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第73話 手の鳴る方へ①

 人気のない森の中で、澄也は身動きひとつせず佇んでいた。  獲物をおびき寄せるための撒き餌はいらない。己の体ひとつあればそれでいい。退魔師の真似事をさせてもらうようになってみれば、疎ましかった己の体質も便利な道具のひとつでしかなくなった。  人の味を知ってしまった魔物を生かしておくわけにはいかない。澄也の仕事は、張った罠に魔物を呼び寄せ、確実に捕らえることだった。罠に捕らえた獲物を狩る役割は、相棒である使い魔が果たしてくれる。 『そっちに行ったぞ』  耳に付けたインカムから、緊張に強張った幼なじみの声が聞こえてくる。これが初仕事というわけでもないだろうにと思いながら、澄也は短く返事をした。   「了解」 『気を付けろ』 「分かってる」  茂みが揺れる。現れた巨大な鳥型の魔物を眺めて、澄也はゆるりと唇の端を上げた。 「……いい子だ。俺が欲しいか?」    怠惰にも聞こえる声音で語りかければ、答えるように魔物は金切り声を上げた。膨らんだ翼から、刃のような羽がいくつも顔を出す。 「おいで。捕まえられたら食べていい。お腹が空いているんだろう」    誘うように両腕を開けば、興奮した様子の魔物は躊躇なく澄也に向けて飛びかかってきた。嘴が肩を抉る痛みをどこか遠くに感じながら、澄也は魔物を抱擁するように手を回し、直後に魔物を突き放す。  あらかじめ地面に設置していた術は、澄也の血が地に落ちると同時に発動した。地面に書かれた陣からは触手にも似た鎖がいくつも飛び出て、鳥の魔物を絡め取る。仕上げに符をぺたりと額に貼ってやれば、哀れな魔物は身動きひとつ取れなくなった。 「ごめんな。仕事なんだ。お前には死んでもらわないといけない」 『うそつき』 「嘘はついていないだろう? 血をやったんだから」  澄也を睨む魔物をひと撫ですると同時に、魔物の背後から巨大な陰が迫る。悲鳴を上げる間も無く、鳥の魔物は獣の大きな口にぱくりと飲み込まれた。  体の大きさを自在に変えられるようになった使い魔は、仕事のときには専らこの大きなサイズに変化するのがお気に入りらしい。がりごりと生々しい音をさせながら咀嚼した後で、ユキはごくりとそれを飲み下した。前脚で口元を拭う仕草をした後で、心なしかしょんぼりとユキは顔を下げる。 『まずい。やきとりにすればよかった』 「帰りに買っていこう。な?」 『うん』  そのままユキの毛並みを堪能していたとき、忙しない足音が茂みから聞こえてきた。 「終わったのか、澄也」  息を弾ませて近くに来たのは、同業者でもある健だった。都会で経験を積ませるのが家の方針だという健とは、高校を卒業した後はめっきりと顔を合わせる機会が減った。けれど時折、こうして依頼で協力することもある。 「それ、怪我したのか?」 「もう治った。問題ない」 「問題ないってお前……」  渋い顔で言いかけた後で、健は諦めたように首を横に振った。 「怪我は抜きにしたってひどい顔してるぞ。仕事受けすぎなんじゃねえの」 「無理はしてない。仕事、声を掛けてくれてありがとう」 「ああ、まあ……ハズレだったみたいだけどな」  健はそう言って、苦虫を噛み潰したような顔で頭をかいた。  高校を卒業してから六年が経った。二十代半ばを迎えてもなお、澄也がひとりの鬼を探し続けていることを幼なじみたちは知っている。 「明日空いてるか? ひまりが見せたいものがあるってよ」 「明日? 明日は――」  仕事を入れようと思っていた。澄也は休日を作るのが好きではない。やりたいこともないし、体を動かしている方が気が紛れる。けれど、断る間もなく健は有無を言わせない声で言葉を被せてきた。 「空くよな。でかい討伐依頼の後は一日開けるのがルールだ」 「……それはそうだけど」 「決まりな。何見せたいのか知らねえけど、どうせまた花の話だろ。少しは夢見がよくなるんじゃねえの。すっぽかすと俺が怒られるから、ちゃんと顔出せよ」  渋々と頷いて、澄也は健と別れて帰路につく。  鬼の可能性がある依頼を受けるたび、無意識に期待をしては落胆する。そのたび心のどこかが削られていく気がして、ここのところ眠りが浅くなっていた。  もう二度と会えないのかもしれない。無駄なことはやめた方がいいのではないか。いつまでこんなことを続けるつもりなのか。諦めるべきだと囁く己の声に耳を塞ぎながら、澄也は早々に布団に潜り込んだ。

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