75 / 98
閑話 傍観者の一日①
すれ違う門弟と朝の挨拶を交わして、参道に積もった雪をかく。聞くところによると、今年の雪は随分と深いらしい。せいぜい膝下までしか積もらぬ雪など青嵐にしてみれば深いうちに入らないけれど、こまめに退けるにこしたことはない。
何しろ寺には色んな客が来る。親子連れや老人、――はたまた小さな動物だって、時には訪ねてくることがあるのだから。
「お?」
参道の脇で、雪がひとりでに動いていた。目を凝らせば、ぴこぴこと揺れる三角耳が四つ、雪の合間にのぞいて見える。どうやら茶色と黒の子狐が二匹、雪にまみれて遊んでいるらしい。これまた随分と小さな客が来たものだと青嵐は頬を緩めた。
「鈍いちびたちだな」
青嵐は小さいものが好きだった。子どもにしても小動物にしても、何しろ活動的で愛らしい。
同じ理由で、人間も好きだ。短い生を花火のように生きる彼らは、見ていて飽きない。残念ながら己の大きな体格はそういったものたちに怖がられてしまうけれど、眺める分には支障はない。
膝を折った青嵐は、物怖じしない狐たちの額を指で撫でてやる。造形こそただの狐でしかないが、二本に割れた尻尾が知り合いの白狐を思い起こさせた。
仕事に出ている白狐たちが戻ってきたときに見せてやれば、同族だと喜ぶかもしれない。今日戻ると連絡があったはずだから、早ければ午前中には帰ってくるだろう。
青嵐の思考を読み取ったかのようなタイミングで、足音が聞こえてきた。人間の足音がひとつと、それに連れ立って歩く軽やかな獣の足音がひとつ。
引率が必要だったのは過去の話で、もはや彼らも立派な若手の退魔師だ。遠出とはいえ二週間も空けるのは珍しいから、手こずったのかもしれない。出迎えに行ってやるかと腰を上げると、それに驚いたのか、二匹の子狐たちはぴんと尻尾を立てて駆け出していってしまった。
参道から外れた場所に足を運べば、そこには人目から隠れるように、ひとりの青年と、熊ほどに大きい白狐が身を寄せ合っていた。
『ごめんね、スミヤ。つかまえられなかった』
四本の尻尾をしょげたようにへたらせて、白狐は謝罪の言葉を口にする。白狐の頭を優しく撫でながら、青年は首を横に振った。
「ユキのせいじゃない。……無理をさせた。疲れただろう? ありがとうな」
そう言って取り出したナイフを逆手に構えた男は、何の躊躇いもなく自身の腕を突き刺した。そのまま顔色ひとつ変えずに手首まで刃を走らせ、だらだらと大量の血を滴らせている様は、何も知らずに見ればただの異常者だ。まるで痛みなど感じていないかのような涼しい顔をした青年――澄也は、数年前から寺に身を寄せている、水無川の弟子のようなものだった。整ったつくりではあるものの、生真面目であたたかみに欠ける冷たい顔立ちは、年々陰のある鋭さを増している。
薄く微笑んだ澄也は、血の滴る腕を当然のように白狐に差し出した。澄也に甘えるように鼻先を擦り付けた白狐もまた、慣れた様子で流れる血を舐めとっていく。事実、このふたりにとっては数えきれないほど繰り返したことなのだろう。
絆を深めた人間から差し出される血肉には恐怖が滲まないから、格別の味がする。分けられた命で増した力をその人のために振るうというのもまた、得も言われぬ幸福感があるものだ。人に仕えたこともあれば家族代々の付き合いをしたことのある青嵐にも、覚えのある感情だった。
ほどなくして出血が止まると、大きな狐はいつの間にか足元に控えていた子狐たちにちらりと視線を向けた。それを合図にしたように、子狐たちは競い合うように雪に落ちた血を片付けていく。
なんだ知り合いだったのか、と青嵐はほんの少し残念な気持ちになった。澄也も白狐も、年を重ねたとはいえ青嵐から見ればまだまだ青い若人だ。子狐を見つけて驚く顔が見たかったけれど、この調子では無理そうだ。
「寺で物騒なことやってんなあ」
「青嵐」
わざと足音を立てながら近づいていくと、澄也が気だるげに顔を上げた。澄也は青嵐の持つ雪かきに一瞬だけ視線を止めたが、何も言わなかった。雑談をする気分ではないらしい。面白みのない仏頂面には、先ほどまで浮かんでいたわずかな笑みのかけらも残っていない。疲れも不機嫌も隠すのが随分とうまくなって、かわいげのないことだ。
ともだちにシェアしよう!