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第18話 マンチカンとシャム⑤

アヤメは、10月一日(いっぴ)からプッシールームで働き始めた 結局誰からも指導を受けないまま初めて客を取った 指導という点では、客が教官役を務めてくれたようなものだ プレイの一貫と言えども、聞くに耐えないようなひどい言葉を投げ掛けられたこともあるが、ガラス1枚あるだけで、どこか他人事で必要な言葉は受け入れ、不必要な言葉は遮断することができた ※※※※※※※※※※※ とある秋晴れの夕方、大学が終わって店が始まる8時まで新宿サザンテラス内のカフェのテラス席で勉強をしていると、すぐ横を見知った顔が通りすぎた アヤメは思わず「コタローさん!」と声をかけた コタローがヘッドホンをつけていたので、気持ち大きめな声を出したのが裏目に出て、コタロー以外の通行人がアヤメを見た そのおかげでコタローにも微かに聞こえていたようで、立ち止まってキョロキョロと辺りを見回す姿がかわいかった アヤメはダメ押しにもう一度「コタローさん!」と声をかけた 今度はコタローだけが振り向いた 「あ…」 コタローは今夜は休みのはずだ こんな時間にこんな場所でレザーのデイバッグに古着のウインドブレーカーという街歩きスタイルでいるということは、どこかからの帰りかこれからどこかに出かけるに違いない アヤメはヤマを張って、 「お出掛けですか?」 と聞いた コタローがアヤメの席までやって来た 「…親戚のコのライブに…」 「え、ライブハウスですか?」 コタローがコクリとうなずいた 「へえ。どんな感じなんですか?」 コタローがデイバッグからフライヤーを取り出してバンド名を指差した そのバンドは知らなかったが、対バンのところにアヤメも知っているいま流行りのインディーズのバンドの名前があった 「いま人気のバンドじゃないですか。このバンドと対バンするなんて親戚のコ、結構すごいんですね」 コタローがうなずいた フライヤーにはopen5:00pm~、start5:30pm~と書いてあった コタローの親戚のコのバンドはトップバッターのようだ 「当日券あるかな」 アヤメが呟くと、コタローがスマホを取り出して「行くなら聞いてみる」と言った 「いや、でも俺今日プッシールーム(バイト)なんで…」 スマホを弄るコタローの手が止まった ふいにズキズキとアヤメの心が痛みだした 「えーと…親戚のコのバンドだけなら間に合うかな」 親戚のコのバンドはトップバッターだった 「コタローさんと親戚のコさえよければ…」 コタローは、何も言わずにふたたびスマホを弄り出した ライブハウスは、プッシールームから程近いビルの地下にあった アヤメもライブハウスにはたまに行くが、渋谷や下北沢ばかりで新宿は初めてだった openと同時に入ったからか客はまばらだった コタローは入場するなりステージに駆け寄って、セッティングをしているメンバーの一人に声をかけた 赤い髪をした若いドラマーだった アヤメも近寄ってチケットのお礼を言った 「てか、もしかして未成年?!」 「はい。高校生です」 ステージ上の他のメンバーも一人を除いては高校生のようだった 「マジか。すげー」 格からして、高校生が遊びでやっているようなバンドが出れるハコではないのは明らかだった 「楽しみにしてます」 年下に向かって思わず敬語になった アヤメとコタローは、ドリンクを受け取りバーテーブルに移動した 「The 1st bandって言うんだ?」 「その日の順番でバンド名決めてるって言ってた」 「よく来るの?」 「ケーゴのバンドが出るときは」 赤い髪のドラマーはケーゴというらしい 「親戚ってどういう関係?」 「いとこ」 「仲いいんだね」 アヤメは母一人子一人ということもあり、父方の親戚とは法事のときくらいしか会わないし、母方の親戚は遠方で、本当に小さい頃の記憶しかないから親戚と友だちのような付き合いをするという感覚がわからなかった 客席のライトが消え歓声が上がった いつの間にか、ハコは満員になっていた

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