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第149話 変化の季節②
そのボックス席にはいつも【reservation 】の札が置かれている
その客が来るのは月に1回か2回だというのに、いつ何時フラッとやって来ても対応できるよう、常に【reserve】してあるのだ
その日は、ひと月ぶりに札が外された
「はせがわーあの件どーなった?」
ハセがおしぼりでひよこを作りながら言った
すでにツレの分のおしぼりで2匹のひよこを作り上げていた
「権利関係と税金関係の手続きで年内いっぱいかかりそうですが、売り上げは報告している通りなので…」
カフェの売り上げは丸々ハセのところにいくようになった
経費などのやりくりは長谷川が間に入って調整をしているため、ミナミは知らない
「ふーん。ところでさ、俺知らなかったんだけど、ここの店長、アイナと付き合ってるんだって?」
「俺は存じ上げませんが…」
「雑誌の写真、見たことあると思ったら、前にプッシールーム にいたヤツだよな?存じ上げないなんてことあるか?」
ついに来たか、と長谷川は思った
どこから突っ込まれるのだろうか
カフェは自分とミナミの宝物で、子供で命だ
ミナミはどう思っているのかは知らないが、長谷川はそう思っている
とはいえ、店は所詮、本当の子供ではないのだから最悪手放せばいい
だが、ミナミ本人に害が及ぶようなことがあれば、自分が何をしてしまうか長谷川自身もわからなかった
長谷川は無言で頭を下げてその場を離れた
長谷川が戻ってくるとカウンターに座っていた客が声をかけてきた
「予約のお客さん、ついにいらしたんですね」
その客を見た長谷川は動揺が悟られないよう努めて冷静に答えた
「タキさん、お一人で来るのは初めてですよね?」
タキはマティーニで1杯で上機嫌になっていた
タキは以前、ミナミに連れられてこの店に来たことがあった
長谷川の正体はもちろん知らない
「ちょっと失恋しまして、人との待ち合わせの前に一杯飲みたかったんですよね」
「タキさんを振るなんてとんでもない男ですね」
言った後、即座に『しまった』と思った
これではまるで、タキがゲイだと知っているかのようだ
ハセの急訪のせいで頭が働いていないのが自分でもわかった
意外にもタキは勘ぐったりはせず、
「やっぱりバレてましたか」
と笑った
「ゲイ同士だとお互い感づいたりするんですが、マスターはノンケですよね?ここも普通のバーだし」
「そうですが、タキさんは男性から見ても惚れそうになるくらいキレイですからね」
「マスターに言われると悪い気しないな。でも性格は悪いんでモテないんですよね」
「そんな風にはとても…ところで、今日はどうして?」
長谷川はハセのテーブルを盗み見た
まだこちらを気にしている様子がないが、これからタキとバッティングすると厄介だ
タキに自分の立場かバレるのも困るし、ハセにタキのことがバレてもいいことはないだろう
「実は知り合いとの待ち合わせに使わせてもらいました。そろそろ来ると思うんですが…」
そんな話をしていると、オークのドアがちょうど開いて、サングラスとキャップをつけた長身でスタイルのいい男性が現れた
「あ、来ました。不特定多数のひとがあまり来ない隠れ家的な店って、ここしか知らなくて」
店内を見回していた男性はタキに気がつくと小走りでタキの隣にやって来た
「お待たせしました」
「マスターが話し相手になってくれたから」
「ありがとうございます」
男性は長谷川に軽く頭を下げて椅子に座った
「せっかくだから1杯飲みますか?」
「じゃあ生で」
「ここのマスターのカクテルおいしいから、苦手じゃなければオススメですよ」
「じゃあ、タキさん選んでくれます?」
男性は、立ち居振舞い、持ち物、雰囲気からしてただ者ではなく、タキと並んでいても遜色ないお似合いのカップルに見えた
タキは男性のために【バラライカ】を頼んだ
バラライカのカクテル言葉は『恋は焦らず』だ
タキは知っていて頼んだのだろうか
長谷川はタキと男性を見比べた
男性が羽織っていた薄手のパーカーを脱いだ
「あれ?こんなにがっちりしてたっけ?」
タキが男性の腕を触った
「役作りで急ピッチで仕上げました」
「刑事の役だっけ?」
「はい」
「はまり役。観に行きますね」
「あ、だったらプレミアム試写会に招待するから…」
男性は長谷川からバラライカを受けとるとタキと乾杯した
会話の内容から芸能関係者ということがわかる
若手俳優の諏訪緑人に似ているように思うが、サングラスをしているからはっきりとはわからない
どちらにしろ、お似合いのカップルにしか見えない
「マスターお会計お願いします」
男性が飲み終わるとタキが声をかけた
「俺が出しますよ」
男性が財布を出そうとするタキを遮った
「今日は僕が誘ったから」
「次回に繋げたいんですよ、わかりませんか」
男性のその一言が決め手となってタキが折れた
二人が出ていき、カウンターの中から席を片付けていると、いつの間にかハセが目の前に立っていた
「今日はこれで帰るわ」
「お構いできませんで」
「酒が飲めればなんでもいーよ」
この日、ハセはお気に入りのウイスキーのボトルを入れて飲んでいた
ツレと静かに話し込んでいたから邪魔ではなかったが、そこに存在しているだけで威圧感と不安が拭えなかった
「そういえば、さっきまでここにいた客」
ハセがタキが座っていた席を指差した
長谷川は思わず手の動きを止めた
「あれも確か、ガキの店にいた…確かペルシャ猫…」
ハセが長谷川を見てニヤリと笑った
長谷川はその顔を見なかったことに決めた
「…ただのお客さんですよ。それに正しくは男性です」
「わかってるって。でもあんな上物はそうそういねーからな。実物は写真より数倍いい」
長谷川の言葉などまるで聞いていない
「一度寝てみてーな」
ハセの病気はいつ発症するかわからない
長谷川は首を横に振った
「いくらハセさんでも…」
「風俗店で働いていてできないはないだろ。ゲイなんだし。金なら払うぜ?」
ハセはツレに財布を出させ、カウンターに1万円札をばらまいた
「前金」
ハセはそう言って店を出ていった
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