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第83話 手の鳴る方へ⑪
動きを封じられた状態で澄也に見下ろされるのは二回目だ。己の血の匂いに混じって芳醇な血の香りが漂ってくるのも同じなら、穴が開きそうなほど強い視線が白鬼を見つめているのも同じだった。違うのは年月を経て変わった澄也の見目形と、視線に乗った感情くらいだろう。
「物覚えが悪いねえ。お前の神様はもうやめたと言っただろうに」
澄ました顔をもっと崩してやりたくてわざと言葉尻を捉えれば、澄也は怯んだように眉を寄せた。
「……ずっとあなたを探していた」
「探していた? ひとりじゃろくに見つけられなかったくせに。八咫烏に狐が三匹、この術は水無川の仕込みか? 卑怯なことは嫌いだと言っていたくせに、あの純粋だった子どもが変わったものだ」
「あなたは鬼で、俺は人間だ。卑怯だろうがなんだろうが、ひとりで挑もうとする方が身の程知らずだってことくらい、いくら俺だって分かってる」
言葉とは裏腹に罪悪感に満ちた顔をするものだから、白鬼はうっかりすると吹き出してしまいそうだった。見てくれこそ立派になったけれど、不器用で生真面目に過ぎる澄也の性格は相変わらずらしい。腕が拘束されていなければ頭を抱き寄せてかき回してやっていたところだ。
声を上げて笑いたいところを喉を鳴らすだけで堪えながら、白鬼は機嫌良く舌を回す。
「まあいい。楽しかったかって? それなりに楽しめたよ。お前がもう少し力をつけた後なら、もっとスリルがあったかもね」
「まるで遊びみたいに言うんだな」
「遊びに決まってるだろう? お前も楽しめば良かったろうに、どうしてそんなに怖い顔をしているんだい、かわいい澄也」
心のままにけらけらと笑えば、ぎりぎりと歯を噛み締める音が降ってきた。苦しげに顔を歪めた澄也は、術で雁字搦めに縛ってもまだ足りないとばかりに、白鬼の両腕を荒々しく抑えつけてくる。
「……楽しめばいい? あの日いきなり捨てられて、話もしてもらえなくて、追っても追っても本物かどうかも分からない気配しか見つけられなくて……俺とユキがどんな気持ちで生きてきたかも知らないくせに。何を楽しめって……?」
唸るような声を聞くたび嬉しくなる。当然のように使い魔の名前が出てくることは気に入らなかったけれど、そんなことが気にならない程度には気分が高揚していた。普段であれば力でまず劣るはずがない相手に馬乗りになられるというのも、妙な倒錯感があってたまらない。
何より澄也が子どものころにはあり得なかった暗く激しい感情が新鮮で、もっと怒らせてみたいと心が疼いた。遠くで眺めるより、夢に干渉するより、やはり本物をからかうのが一番面白い。
「何って、教えてくれたのはお前じゃないか。鬼ごっこだよ、鬼ごっこ。ああ、隠れ鬼というのだった? 私は鬼だから、そっちの方がしっくりくるねえ」
「ふざけてるのか」
澄也が頬を引きつらせる。無意識にか澄也の手に力がこもったのをいいことに、白鬼はわざとらしく声を上げた。
「痛いよ」
たかだか人間ひとりに押さえつけられたところで、別に痛くも痒くもない。けれど、白鬼がそう言った途端、激情に目をぎらつかせているくせに、澄也は怯んだように力を緩めた。人間と鬼は違うと先ほどその口で言ったというのに、いくつになっても本当の意味では差を理解していないらしい。どうせなら我を失うくらい怒ってみせればいいものを、と歯痒くなる。
「何がそんなに気に食わないんだい? 私はお前の願いを叶えてやっただろう?」
「俺の願いじゃないと前にも言った。あなたは自分の楽しみのために言葉の一部を切り取っただけだ」
「まあそうだね。ああ、あのときのお前の顔は見ものだった! 切り取ってしまっておけたらよかったのに」
半分冗談、半分本気でそう言えば、澄也は目をつり上げて白鬼を睨んだ。打てば響くような反応が愛らしい。本人が見せたがらない顔を暴くというのは心が躍る。逃げて追われる過程自体も楽しめたけれど、このために何年もかけたのだと思える程度には、今この瞬間のやり取りを白鬼は楽しんでいた。
「あなたはいつだってそうだった……! 自分勝手で気まぐれで、……っ」
「それで?」
「……あなたが憎い」
泣き出しそうなほど歪んだ顔で告げられた言葉に、頬が緩んだ。真っ白なものに一点だけ穿たれた染みが、己の手によるものだと思うとたまらない気分になる。
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