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第87話 手の鳴る方へ⑮
「お願いだ、白神様……。置いていかれるのが、怖いんだ」
「もういい、分かった。お前の願いを叶えてやるから、口を閉じろ」
縛られることは大嫌いだけれど、これ以上不快な言葉を聞かないで済むのなら安いものだ。身に絡みつく力を渋々と受け入れれば、澄也は泣きながら笑顔を浮かべた。
「ありがとう、白神様」
「……馬鹿にも程がある」
すっかりと力の抜け切った澄也を抱き直して、労わるように唇を重ねる。治れ、治れと祈るように精気を分け与えれば、しだいに澄也の頬には血の気が戻ってきた。
何度目かの口付けを与えようとしたそのとき、白鬼の唇を覆うように澄也が手のひらを割り込ませた。何のつもりかと眉を寄せれば、澄也は血の気が戻ったというには赤みが強すぎる顔で気まずそうにうろうろと視線をさまよわせていた。それどころか白鬼の腕から離れて身を起こそうとする。
「ありがとう、もう十分だから、その」
「ふうん?」
しきりに離れようとする様子に、ぴんと来るものがあった。逃げようとする体を捕まえてまさぐれば、腹を触られた猫のように澄也は慌てて逃げようとする。
「わっ! やめてくれって! どこ触ってるんだよ!」
「随分と元気じゃないか」
「し、白神様! 放してくれ」
「気持ちがよかった? お前、口吸いが好きだものねえ」
体は興奮しているくせに、それを恥じるように逃げる様子に心をくすぐられる。ひとを騙すだけのしたたかさを身につけても、こういう無垢なところは変わらないらしい。
服の隙間から手を入れて、上半身を裸に剥いてみる。服の上からでも分かっていた通り、引き締まった体は食欲と性欲の二重の意味でおいしそうだった。何をされているのか分からないとばかりに澄也が固まっているのをいいことに、首に刻んだ首輪を舌で辿っては肌を吸っていく。黒い首輪も赤い跡も、白い肌にはよく映える。自らの仕事に満足していると、ようやく正気を取り戻したらしい澄也が白鬼を押しのけようと腕を突っ張ってきた。
「な、な、な……! 何する気だよ!」
「そんな生娘みたいなことを言う? 言わなければ分からない? それとも言わせたいのか? お前はそういう趣向が好きなのかい? 澄也」
「知らないよ! したことなんてないんだから! それに、ここ、外だって!」
喚く声を聞き流しながら、白鬼は一度だけ指を振った。石碑の前だったはずの景色は、小屋の中の景色へと鮮やかに変化する。
「ほら、中だよ。これでいい?」
「幻なんだろう? 外は外じゃないか」
「やかましいねえ。こんな山奥、誰も来やしないよ」
肩を掴んでいた手を剥がし、見せつけるように指を絡めて握り込む。途端に澄也は視線を逸らした。楽しくなって、白鬼はくつくつと喉を鳴らした。
「何を照れることがある? 夢でも散々触れ合っただろう?」
「夢……? 触れ合う⁉︎ 夢って、どこまで……!」
顔を赤くしたかと思えば青くして、澄也は動揺しきった様子で白鬼を見上げた。その顔があまりに面白いものだから、とうとう白鬼は腹を抱えて笑い転げた。
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