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第136話 ボス猫現る

マサトは久々に長谷川のバーに足を踏み入れた 金曜の夜、前に来た時と同じ条件で訪れたせいか、客の入りも代わり映えしなかった 長谷川は今日もカウンターに立ち、常連らしき客たちと話しながらグラスを磨いていた 長谷川はマサトの来店に気がつくと、すぐにカウンターの席を指差した 「こちらへどうぞ」 この店に来て、初めて客扱いされたような気がする マサトがカウンターに座ると、長谷川が「ジントニックでいいですか?」と聞いた マサトは「今日はジンバックで」と答えた 長谷川はすぐにジンバックに取りかかった 「長谷川さんの店はここだけなんでしたっけ?」 長谷川の酒を作る鮮やかな手さばきを見ながらマサトは話しかけた 「いえ、あと飲食店を中心にいくつか」 以前の長谷川と同じ人物とは思えない丁寧な受け答えだ 「やり手なんですね」 マサトも長谷川に合わせる 「その歳でそんなに店を持つのは大変だったでしょ?」 「ははは」 口元は穏やかに笑っているが目は笑っていない マサトが何を言わんとしているか、気づいているのかもしれない マサトはジンバックと引き換えに1枚の写真を差し出した 長谷川はその写真を一瞥しただけで、すぐに注文が入っていた別のカクテルを作り始めた マサトは辛抱強く待つしかなかった 待っても長谷川からリアクションが得られない可能性の方が高かった その時、店のドアが開いて3人組が入ってきた 一見サラリーマン風 その中に一人だけ、普通のサラリーマンには不釣り合いな代物ばかり身につけた男がいた マサトはその違和感が気になって目で追った 足元にはよく磨かれた品のよいウイングチップ まるで定規でもあてたようなセンタープレスのきいたスラックス ブランドのシンボルマークを象ったバックルがはまったベルト 手首にはブランド名を言うのも憚られるほどの高級腕時計 マサトは男の顔を見上げて息を飲んだ 「ハセ…」 マサトの耳に長谷川の呟きが聞こえた 「よお」 ハセは長谷川を見もせずに空いているボックス席に座った 「いらっしゃいま…せ」 長谷川はおしぼりを手にハセの席に行こうとするスタッフを制し、自ら向かった 「ご無沙汰してます。ハセさん」 「おう。待たせたな」 ハセは注文するそぶりもなく、トントンと人差し指の先でテーブルを叩いた 「早くお前に会いたくてな」 その言葉が合図だったかのように、ハセの連れの二人が同時に席を立ってカウンターの方にやって来た 知らない顔だったが、マサトは慌てて顔を背けた 「注文」 「あ、はい」 二人はそのままカウンター席に座って酒を飲み始めた (取り巻きにも知られたくない内緒話か) マサトはなるべくゆっくりジンバックを飲んだ 「お前に預けてたリン(ガキ)の店、全部持ってかれたって本当か?」 ハセの問いかけに長谷川は立ちすくんだままうなずいた 「面目ないです」 「ガキの店は確か…」 「歌舞伎町のホストクラブ【Lightning(ライトニング)】と【プッシールーム】の1号店、2号店、麹町のバーです」 「どれもババアが固執してた店だな」 ババアとはリンの義母のことである 「店はまあいい。ババアの店はいつか潰す気だったからな」 長谷川は安堵を気取られないように努めて冷静を装った 「でも制裁は必要、ね?」 そう言って、テーブルの上に若者向けのファッション雑誌を置いた 「俺が間、お前、青山にカフェオープンしたんだって?」 長谷川の心臓がドクンと大きく波打ち、背中に一筋の汗が流れた

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