇を舐めれば、薄く唇が開かれる。  澄也の好きにさせてもらえるのも初めてだ。そう思うとおかしな気分になった。いつも白神様の舌がどんな風に動くのか思い出しながら、柔らかく舌を絡め合う。ゆっくりと感触を確かめるように舌を辿れば、ひそやかな吐息が漏れ聞こえてきた。 「……ふ……、上手上手。悪い子どもになったものだ」 「子どもじゃない。からかわないで」 「褒めているんだよ。気持ちがいいね、坊」  どきりと心臓が跳ねた。甘くとろけた声で囁かれると、どうにも落ち着かない。嬉しさと気恥ずかしさが混じり合い、ずっとこうしていたいような、今すぐ逃げ出したいような、どうしようもない気持ちになる。  白神様の手が、澄也の首をするりと撫でた。喉仏を覆うようにゆるりと首を掴まれ、くすぐったい。首をすくめると同時に、甘い口付けは種類を変えた。 「っ、ぐ……!」  全身が痛い。内側から針で刺されているような苦痛と不快感に、体が勝手に震え出す。一気に体を強ばらせた澄也を宥めるように、後頭部に手が回ってくる。  痛みに目の前が白く掠れ、足から力が抜けていく。  気付いたときには、澄也は白神様にもたれかかるようにして座り込んでいた。唇が離れるや否や、澄也は溺れた人間のように必死で息を吸う。 「痛い?」 「だ、いじょうぶ」  首のアザがズキズキと痛む。涙目になりながら、それでも澄也は微笑んだ。大好きなひとに願われたのなら、それが何であろうと、どれだけ苦しかろうと、叶えてあげたかった。  青嵐という鬼は、これがエサに与えられる首輪だと言っていた。真摯に忠告してくれた声を思い出しながら、澄也は唇を歪める。 (だから何だって言うんだ)    日に日に濃くなるアザを見るたび、澄也は体の芯から震えるような興奮を感じる。白神様が澄也を求めてくれている証だと思えば、恐ろしいどころか嬉しくてたまらなかった。澄也が何より怖いのは、今の幸せがなくなってしまうことだけだ。青嵐の言うことが真実ならば、それは澄也の望みと一致する。  澄也が息を整えている間、白神様は相変わらず雑な手つきで澄也の髪を撫でながら、眉間に皺を寄せていた。 「やっぱり抵抗が強いねえ」 「ごめん」 「謝ることなんて何もないよ、坊。大丈夫。ちゃんと変わっているからね」  痛みに全身を汗に濡らす澄也とは対照的に、白神様は切れ長の目をうっとりと細めて澄也を見ていた。その目が何を見ているのかは分からない。 「……名前を呼んで、白神様」 「澄也」 「うん」 「早く変わってしまえ、澄也」 「……うん」  甘い声にうっとりと耳を傾ける。結局のところ、澄也は白神様が何だろうとどうでもいいのだ。熱を孕んだその声で己の名前を呼んでもらえるのなら、それだけで澄也は幸せだった。澄也だけの問題なら、ずっと知らないふりをしていてもいいかと思ってしまうくらいには満足だった。  けれど、澄也は白神様に不幸になってほしいわけではないのだ。  重さを増した腕を動かし、澄也は白神様の足に触れる。裾を持ち上げて手を伸ばせば、あっさりと指は素肌に触れた。着物というのはきっちりしているように見えて、案外そうでもない。毛の一本も生えていないなめらかな肌を確かめるように辿りながら、澄也は白神様の足首をじっと見た。  子どものときに見た通りだった。そこには細かな文字がぐるりと足枷のように刻まれており、美しい白い肌を汚していた。昔は分からなかったけれど、移動を制限するための文字が今なら読める。澄也たちが教わる足止めのために符に書く文字とよく似ているけれど、それよりもっと念入りで、強い力が込められている。  白神様の動きを縛っているのは、この術だと確信する。  このひとには似合わない。怒りにも似た感情を覚えながら、足首からふくらはぎまで、文字に侵された白い肌を澄也はするりと撫で上げた。 「っ、澄也?」  そのとき、奇妙に上擦った、今までに聞いたこともないような声が耳に届いた。思わず動きを止めて顔を上げれば、らしくもなく白神様がうろうろと視線を泳がせている様子が目に入る。いつも人を喰ったような顔ばかりしているひとだから、こんな風に動揺した顔を見る日が来るとは思わなかった。 「いや、お前がしたいというなら構わないけれど……どこでそんなことを覚えてきた? 私はまだ教えていないよ」 「え? そんなことって? ……っ!」  狼狽したように言う白神様の言葉にいったん動きを止めてみて、ようやく澄也は己の仕出かしたことの大胆さに気が付いた。  つい数秒前まで深い口付けを繰り返していたせいで白神様の唇は腫れぼったくなっている上、澄也が無遠慮にたくし上げた白神様の着物の裾は膝上まではだけている。おまけに文字を見ようと白神様の足首を持ち上げたせいか、ほとんど押し倒しているに等しい状態だった。どう見ても、澄也が白神様をそういう意味で襲おうとしているとしか思えない。  頭が真っ白になった。   「え、うわっ!」 「うわってお前。自分で押し倒しておいてなんて言い草だ」  慌てて体を起こそうにも、白神様が腰に足を絡めてくるせいで動けない。先ほどまでの珍しい表情はどこにいったのか、にやにやと楽しそうに笑いながら、白神様はわざとらしく掠れた声で囁いた。 「私とこういうことはしたくないって?」 「違うんだ、俺、そんな……! そういう変なことをしようとしたわけじゃないんだって!」 「質問に答えていないな」  長い指が唇を撫でていく。誘うような目も、床に無造作に散らばった白い髪も、すべてが目に毒だった。顔が熱い。 「澄也」  くらくらするほど甘い声が、澄也の耳をくすぐった。

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