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第44話 ヒヤとレイジ①
『ヒヤ君っていうの?変わった名前だね』
もう何度目の撮影か忘れたが、その日はプロデューサーの知り合いという男が現場に来ていた
「冷 です。冷蔵庫の冷」
「本名?なわけないか」
冷はその問いには無視した
冷 を冷 なんて読むバカとは話すのもダルかった
「冷くん、今日も緊縛でいいんですか?」
メークの女性スタッフが声を張り上げた
監督から、
「それしか無理だろ」
という答えが返ってきた
メークを終えたスタッフが、
「冷くん、今日もごめんね~」
と言って左手の袖をまくった
左手の手首に無数の自傷痕
一番新しいものは紫に変色している
「いつ見ても痛そう。本当に大丈夫?」
「問題ないです」
メーク担当は手首に大きめの絆創膏と肌色のテーピングを巻いて、素肌との境目をドーランでぼかした
「うまくやれば緊縛なしでも大丈夫そうだけど。縛ると痛いでしょ?」
心配してくれるのはありがたいが身から出た錆である
それに痛いのは…
「メグ!指も見とけよ!」
「はい!」
メグ、というのがメーク担当の彼女の名前である
こんな現場で働かせるのは心苦しいほど気遣いができて腕もいい
「冷くん、両手見せてー」
冷はいつも通り甲を上にして両手を開いた
「もしかして、自分でコントロールできてる?」
「最近は」
「爪噛み、親指だけになってる」
「全く噛まないってのはやっぱり無理で…」
「でも治そうとしてるのはえらいよ!これならごまかせるんじゃない?最悪親指は握りしめたり、シーツつかんじゃえばいいし」
そう言いながら、メグは深爪しすぎて黒ずんだ冷の親指の爪につけ爪をつけた
先ほど冷の名前を間違えた男は【ハセ】という
ハセを現場に呼んだのはメグだった
メグはAV俳優たちにメークをする仕事自体は嫌いではなかった
きちんと稼げるし、勤務体系は思ったよりうんとホワイトだ
専門学校の友達の中には、アシスタントとは名ばかりの使いっぱしりのような仕事を、子供の小遣い程度の賃金でやっている子もいる
それを一流のメークアップアーティストに、『早く一人前になるための下積み』だとか、『私もそうしてきた』と言われると何も言えなくなる
メグはそういう世界 に早々に見切りをつけ、最低限生活できる稼ぎがある この仕事に就いた
現場の人間の中には、AVが好きだから働いている人もいれば、自分のようなタイプもいて、その割合は半々だった
だから、冷の撮影の時はことさら辛かった
左手首の痛々しい自傷の痕
常に刺激がないと落ち着かないため、血が出るまで噛んだ爪
それを、別の現場で知り合ったハセに吐露したところ『悪いようにはしないから会ってみたい』と言ってくれた
次に冷の撮影をする監督の名前を告げると、なんとハセの知り合いだという
メグは自分が呼んだとバレることなく、ハセに来てもらうことに成功した
「冷!入って」
冷は大きめの【彼シャツ】の上から2番目までボタンを外した姿で寝室に入った
撮影用のワンルームマンション
このレーベルではよく使われる部屋だ
この日撮影するAVのタイトルは、
【家についていったら相手が獣でした3】
人気のシリーズだ
攻めの俳優は毎回違うが、台本はほぼ同じで、タイトルの通り街でナンパしてきた男の家について行ったら犯されると言うものだ
1では一人だった攻めが、2では複数になり、今回はSMという安直なシリーズ
それでもヒヤは看板役者だ
見た目だけはパーフェクト
撮影中にも関わらず勃起するスタッフ多数
でも取り扱いには注意が必要
なぜならヤンデレだから
というのが業界内で張られた冷のレッテルだ
『脚、きれいだね』
『ありがと』
『ね、開いて?』
『ん…』
撮影は順調に進んでいく
『やば…トロトロじゃん…遊んでるんだね』
『そんなこと』
『こんな淫乱だったら、もっとひどくしてもいいよね?』
『え?!』
俳優がベッドの上に荒々しく冷を押し倒した
「カット!」
その間に緊縛師が入り、冷を縛り上げていく
冷が縛りの撮影をされている間に、メグは攻めの俳優のメークを直した
次に冷の番
メグは枕元に片ひざをついて、緊縛の苦痛で顔を歪ませる冷のメークを直していった
「汗、出ちゃうよね。制汗スプレーかけておくね」
手錠でベッドのパイプに拘束され、黒い革ひもで目隠しされた冷の耳元に語りかけた
冷は「ありがと」とうわ言のように呟いた
メグの耳に吹きかかった息は浅く速く、熱を帯びていた
それはメグでも興奮する類いのものだった
冷のすごいところはこの状況下でも自然と興奮できることだ
根っからのSMプレイ向き
だが、本心では苦痛に思っていることが心身に現れてしまっている
それは誰が見ても明らかなのに、誰も冷に救いの手を差し出そうとしない
なんならそこに冷の価値を見いだす監督もいて、そういう監督は傷口を無遠慮にさらしてしまう
メグはハセに視線を送り、そっとベッドから離れた
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