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第69話 朝まで一緒にいたかった⑯
「魔物と意思疎通できるのか……? その魔物は、君だけを庇っているように見えた。君は、何をしにここに来た? はじめからこのつもりだったのか? 魔物をわざと暴れさせて、混乱させて……」
「違います!」
「ならその化け物はなんだ!」
「ユキは化け物じゃありません! 俺たちは――」
声を張り上げようとした。けれど、奇妙なほど静かな部屋を見渡した瞬間、喉が引きつり声が萎んでいく。
視線。視線。視線。
今や澄也たちを疑念の目で見ているのは目の前の教師だけではなかった。
引きつり、嫌悪の混じった目。
遠巻きに異物を見る目。
澄也が母に向けられ、かつて幼なじみたちに向けられ、クラスメイトたちにも向けられてきた、冷たく心を刺す視線が澄也とユキを囲んでいた。
前までは、他人にどんな目を向けられようが気にならなかった。正しいことを正しいと言うのに怯む必要などないと信じていたし、何があっても受け入れて絶対的な味方になってくれる神様がいた。
けれど今は違う。澄也とユキは広い部屋の中でふたりぼっちだった。
「あ……」
声が出ないことなど、初めてだった。
いまだ興奮状態にあるユキは、そんな主人の異常を敏感に感じ取った。
『こわいの、スミヤ? だいじょうぶだよ』
「っ、だめだ。違うんだ、ユキ」
『いやな魔物もニンゲンも、ユキがぜんぶたべてあげる。しろいのがいなくたって、ユキがスミヤをまもるから』
ユキが大きく息を吸い込む。炎が吐き出される直前、『馬鹿者!』と一喝するしわがれた烏の声が聞こえた気がした。
ユキが耳をぴくりと揺らす。
その一瞬が、室内にいた人間の命を救った。光輝く鎖が目にも止まらぬ速さで扉から飛び込んできたかと思えば、瞬時にユキの体に巻きつき、口を戒める。身動きのできなくなったユキは、悲痛な悲鳴をあげながら元の小さな狐に戻っていった。
「ユキ!」
傷だらけの狐を慌てて抱え上げる。苦しげに息をしている使い魔は、それでも意識を失ってはいなかった。ほっと息をついて、澄也はユキを胸に抱き込む。
『……しなないで、スミヤ。ユキがいるよ。ユキがまもるよ。だいじょうぶだよ』
「分かった。分かったから……俺が悪かった。これじゃユキが死んでしまう。もうやめてくれ」
うるうると泣きそうな顔のユキを抱き直したそのとき、緊迫した状況に割り込むように、豪胆な声が響いた。
「おーおー。ひでえことになってるなあ」
わざとらしく手庇を作った青嵐が、のしのしと足音を立てながら職員室に入ってくる。その後に続くように、厳しい顔をした水無川和尚が近づいてきた。
「これは……ひどいな。昨日の今日でここまで引き寄せるのか」
「そういうもんなんだよ。だから問答無用で連れてった方が良いって言っただろうが」
「事情も話さず連れて行けばご家族が心配すると思ったんだよ」
「心配するような親には見えなかったがな」
のんきに話をしながら、水無川和尚たちはてきぱきと残りの魔物を片付けていく。今のうちに立ち去ろうにも、出入り口を固められていて動けない。そもそも騒動の原因となってしまった以上、澄也には逃げる気もなかった。
ある程度状況が落ち着いたところで、にこりと微笑んだ水無川和尚は教師たちに向き直った。
「死者が出なかったことは不幸中の幸いでした。このふたりはこちらでお預かりします」
「え? ……ですが、これも魔物です。それに、彼はこんなにも凶暴な魔物を持ち込んだ。このまま帰ってもらうというのは――」
「おや、魔物かどうかなんて、どうやって分かるのです?」
「ど、どう見たって魔物でしょう。霊獣にしてはあまりに凶悪だ」
「術の制御を誤ったのでしょう。こちらで指導しておきます。損害分はあとで寺まで請求してください」
有無を言わせない口調で、水無川和尚は言い切った。
「指導といいますが、あなた方と彼はどんな関係なんですか」
「師弟になりました。夏休みですし、インターンも兼ねて住み込みで働いてもらう予定でしてね。そうだろう、澄也くん」
そうだろうと言われても寝耳に水だ。何も返事ができずにいると、狐目をさらに細めた水無川和尚が朗らかに澄也の肩を叩いてきた。ほとんど肩を組むようにして、水無川和尚は澄也にそっと耳打ちする。
「澄也くんは進学希望かい」
「いえ、まだ決めていません」
「なら就職先も見つかって一石二鳥だ。よかったね」
軽やかに言った後で、真剣な声音で水無川和尚は続けた。
「君たちとはゆっくり話す必要がある。一緒に来て欲しい。澄也くんにとっても悪くない話だと思うよ。我々は長くこの仕事をしているから、君の役に立つことだって教えてあげられる。……たとえば、人型をした特定の魔物の探し方とかね」
水無川和尚がそう口にした途端、ぴくりと青鬼は片眉を跳ね上げた。
「おい水無川」
「君だってそのつもりだったろう、青嵐。何も知らずに騙された子どもは保護されるべきだけれど、危険を知って力をつけた上で選ぶのならば彼の自由だ。いずれにせよ独断で手を出した以上、我々には情報を提供する義務がある。何よりこんな体質なのに自分で自分の身を守れないようじゃ困るし、周りだって危ないだろう。しばらくは近くにいた方がいい」
水無川和尚の目に冗談の色はない。目を伏せながら、澄也は小さな声で尋ねた。
「どうしてそこまでしてくれるんですか」
「困っている人にはできる範囲で手を貸す主義だ。……というのもあるけれど、君につけられたその首輪は、あの白鬼の居場所を割り出すのに役出ちそうだからね」
「損壊賠償を寺に請求っていうのも、そんなお金を払ってもらうわけにはいきません」
「なら出世払いで構わない。契約しないか。君と我々の目的は一致すると思うよ。君は我々に協力する。我々は、君たちに知識と環境を提供する。期間は、君がその狐と力を合わせて、他者の庇護などなくても自分たちで身を守れるようになるまで。どうかな?」
水無川和尚はまっすぐに澄也を見た。
目的は一致すると水無川和尚は言ったけれど、自分は神様だったひとを探したいのだろうか。考えたけれど、頭が疲れ切っていて分からなかった。望まれていないのならば探したところで無駄だろうし、生きていたところで意味がないようにも思える。けれど、小さな使い魔にここまで無理をさせた後で、死にたいと言う気はさすがに起きなかった。
ぎこちなく澄也は頷いた。にこりと笑顔を浮かべた水無川和尚は、「契約成立だ」と頷くと、くるりと教師に向き直る。
「見たところ怪我もしているようですし、この子たちをこの場に置いてはおけません。詳しいお話はまた後日お願いしましょう。失礼させていただきます」
それ以上の問答を許さず、水無川和尚は澄也たちを寺へと連れて行った。
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