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エピローグ 今日も明日も一緒に③

「……帰るよ」 「白神様。迎えにきてくれたのか? ありがとう。ユキは?」 「さあ。あのうるさい毛玉なら、池で泳いでいるんじゃない?」  冷たい言葉に肝が冷えるが、大切な使い魔との繋がりは消えていないので、少なくとも命に関わる怪我はしていないようだ。 「あんまりいじめないでやってくれ」 「身の程を教えてやっただけだ」  足がふわりと浮き上がる。荷物のようにひょいと抱き上げられてしまえば、澄也になすすべはない。遠ざかる幼なじみたちに向けて、澄也は声を張った。 「ごめん、後で払う! 今日はありがとう。また!」  苦笑しながら手を振る顔が見えたと思ったときには、急激に腹に感じる圧力が増し、景色がぐんと高さを増していた。 「苦しい」  ひと言訴えれば、荷物状態から両膝と頭を抱かれる横抱きの状態にするりと体勢が変えられる。苦しくはないが恥ずかしいのでやめてほしい。言ったところで聞いてくれないと分かっているので、賢い澄也はじっと口を閉ざしていた。  乗ったことはないがジェットコースターというものはきっとこういうものなのだろう。上がり下がりが激しい移動の後で、ようやく地面に足をつけさせてもらえたときには、周囲の景色は見慣れた神社の構内に変わっていた。 「……吐くかと思った……」 「軟弱だねえ」 「鬼と一緒にしないでくれ。なんでそんなに怒ってるんだよ。待ってるってもみじは言ってたのに、全然待ってくれてないじゃないか」  気分の悪さを堪えながら恨みごとを言えば、腕を引かれて岩場まで誘導される。それで終わればいいところを、当たり前のように膝の上に座らされるのには物申したかった。体格も背丈も変わらないというのに、ひとをぬいぐるみのように扱うのはやめてほしい。  ぎゅうぎゅうと後ろから抱きついてくる腕を軽く叩いて「離してくれ」と訴えるが、笑顔の消えた怖い顔の白神様に聞いてくれる様子はない。 「白神様、どうしたんだよ」 「またそれだ。やめろと言っても聞きやしない」 「呼び慣れてるし、外で名前を呼ぶなって言ったのはそっちじゃないか」 「お前が外に出なければ済む話なのに。ご飯もあげるし、運動だってさせてあげるよ?」 「俺をニートにしようとしないでくれ」  ただでさえ美しい白神様の顔は、無表情になると迫力が増す。怖いくらいにきれいな顔が人形のように固まっていると落ち着かないが、良くも悪くも気分屋なひとなのでそのうちいつも通りに戻るだろう。  それはいい。それよりも澄也はいい加減この体勢に抗議せずにはいられなかった。 「降ろして」 「私と触れ合うのは嫌い?」 「好きだよ。でも毎度毎度抱えられると恥ずかしい。……俺だって白神様を乗せてみたい」 「潰れてしまうよ」 「俺のことハムスターか何かだと思ってる?」  抱き上げられて撫で回されることが嫌いだとは言わないが、澄也にもプライドというものはある。げんなりと言えば、ようやく白神様は笑ってくれた。 「代わってくれ。……ほら、できるだろ」  膝から降りて、やり返すように澄也は白神様の膝と肩を支えるように腕を差し込み、ひと息に抱き上げた。膝の上に抱き上げたあとで、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべる白神様の様子に気がつく。 「お前、私を抱えたかったのか」 「うん」 「だから鍛えたって?」 「悪い?」  羞恥をこらえて頷く。目を逸らそうにもこれだけ近いと逸らしようがない上に、腕が絡みついてきて逃げられない。 「悪くはないよ。だからお前、まぐわうときにも上に乗せたがるのかと思っただけさ」 「ぶっ」  昼間から何の話をしているのか。舌がまごつく代わりに、頬は自分でも分かるほどに熱くなっていく。 「あれは、別にそういうわけじゃ……! いや、それもあるけど、あなたの顔が見えるし、くっつけるのが嬉しいから……ああ違う、そんなことはどうでもよくて!」  そんな澄也の反応の何がそこまで楽しいのか分からないが、白神様はそれはそれは楽しそうに笑い出した。 「本当に、いつまで経ってももの慣れないねえ」 「い、いきなり白神様が変なこと言い出すからだろ……!」 「変なこと? 変じゃないだろう? ねえ澄也」  サングラスを取り上げられ、流れるようにこつりと額を合わせられる。同じ金色に染まった瞳をのぞき込みながら、白神様はうっとりと目を細めた。 「お前を染めるのは気分がいい。早く一緒に地獄に行こう。約束していただろう」 「一応言っておくけど観光だからな。俺、明後日に仕事入ってるし、それまでには帰るから」  うっかりするとそのまま帰してもらえなくなりそうな言い方に、澄也はきっちりと釘を刺す。手のひらまできっちりと掲げて宣言した澄也を不満そうに睨みつけ、白神様は唇を尖らせた。 「仕事なんてどうでもいいじゃないか。何のためにそんな金がいると言うんだい」  ぎくりとするが、気づいているのかいないのか、白神様はそのままつらつらと嘆きをこぼし続ける。 「こんなことならあの時離れるんじゃなかった。そうすればあのままお前を囲っておけたのに」 「だから俺をだめ人間にしようとしないでくれって!」  とんでもないことを言い出す相手に抗議すれば、白神様はまた笑い出す。その楽しそうな様子につられてついつい頬を緩めると、戯れのように頬をつねられた。  額に、目元に、頬に、慈しむように何度も軽く唇が落とされていく。触れられると触れたくなる。雰囲気が色を帯びた方向に傾きかけたそのとき、不意に白神様が動きを止めた。  白神様の肩口には、水浸しの真っ白な狐が大層怒った様子でかぶりついていた。

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