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第80話 手の鳴る方へ⑧

 赤、黄、青、黒。目に優しくない原色ばかりで彩られた世界の一角で、白鬼はのんびりとあたりを眺めていた。地獄と呼ばれるその世界では力がすべてだ。人間の世界とは異なり、秩序などないに等しい。 白鬼が腰掛けている塔の真下では、自力では餌も捕まえられない小鬼どもが死体を漁っている。少し離れた場所では、気まぐれな魔物たちが喧嘩を始めたのか、げらげらという品のない笑い声とともに、野次を飛ばす声が響いていた。  澄也が見たら目を回すかもしれない。これでもかというほどハンデを与えてやったというのに、まだ白鬼を見つけられないらしい困った子どもを思い浮かべながら、白鬼は薄く笑った。  澄也は地獄に来るだろうか。首輪があるから、来ようと思えば来られるはずだ。それとも白鬼が姿を見せるまで待つ気だろうか。八咫烏がそばにいたことを考えれば、後者の可能性が高いかもしれない。  鼻歌混じりに足を揺らして、熟した桃に歯を立てる。浮き立つ気分を楽しみながら、白鬼はさてどうしようかな、と考えた。  捕まってやってもいいけれど、ここで終わらせてしまうのも惜しい気がした。思いつきで始めただけの遊びは、白鬼の想像を遥かに超えて楽しく刺激的だ。  幼いころから見守ってきた青年は、慌てふためく顔も面白ければ、残り香ひとつを求めて必死に追いかけてくる様もかわいらしい。すっかりやさぐれて手段もなりふりも構わなくなってからは、わずかではあるがスリルも加わった。あの子はいちいち過敏な反応を示すだけに、現実であしらったあと、夢でからかってやるだけでも面白くてたまらない。  幼いころの柔らかく純粋な澄也の心に一点の滲みができてしまったことが惜しくないといえば嘘になる。けれど、そのおかげで刃を思わせる冷たく美しい男が完成したことを思えば、悪くはないというものだ。  白鬼は楽しいことが大好きだ。美しいものが好きだ。気持ちのいいことが好きだ。それらすべてを与えてくれる澄也と遊ぶのは、これ以上ない娯楽だった。 「逃げるか」  食べ終わった桃の種を後ろも見ずに放り投げ、白鬼は弾んだ声でそう言った。  姿だけ見せて、手が届く寸前で逃げてやったら面白そうだ。澄也は泣くかもしれないけれど、夢で慰めてやればいいだろう。あの頭の固い子が、夢がただの夢ではないことに気がつくまで待つのも一興だ。 「ん?」  立ち上がろうとしたそのとき、もふりとした感触が足に触れた。視線を下ろせば、白鬼の足元に何やら縋りついている小さな毛玉がいる。目が合った瞬間、それはびくりと震えて固まった。  その毛玉は、三本の尻尾に三角耳を持った黒い狐だった。澄也の使い魔は、見るからに甘えたなこういう顔をしていた覚えがある。首根っこを掴んで持ち上げれば、黒い狐は無抵抗にぶらさがりながら、なぜか興味津々に目を輝かせて白鬼を見た。 「お前、いつから色が変わったんだい」  問いかけても狐は答えない。代わりに、間抜け面の黒い狐は、首を傾げて白鬼の手をひしと握った。 『しろいの。クロ、やった』 「はあ?」 『ほめてね』  いかにもかわいこぶった言い方も、白鬼を色で呼びつけるところもそのままなのに、いやに落ち着きがない。獣違いかと思って投げ捨てようとした瞬間、それを見計らったかのようなタイミングで、白鬼の全身に影が絡みついてきた。  眉を寄せながら引きちぎるけれど、何しろ元が影だ。引きちぎった端から次々に絡みついてくるので、さすがに嫌気がさしてきた。 「おい毛玉。やめろ、うっとうしい。狐鍋にされたい、か……っ⁉︎」    ぴいと助けを求めるように高い声で黒い狐が鳴くと同時に、頭上から真っ白な何かが降ってきた。普段であれば不意打ちだろうと獣の一撃など食らうはずもないというのに、うねうねと全身に絡みつく影のせいで避けきれない。 『しろいののばか! ユキの顔もわすれたか!』  振り下ろした前脚で白鬼を押さえつけながら、巨大な白い狐が怒ったように鳴く。じたばたと暴れて白鬼の手を離れた黒い狐は、慌てた様子で白狐の足元へ逃げ込んだ。

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