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第58話 朝まで一緒にいたかった⑤

 ユキの首根っこを掴んで持ち上げた白神様は、無抵抗にぶら下がるユキをじろじろと無遠慮に眺めまわす。 『はなせ』  「毛玉のくせに、変わった芸当を覚えたものだ」 『毛玉じゃない! ユキはりっぱな使い魔だ』 「坊が甘いからって、どれだけ食った? 意地汚い獣め」 『はなせ! ばか!』 「……喧嘩しないでくれ。白神様もユキも」  じたばたと暴れるユキに手を伸ばし、澄也はそっとユキを下ろしてやる。飛び降りるなり澄也の背中に隠れて唸るユキを忌々しそうに睨みつけた後で、白神様は澄也に視線を戻した。 「それで?」  感情の読めない笑みを浮かべた白神様は、文字の消えた真っ白な足首を見せつけるように撫で上げる。白神様のこういう顔はあまり好きではない。からかわれることが好きなわけではないけれど、さっき見たばかりの意地の悪い笑顔の方がずっと良かったとさえ思う。 「お前は何がしたかったんだい、坊」 「邪魔な術を解きたいと思っただけだよ。解いたのは俺じゃなくてユキだけど」 「お前は、あれが何だったか知った上で解いたのかい?」  「勉強した。知ってる」  普段通りに笑えていることを祈りながら、澄也はぎこちなく口角を上げた。  授業で習う足止めの札を、もっとたちの悪いものにしたらああなるだろう。魔物の力を奪って、動きを制限するための術だ。何年経っても消えないほど強い術は、完全な形であったなら、きっと意識を奪って封じることさえできたのではないだろうか。  不完全に残った術など、白神様なら解こうと思えば自力で解くことくらいできたのかもしれない。それでも解いてあげたいと思ったのは、やっぱりただの澄也のわがままだ。少しでいいから、恩返しをしたかった。 「お前は何を考えている?」  金色の瞳を澄也に向けて、白神様はゆるりと笑う。怖いほど美しいその顔を見返しながら、澄也は努めて明るく言った。   「あとで話すよ。俺、白神様に話さなきゃいけないこともあるから、それもまとめて」  それだけ言い残した澄也は、ぱっと立ち上がって小屋の奥に歩いていく。普段自分では使わない調理器具をもの珍しく眺めながら、座ったままの白神様を急かすように呼びかけた。 「白神様、早く! せっかく泊まるんだから、料理も手伝うよ」 「料理なんてしたこともないだろうに」 「時間もあるし教えてくれよ、白神様。あと布団は隣がいい。修学旅行とか、ああいうの行ったことないし、一回やってみたかったんだ」 「はいはい。坊の好きにするといい」  野菜を取ってくると言って澄也が外に飛び出していくと、小屋の中は一気に静かになった。  珍しく主人について行かなかったユキは、小さな威嚇の声を上げながら、大嫌いな鬼を睨みつける。 『スミヤをいじめるな』 「いじめてないよ」 『いじめてる! スミヤがなやむの、しろいののせい』 「うるさい毛玉だ」 『しっぽをつかむな! ばか!』  無遠慮に尻尾をわし掴んだ手をべしべしと叩きながら、ユキは唸り声をあげた。 『みんなきらいだ。あおいのもきらい。おハゲもきらい。スミヤをいじめた』 「どうかなあ。私と奴らなら、誰がどう見たって善は向こうだ。助けようとしているのだと思うけれどね」 『しらない。むずかしいこと言うな! スミヤがだめって言っても、こっそりたべておくんだった』 「あの馬鹿力相手に? 無謀だな。死にたいなら止めはしないが、同じ死ぬにしたって狐鍋になる方がまだ澄也の役に立つだろうよ」 『ユキは肉じゃない! ばかばか!』 「やかましい」  顔を顰めた白鬼は、ユキの首ねっこを掴んで扉に向かって投げ捨てた。頭から落ちかけたところで、あわててユキはバランスを取って着地する。 『恩知らず! あんなにまずいくさりを食べてやったのに』 「頼んでいないよ」  ふと白鬼が片眉を上げる。一歩遅れて、ユキも異変に気がついた。何かに囲まれているような、砂をかけられて埋められているかのような気持ちの悪い感覚に、ぶわりと毛が逆立つ。 『なに?』 「煩わしいねえ」  白鬼が嫌そうに呟いた。気に喰わないことに、白鬼がひらりと手を一振りするだけで、ユキを包んでいた嫌な感覚はすっと消えていく。逆立った毛をこすりつけるように白鬼の足にすり寄れば、雑な手つきではあったけれど白鬼はユキの背を何度か宥めるように撫でてくれた。それだけで恐怖が消えていくのが忌々しい。  ユキにはできないことをさらりとやってしまう。だからユキはこの鬼が大嫌いだ。 「……潮時かな。楽しい時間が経つのはあっという間だ」  わけの分からないことをぽつりと呟いて、白鬼はなかなか戻ってこない澄也を呼びに行ってしまった。  澄也も白鬼もいつもと違う。いつも遊んでくれた白い烏も、近くにいない。ひどくつまらない気分になって、ユキは不貞腐れながら毛づくろいをした。

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