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第59話 朝まで一緒にいたかった⑥

 庭で採ったばかりの夏野菜はカレーになった。澄也が包丁を握るたびに白神様は物言いたげな顔をして、鍋の番をしろやら米の様子を見てこいやらと適当な理由をつけてほとんど調理に参加させてくれなかったが、共同作業は共同作業だ。澄也は満足だった。  味つけ前の肉と野菜をユキにやり、自分は皿いっぱいのカレーを食べる。普段はそれを見ているだけの白神様も、今日ばかりはちびちびとブルーベリーをつまんでいた。時間をそのまま切り取れるならばそうしたいと思うほど、幸せな食卓だった。  並べてひいた布団の上で、澄也はにへりと笑み崩れる。寝間着姿の澄也とは対照的に、隣でユキとじゃれている白神様は、いつもと変わらぬ服のままだ。寝苦しくないのだろうかとも思ったけれど、相手は人外なのだから今さらだろう。  枝毛ひとつないなめらかな髪が、ぺしゃりと布団に落ちている。そんな様子が新鮮で、余計に澄也は嬉しくなった。 「何をひとりで笑っているんだい」 「楽しくて」 「大して普段と変わらないだろうに」  呆れ混じりの声が耳に心地よい。だらりと布団に転がりながら、澄也は顔だけを横に向けた。 「白神様」 「うん?」 「白神様はどうして料理ができるんだ? 自分は食べないのに」  聞いたことがあったかもしれないし、なかったかもしれない。話題なんてなんでも良かった。ただ、白神様の声が聞きたかった。  ひたすらユキの頬をつついている白神様は、どうでもよさそうに答えてくれる。 「役に立つからだよ。面白いし、いい暇つぶしになる」 「俺ももう少し手際がよくなりたいな」 「坊の場合は手際以前の問題だよ。野菜と一緒に自分の肉まで入れる気かとはらはらした」 「ひどい!」  いくらなんでもそこまで不器用ではない。  つらつらと思いつくままに話していると、途中でユキが布団に潜り込んでくる気配がした。とうとうつつかれるのに耐えられなくなったらしい。小さな体を腹の上に乗せてやりながら、澄也は少しの間口を閉ざした。暗闇になんとなく掲げて眺めた己の手には、昼につけたはずの傷跡はもう残っていない。体を変えると言われて以来、傷の治りが早くなった気がする。 「白神様。魂って目に見えるものなのか?」 「脈絡がないねえ。眠いなら寝てしまいなさい」 「眠くないよ。前から不思議には思ってたんだ。魔物は死ぬと核になるだろう。だからあれが魂みたいなものなのかなって思うけど、人間はそうじゃないじゃないか。死ねば終わりだ」 「そうだね。……ああ、そうだ。死んだら、なくなってしまう」  歯切れの悪い返事だった。白神様にしては珍しいと思ったけれど、気にすることなく澄也は続ける。 「どうなの?」 「魂ねえ……。見えると言えば見えるし、見えないと言えば見えないよ。感覚で分かるというだけ」 「あの世みたいなものはないのか」 「生者と死者の区別があいまいになる場所はあるけれど、真っ当に生きている限り、ヒトには縁のない場所だろうよ」 「ふうん」  言葉を切った後で、澄也は一度だけ深呼吸をした。  ――これから澄也が言うことを、白神様はなんと思うだろう。  眠ってしまったのか、腹の上に乗ったユキが動く気配はない。落とさぬように気を遣いながら、澄也はほんの少しだけ白神様の側に体を傾けた。顔を上げると、こちらを見ていた白神様とぱちりと目が合った。 「落ち着かないねえ。どうかしたのかい」 「うん。……ううん」 「どっちだい」  柔らかい笑みに促されるように、澄也はそっと口を開いた。 「……俺の魂はまだ白い?」 「おかしなことを聞くねえ」 「答えてくれ」 「真っ白だよ。憎らしいくらいに」 「そうか。良かった。……いや、良くないのか」  白神様の言葉にほっとした後で、言い直す。澄也にとっては良いことでも、周りにとってはそうではない。白いから狙われて、面倒事を引き寄せるのだから。  澄也の声の調子が変わったことに気がついたのか、白神様は笑みを消した。 「それが坊がしたかった話とやらかい」 「うん。卒業試験のときに、不思議な人たちに会ったんだ。水無川って名前のお坊さんと、青い髪に金色の目をした人間じゃないひと。白神様の知り合いじゃないか?」 「ああ、そうだよ」  特に驚く様子もなく白神様はさらりと言った。やっぱり、と澄也は苦笑する。 「白神様に初めて会ったとき、血まみれだっただろ。水無川ってお坊さんにやられたって言ってたなって、あの人の名前を聞いたときに思い出したんだ。だからそうかなって思ってた」    澄也がそう言った途端に、白神様はほんの少しだけ唇を歪めた。 「ひとつ覚え違いをしている。たかだか人間にやられたおぼえはないよ。私はただ、馬鹿力の脳筋と真っ向からぶつかりたくなかったから退いただけだ」 「でも怪我をしてた。一対二で不利だったのは違わないだろう?」 「何が言いたい?」  ほんの少しの不機嫌を滲ませて、白神様は眉を寄せた。  白神様は尊大なところのあるひとだ。思い通りにならない物事を嫌う。澄也にとっては良くも悪くも人生が変わった日だったけれど、白神様にとってはきっと思い出して楽しい話ではないのだろう。分かっていたけれど、ここで話をやめては意味がない。

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