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22 特別枠

 その日の午後になり、ようやく朝からの人だかりの原因と見知らぬ例の綺麗な男性の正体が判明した。  噂を仕入れてきたのは、やはりというかお調子者の安西だった。午前中、朝陽にあれだけ冷たい対応をされたというのに、全く堪えた様子がないのはさすがというべきか。 「聞いてよほまちゃん!」 「なんだよ突然」  席を外している近くの社員の椅子に勝手に座り、俺のデスクに肘を突く安西。反対側に座る朝陽は胡乱げな目つきで安西を凝視しているけど、安西は何処吹く風だ。俺を挟んでお前らは何をしている。 「朝からみんな騒いでたの知ってる?」 「ああ、第一営業部の方をみんな見てたよな」  午後になり少しずつ問い合わせが入り始めたので、キーボードを打つ手は止めないまま返した。  横からひしひしと、「今日は残業しないで僕と帰るんですからね」という朝陽の圧を感じている。さっき、新年早々早速俺に仕事を振ってこようとした先輩を「僕らよりも先輩が資料を作成した方が見やすいんですよね! お手本見てみたいです!」と乗せて撃退していた。何となく安西味を感じたのは、朝陽には内緒だ。 「あれさ、副社長の息子が特別枠で新規採用されて、第一営業部に配属されたからなんだよ!」 「へー」  それって所謂縁故採用か? と思いながら、軽く返事をする。 「ほまちゃん、特別枠って聞いたことない?」 「いや、初耳だよ。何だそれ」  朝陽もそれに関しては知らないのか、業務をこなしながらも耳を傾けているようだ。 「ほら、元々うちの会社って大手の割に考えが古臭いじゃん?」  それに関しては「はい」としか思わないけど、こんな場で頷いて誰かに見られて告げ口でもされたら溜まったもんじゃない。 「俺は何も答えない」 「ほまちゃんって本当事なかれ主義だよねー」 「余計なお世話だよ」  横目で軽く睨んだのに、安西はお構いなしに話を進めていった。俺はお前の強メンタルが羨ましいよ。 「オメガって三ヶ月に一度はヒート休暇を取るし、アルファがいる職場だとヒート事故もなきにしもあらずじゃん?」  びく、と朝陽の身体が小さく揺れる。横目で見ると、綺麗な姿勢で画面を見ながら打ち込んでいた。……気のせいか? 「なんだって急にオメガの話になるんだよ」 「だーかーらあ、どこの企業もオメガは進んでは採用したくないのが本音だろ? だけどほら、少し前のドラマでオメガが主役の可哀想なやつあっただろ。あれで世論が一気にオメガの労働環境に同情的になったじゃん」  じゃんと言われても、俺はドラマは見ない派なので知らないけど、そうだったのか。 「でさ、誰が言い出したんだかまでは知らないけど、上層部が『企業イメージをよくする改革』の一貫として、お試しで特別枠での採用を言い出したんだって」 「へー」 「で、名乗りを上げたのが副社長で、自分のところの目に入れても痛くないほど可愛がってるっていう末っ子のオメガの息子を捩じ込んできたって訳だ」  なるほど。話が見えてきたかもしれない。俺の脳裏に、昼休みに俺を見て馬鹿にしたように笑っていた綺麗な男の姿が過った。  得意げに人差し指をピンと立てている安西を見る。 「つまり、副社長の大事な息子が特別枠で第一営業部に入ってきたからみんな騒いでたってことか?」 「ほまちゃん正解!」  と、ここまで静かに仕事をしていた朝陽が、ボソリと「みんな暇人ですね」と冷たい口調で言った。まあそれに関しては俺も同意見だけど、それよりも俺には朝陽の冴えない表情の方が気になった。 「第一営業部の瀧ってアルファいるじゃん? あいつ一年目なのにオメガのOJTに抜擢されたらしくてさ。さっきちょろっと見に行ったら、デレデレしながら教えてたぜ」  なるほど、だから昼間も瀧と一緒にいたのか。 「瀧って男のオメガもイケる派なのかね? でも実はさっき例のオメガに話しかけられちゃってさ、もうオーラからして違うのな!」 「話しかけられた? 何でまた」  安西が興奮気味に説明する。 「いや、第三営業部にアルファの人いますよねってさ。どんな方ですかって聞かれただけだけど、もうなんか存在の次元が違うくらい綺麗で圧倒されちゃったよ」 「……へえ」  なんだ、と内心ホッとした。朝陽に話しかけたそうな雰囲気だったからもしかして知り合いかと思ったけど、この感じだとどうやら違うみたいだ。……あれ? 何で俺は知り合いじゃないって分かってホッとしてるんだろう? 「まあ俺にはチカがいるからあれだけど、あれなら男でもイケるってマジで思った!」 「は、はは……」  反応しにくい発言を昼間からするな。ていうかお前はベータの俺ですらイケそうな雰囲気だったじゃないか。どれだけ許容範囲が広いんだよ、と呆れて、すぐに朝陽だって俺が許容範囲内だったことに思い至る。……うん。  安西が、デスクに身を乗り出して朝陽に話しかける。 「なあ、高井はどうなの? やっぱりオメガには男だろうが惹かれるもん――」 「誉さん、ここ質問なんですがいいですか?」 「えっ?」  朝陽が、明らかに無視したと分かる態度で俺に話しかけてきた。  朝陽が、冷めた眼差しで安西を見る。 「安西さん、仕事中ですよ」  冷え冷えとした眼差しと声色で朝陽に言われた安西は、ニカッと八重歯を見せた笑顔のまま、床を蹴ってスーッと椅子ごと消えていった。安西は空気をよく読む男だ。  はあ、と小さな息を吐いた朝陽の表情は、どことなく浮かない。  朝陽の方に椅子ごと近付くと、ピンとした姿勢のままの朝陽の顔を覗き込む。 「……朝陽、大丈夫か? 今日、やっぱり具合が」 「具合は全然問題ないです。気分だけの問題ですから、今夜はやっぱりなしにしようなんてなしですからね」  気分はやっぱりあれなのか。  どことなく泣きそうに見える朝陽の端整な横顔を見ている内に、ヨシヨシと頭を撫でてあげたくなってくる。だけど当然、会社でそんなことはできる筈もない。  だから、だろうか。  気が付けば、この口が勝手に言っていた。 「……俺が明日立てるくらいに留めるなら、今夜、いいぞ」 「――えっ」  ぐりん! と物凄い勢いで朝陽が振り向く。 「え、あ……っ、いや、その、」  俺は何を口走ったんだ。馬鹿じゃないか、なんで俺を抱いたら朝陽の機嫌が直るかもなんて烏滸がましいことを――。自分が急に恥ずかしくなって、自分のデスクに慌てて戻ろうとすると。 「誉さんっ」  朝陽の大きな手が、離れようとしていた俺の二の腕を掴んで引き寄せた。  朝陽は耳元に顔を近付けると、小声で素早く喋る。 「誉さんから言ってくれるなんて、僕は幸せ者です!」  ……あれ? 喜んでるぞ? まさか、効果ありだったのか?  御主人様大好き、とキラキラする瞳で尻尾を振りまくるような朝陽の期待に満ちた顔がすぐ近くにあるのを見て、俺の心臓が急に早鐘を打ち始めた。 「僕を慰めようとして言ってくれたんですよね?」 「う……あ、うん……」  目線を合わせているのが恥ずかしくなり、目を伏せる。 「今夜は優しく抱きますね。約束します」  朝陽の囁き声に、俯いたまま小さく頷くことしかできない俺だった。

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