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第150話 秋のペルシャ①

「連絡もらえて嬉しかったです」 西新宿にあるフレンチレストランの個室で、緑人はやっとサングラスとキャップを外した 「お忙しいなかお呼びだてしてごめんなさい」 「いえいえ。ちょうどドラマと声優の仕事が落ち着いていたところだったので」 息をするように嘘をついた 仕事は半年先までスケジュールでいっぱいだ だが、アニメとゲームに続き、実写映画化が予定されている小説の原作者と会うということは、今後の仕事につながるとマネージャーを説得して、雑誌のインタビューと撮影の仕事を半分後日に振り替えてもらったのだ   (ほんと、いいマネージャーだよなあ) いま、目の前にいるタキを見ていると、改めて感謝するほかない お陰で今夜はフリーだ 忙しいからこそ全力でいく 今夜中にできれば言うことなしだが、最低でも次に会う約束は取り付けたい 「ああいったお店はよく行くんですか?」 乾杯を終え、二人一緒にグラスに口をつけた バーでも思ったが、タキは本当に美味しそうにお酒を飲む 「いつもは友人たちと居酒屋です」 「タキさんが居酒屋行ってる姿、想像できないです」 「行きますよ。あそこの店は友人に教えてもらったんですが、落ち着くので気に入ってるんです」 確かにいい店だった 客層を除けば タキと緑人の他に数組の客がいたが、1組だけ堅気ではない臭いがする客がいた 新宿みたいなところで店をやると、ああいう客も紛れ込むのだろうか 「ご友人が多いんですね。滋さんの結婚式の時の方々ですか?」 「そうですね。彼らは戦友みたいなところがあるので…」 タキが控えめに微笑んだ 「やっぱりタキさんの選ぶ言葉は独特できれいですね」 「そうですか?」 「もっと聞きたいです」 会った時から思っていたが、今夜の緑人は雄の匂いが強い 「諏訪さん、そういうのはちょっと控えた方が…」 緑人の身辺を案じたのはもちろんだが、エチゼンにフラれて心がささくれている今のタキにとっては刺激が強かった しかし、藪をつついて蛇を出してしまったとすぐに気づかされることとなった 緑人はその色気溢れる眼差しでタキを見つめると、 「今夜が勝負だと思ってるので」 と言った 結婚式の二次会で、俳優の自分に対する九やタキの態度にプライドが傷つけられたのがひとつ こんなにキレイなら一度試してみたいと思う気持ちがひとつ あの独特な雰囲気のコミュニティに入り込みたかったのがひとつ 最初はどちらかと言うと九に目を奪われた 華やかで、キレイで、自由で、退廃的な雰囲気が好みだと思った そのあと、ヒヤ 色気と無邪気さと危うさが混在していた タキは美人だったが、安定していて魅力に欠けていた しかし、アニメの収録スタジオで、連れの男性の電話に割って入った姿を目撃してから急激にタキに惹かれた 自分から連絡したかったが、一度本気だと自覚すると途端に動けなくなった 悶々としていたところ、タキの方から連絡をもらって舞い上がった 「俺もタキさんも忙しい身ですから、今夜は不躾(ぶしつけ)なこともお聞きしたいと思っています。許してもらえますか?」 「どうぞ」 「ゲイの人は…いや、違うな…タキさんは俺と寝れますか?」 さすがにここまで露骨に聞かれるとは思わず、タキはペルドロー・グリを取りこぼした 「本当に、不躾(ぶしつけ)…」 タキはナプキンで口を拭き、シャンパンを一口飲んだ それが始める合図となった 「ゲイには、タチとネコというのがあるって知ってますか?」 タキはナプキンをきれいに畳んでテーブルの脇に置いた 「()れる側と、()れられる側、ですか?」 緑人が恥ずかしそうに声を落とした 「俺と緑人さんの場合、緑人さんはノンケ…つまりストレートなので、おそらく俺に()れたい方だと思います」 「それは…はい」 「それでは、俺も挿入したい側だった場合、どうします?」 「えー…と」 「俺の友達には両方イケるという人間もいますが、属性というのはそう簡単に変えられるものじゃありません。少なくとも僕は変えられません。ノンケの緑人さんにもおそらく無理でしょう。だって挿入されたいという欲求がそもそもないんですから。なので、その時点でご縁がなかったことになる」 「…」 「そこをクリアできたとしても、男女のセックスとは違って、はい、濡らしました、コンドームつけました、挿れます、とはいきません。緑人さんは、男性同士がどうやってセックスをするかご存じですか?」 「知識としては…」 「では、実践として。受け手は相当な準備が必要だし、体にも負担がかかります。誰とでもできる人もいるだろうけど、大抵のひとは相手が好きだからできることです」 「…」 「一回寝るにはリスクが大きい。感染症などもありますしね。俺は今のところ陰性ですが、火遊びを繰り返していたらいつどうなるかわかりません。となると、できれば長く付き合えて、信頼できるパートナーが望ましい。緑人さんにその覚悟はありますか?」 すぐに返答などできるはすがない 「はい」では軽いし、「いいえ」では重い タキは、緑人の沈黙に対し、続きを聞く権利を与えた 「特定のパートナーになったとき、立場によっては一生隠し遠さなければならないこともあります。仕事関係はもとより家族や友人にさえも。それは思っているより孤独です。俺は友達がいるからまだいいけど、緑人さんは違うでしょう?それでも俺を抱きたいと思いますか?」 ここまで聞かされて、緑人はやっと幸せな夢からたたき起こされたような気がした どんなに幸せな夢でも、過酷な現実の方がよほど価値がある 緑人は答えを出した 「抱きたい、です」

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