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第71話 朝まで一緒にいたかった⑱
「健? なんでここにいる」
「俺がいちゃ悪ぃかよ」
昨日の今日で顔を見たい相手ではない。自然、互いに喧嘩腰になる。
「俺が連れてきたのよ。お前ら一回ちゃんと喧嘩した方がいいと思ってな。こういうのはガキのうちにしとかねえと一生もんになっちまうから」
「喧嘩って……」
「まあ聞けよ。会ったばっかりの俺らより、この坊主の方が分かることも多いだろう、多分」
わざとらしく肩をすくめてみせた青嵐は、次いでにやりと唇の端を上げた。
「それに、聞いてたぜ? おいしく食べようって飼育されてただけだって分かっても、まだ裏切られてないって言うのはどういうわけだ? せっかく命拾いしたってのに、お前は水無川もこの坊主も気に食わなくてたまらないって面をするよな。なんでだ、澄也」
命拾い、という言葉が胸を刺した。白鬼も同じことを言った。澄也が望みもしないことを、さも良いことのようになぜ言うのかとこちらが聞きたい。
「あのひとは俺を食べてはくれなかった……! 十一年も一緒にいてくれたのが食べるためだったというなら、どうして食べてくれない?」
ともにいてくれた理由がなんであろうと、澄也はそれを裏切りとは思わない。澄也が許せないのは、白鬼が己との約束を破ってそばを離れたことだ。
「昨日頼みもしていないのに来てくれたことを、感謝しなければいけませんか? 健が言わなければ、あなたたちが来なければ……食べてもらえたかもしれないのに。そう思うことはそんなにもおかしいことですか?」
「はっはぁ! さすが首輪付き。言うことがイカれてる」
青嵐が豪快な笑い声を上げた。天を仰いだ拍子に、きらりと煌めく金色の瞳がのぞいて見えた。
鬼を悪い存在だと言うけれど、ならばなぜ水無川和尚は鬼を連れているのだろう。尋ねるよりも前に、澄也の胸倉を掴み上げる者がいた。
「クソ澄也! なんで危ないやつだって分かってて近づく? なんで死のうとするんだよ! 馬鹿じゃねえの!」
「坊主の言う通りだ。その首輪があるからって高くくってんのか? それ、体が丈夫になるだけだぞ。治りは早くなるけど、根っこは人間のままだ。肉を食っても死なないようにするためだけの……ああいや、マーキングの意味もあるけど……まあ言っちまえば家畜につける首輪でしかない。死ににくくはなるが、不死身になるわけじゃねえんだ。血肉ならいざ知らず、魂なんて食われたら死んで終わりだぞ」
「だから?」
真顔で返せば、虚をつかれたように周囲は言葉を失った。
「それで誰に迷惑をかけるわけでもない。何が悪いと言うんですか」
健気な使い魔は悲しむだろうけれど、きっと分かってくれる。
「今日のように魔物を呼び寄せてしまう方が、よほど周囲に害が――」
「この馬鹿野郎が!」
怒鳴り声とともに、頬を張られた。きょとんとして見返せば、顔を真っ赤にした健が喚き出す。
「ばーか! お前本当に馬鹿だな! 脳みそ入ってねえんじゃねえの? 馬鹿澄也! 迷惑だなんだって話、今してねえんだよ! 空気の読めない馬鹿スミヤがよ!」
澄也が呆けている間にも健の罵詈雑言と拳は止まらなかった。二発、三発と殴られているうちに、だんだん腹が立ってくる。
「助けてもらって命拾いしたくせしてムカつくんだよ! 何様だクソスミヤ!」
「誰も頼んでない!」
胸倉を掴まれていた手を引き剥がし、反動で前のめりになった健の頬を殴る。魔物を殴ったことはあっても、人を殴るのは初めてだった。
澄也の反撃に一瞬ぽかんとした健は、すぐに顔を険しくして殴り返してくる。
「ノロマの死にたがり! そんなに死にたきゃ俺の見えねえところで死ねっ! 魔物にばっかり寄って行きやがって。人間がそんなに嫌いかよ、ああ?」
「ああ嫌いだね! おかしなことをおかしいって言うだけで遠巻きにされて、魔物と話すだけでおかしな目で俺を見る。誰も助けてなんてくれなかったくせに、見た目がましになった途端に寄ってくる。理解できない!」
「人のせいにしてんじゃねえ。お前が浮いてたのはお前のせいだ! 周りを見ろってひまりは言わなかったか? ……俺は言ったぞ、何度も言った! 聞かなかったのはお前だ。ちょっと自分が特別だからって調子に乗りやがって。壊れかけの神社に毎日通ってるようなやつ、誰だって気味が悪ぃって思うに決まってるだろうが!」
「お前だって面倒な絡み方ばっかりしてきたくせに、今さら何だよ! 白神様だけが俺の味方だった! 俺を生かそうとしてくれた」
「白神様白神様ってうるせえんだよ! あいつに会いに行くって言って、俺たちと遊ばなくなって、最初に離れたのはお前じゃねえか!」
取っ組み合い、床に倒れ込んでもみくちゃになりながら怒鳴り合う。それまで何を話していたのか、どこにいたのか、周りに誰がいるのかさえすっぽりと頭から抜けていた。ずっと我慢してきた怒りが、健の勝手な言い草に対する怒りに混じって濁流のように湧き上がってくる。
「健にどうこう言われる筋合いはないって何度も言った! よくもこんな余計なことができたな」
「何が余計だ! 俺は謝らねえからな。こうでもしなけりゃお前、ひとりで勝手に喰われてひとりで満足して終わりだろうが!」
「それの何が悪い。何で邪魔した! 俺のことがそんなに嫌いなら、なんで!」
「お前が好きだから言ってるんだよこのクソ鈍感野郎!」
「知るか! 俺は白神様が好きだったんだよ!」
殴られた場所も分からないくらい体があちこち痛くて、殴りつけた拳は痛くて、口の中は切れて血が滲んでいた。互いに目も当てられない無様な顔を向け合って、健と澄也は泣きながら、声が枯れるほど言い合った。
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