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第78話 手の鳴る方へ⑥
「……きれいだ」
『まっしろけ!』
並び立つ澄也とユキは、目の前に広がる光景に見惚れていた。
人の気配ひとつない山奥には、真っ白な桜が辺り一面に狂い咲いていた。昼であるはずなのに、咲き誇った花で隠れて空さえろくに見えない。澄也ひとりで来ていたとしたら、白昼夢を見ているのだとしか思わなかっただろう。
呆けている間にも、薄く発光して見える不思議な花弁がしんしんと地面に降り積もっていく。見ていると、頭がしだいにふわふわとして、目眩がするような心地がした。
『あまり見過ぎるな。囚われるぞ』
厳しい声に意識を引き戻される。あわてて八咫烏を見れば、呆れたようにひと声鳴いて、烏は澄也たちの前を滑るように飛び始めた。
『ついてくるがいい。見失うなよ』
「よろしく頼む」
滑空しては木の上で足を休めて、八咫烏は澄也と一定の距離を保ちながら前に進んでいく。時には木に突っ込んでいくこともあれば、明らかに足場のない場所に澄也たちを導いて行くこともあった。
「あなたにはこの場所がどう見えているんだ、八咫烏」
『どうも何も、ただの山奥だ。木が生い茂っておるだけの森にしか見えん。儂を化かすことなどできはせんわ』
かっかっかと得意そうに鳴いたあとで、八咫烏は不意に翼の角度を変えた。力強く羽ばたいた烏は、やがて一本の高い木の上にふわりと降り立つ。八咫烏を追ってたどり着いた場所で、澄也は愕然としながら足を止めた。
壊れかけた鳥居が目の前にあった。
桜の代わりに、遠くには桃の花が見える。古びた小屋がかすかに見え、その近くに場違いに設けられた畑には、艶のある夏野菜が実っている。見間違えるはずもない、子どものころから毎日通った懐かしい神社がそこにあった。
足を止めた澄也を追い越すように、ユキが軽やかに鳥居をくぐっていく。
「これも、幻?」
『そうだ。そしてここが幻の中心部』
羽繕いをしている八咫烏を見上げて、あたりを嗅ぎ回っていたユキが抗議の声を上げた。
『でも、しろいのいない』
『知らぬ。儂はたしかに案内したぞ』
固まった足を無理矢理動かし、澄也もまた懐かしい場所を見て回る。
白鬼がいなくなったあとも、時折澄也はユキを連れて神社に行っていた。もっとも定期的に通っていたのは一、二年の間のことだ。はじめは畑の手入れのために足を運んでいたけれど、ひととおり植物を移し終わってからは、しだいに足が遠のくようになっていた。
懐かしい場所を訪れるたび、幸せだったころの思い出が蘇って苦しかったからだ。管理するものが誰もいない神社は荒れ、置いて行かれた現実と、あの日覚えた汚い感情を突きつけられるようで辛かった。
けれど目の前に広がる幻は違う。記憶にあるままの光景をそのまま切り取ったかのような、形容しがたい懐かしさを感じた。
「白鬼が作った幻なのか? それとも俺が見たいものを見ているだけか?」
『幻だ。見たいものを見せるなら、夢に入り込む方が手っ取り早いであろう。この手の幻は、あやつが直接作っておるはずだ。だから細部が整っていない』
八咫烏の言葉に導かれるように、澄也は桃の花に手を伸ばす。美しい花だけれど、ひまりの家で見せられた花と同じく、雄しべも雌しべもがくもなかった。
『花が美しいとは思っても、構造には興味がないのだろうよ』
「……適当だなあ」
その割には、神社の中にあるものは細かく鮮明にできているように見えた。澄也の覚えている以上にあたたかみがあって、きらきらと輝いて見えるほどだ。
あのひとにはこう見えていたのだろうか。細部まで記憶に焼き付くほど、ともに過ごした日々を楽しいと思ってくれていたのだろうか。
桃の花から手を離したそのとき、どこかで手を叩く音が聞こえた気がした。
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