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第159話 ペルシャの前夜④

客室についた露天風呂で身体を洗っている最中も、緑人は鼻唄を歌っていた タキはそれを冷めた目で眺めながら 「そんなに嬉しい?」 と泡だらけの背中に投げ掛けた 「当たり前じゃん。タキ、セックスでイッたの初めてなんだろ?だったらタキの処女は実質オレのものじゃん」 緑人はシャワーを全開にし、一気に泡を洗い流した タキが横にずれて湯船にスペースを作ると、そこに緑人が入った 「タキはどんな気分だった?」 「…気持ちよかったよ…」 タキは緑人の方を見ずに吐き捨てるように呟いた 言い方はどうあれ、タキと付き合いだしてから緑人が二番目に聞きたかった言葉だ ちなみに一番聞きたい言葉は「イッちゃう」だが、それは今後も聞く機会があるだろう 緑人は心がむずむずしてきた 「何モジモジしてるの」 緑人の異変に気づいたタキがいぶかしげに顔を覗き込んだきた すっぴんのタキはいつもよりあどけなく見えた 「何でもないよ」 緑人はタキのおでこにくっついた髪を払ってキスをした ※※※ 次の日は昼近くまで寝て、レストランで昼食に近い朝食を食べ、他の客が誰もいない大浴場にゆっくり浸かってから帰途についた 温泉とセックスしかしなかったが、思い出せば胸がいっぱいになる旅行になったと緑人は思った 「今度は観光もできるといいね」 タキが車窓から見える海を眺めながら言った ※※※ 新宿に着いたのは夕方5時前だった 「間に合う?」 「十分だよ。せっかく明日まで宿取ってたのに、泊まれなくてごめんね」 よほど大事な用事なのか、口では大丈夫と言いながら何度も時計を見るタキが気になった その用事が仕事かどうか聞いたとき、タキは「違う」と答えたが、新宿の繁華街のど真ん中で降ろすとなると色々と勘ぐってしまう 区役所通りを靖国通り方面に向けて走っていると、浴衣姿の人が目についた 「何かの祭りかな?」 「花園神社。酉の市。今日は一の酉かな」 「二の酉もあるの?」 「三の酉まであるよ。2週間起きくらいに」 「詳しいね」 「プッシールームが近いからね。俺の青春」 「それは知らなかった」 「いまは緑人くんがいるけど、少し前までは俺の心を慰めてくれるのはプッシールームのお客さんたちだけだったからね」 「もう大丈夫?」 「うん。頼りにしてる。一の酉が無事に終わったら、二の酉は一緒にいこう」 「え?」 緑人の聞き返しに、タキは答えなかった 「本当にここでいいの?」 新宿ピカデリーの前でタキを降ろした 人も車も多い道路だから、別れを惜しむ時間などない 「ありがとう。じゃあ、また連絡するね」 タキは素早く降りると、すぐに夜の新宿の喧騒に紛れて見えなくなってしまった

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