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30 瀧の歓迎会

 瀧の説明によると。  オメガの福山結弦(ゆづる)がくる前までは、瀧は瀧で先輩社員からOJTを受けていた。それが突然福山結弦のOJTに抜擢され、正直瀧は喜んだ。  何故か。  勿論、OJTがようやく終わり自分のやりたいようにできる、ということもある。  だけど、それ以外にも理由があった。  現在瀧には、恋人もいなければ番もいない。運命の番とまでは言わなくても、自分だけの絶対に裏切ることのない番がいつかは欲しいと願っていた。だけど、いいなと思うオメガには大抵番がいて、「いい出会いがないかなあ」とも思っていた。  福山結弦は、オメガ男性の中でもかなり綺麗な方だ。上級と言ってもいい。更には瀧曰く、フェロモンの香りも特別甘くていい匂い。これまで「いくらオメガでも男はなあ」と思っていたけど、福山結弦をひと目見て考えを変えたそうだ。  つまり、OJTに抜擢されたことをきっかけにお近づきになれたらいいな、と思ったらしい。下心満載過ぎるな、こいつ。 「オメガってやっぱりいい匂いがするんだ?」 「気になるのそこっすか?」  瀧が、呆れたように小さく笑う。瀧は当たり前のように言うけど、俺が思い出していたのはあの時の朝陽の仕草だ。鼻の穴を指で塞ぎ、まるで匂いを嗅がないようにした仕草をした、あの時。日頃にこやかな朝陽が、不愉快そうに眉間に皴を寄せていた。その後の、明らかにその場から逃げるような行動も、オメガの匂いを嗅いだからだとしたら――? 「いい匂いっすよ。アルファを誘う匂いっていうんすかね。普段はムラムラまではこないけど、近くに寄って嗅いでいたいって思うくらいにはいいっすね」 「ムラムラって」 「ヒートが近くなると、発情のフェロモンを出してくるんすよ。大抵のアルファは発情抑制剤を常用してるんでヒートの匂いを嗅いでもすぐラットになったりはしないんすけど、ムラムラはしますね」 「へえ」  つまり、抑制剤を飲んでなかったらヒートのオメガに出会った瞬間ラットになるってことか? なんとまあ、第二性ってのは大変そうだ。やっぱり俺はベータでよかった。  デスクに肘を突き、ヒソヒソ声で続ける。 「まあそれはいいや。で、お前のせいって一体なにをしたんだ? まさか副社長の息子にセクハラでもしたんじゃないだろうな」  ギロリと睨むと、瀧は慌てて首を横に振った。 「め、滅相もないっす! 俺はちゃーんと節度を持って接してましたって! だけど、あの人が俺のこと根掘り葉掘り聞いてくるから、俺に気があるのかなーとは思ったのは事実っす」 「聞かれた? どういうこと?」  瀧が、こめかみをポリポリと掻く。 「基本情報っすよ。番はいるのかとか、まだでも番候補はいるのかとか。アルファが必ずしもオメガと番うって訳じゃないんで、ベータの恋人はいないかとか」 「お前に興味ありまくりじゃないか」 「そう思いますよね? 俺もそう思ったっす」  だけど、と瀧がハアーと悲しげな溜息を吐いた。 「番も恋人もいないって言った後、家族構成とか出身大学とか聞かれたんす」 「お、おう」  凄いな、と思った。職場で出会って一週間でする会話の内容とは思えない。第一、相手が不快だと思った瞬間セクハラになる内容だぞ? 福山結弦はもう少し社会というものを学ぶべきだと思う。まあ、それもあってのOJTだとは思うが。 「で、俺って母子家庭なんすよね。父親はアルファだったんですけど、俺が小さい頃に死んじゃって。母親がオメガなこともあって、仕事とか結構大変で。はっきり言って、小さい頃はかなり貧しかったっす」 「そうなんだ……」  瀧が、照れくさそうに笑う。 「っす。でも、高校から俺もバイトを始めて資金貯めてから株始めたんで、お陰様で結構儲かっていて今は全然問題ないんすけどね」 「えっ」 「でも大学の学費もかかるじゃないすか。丁度母親がちょっと体調を崩してた時期ってこともあって、大学は家から通える一番近い二流の国立にしたんすよね」  ふんふん、と瀧の言葉に頷く。 「で、入院費も稼ぎたいしで働いてばっかいたら一留しちゃったんす。あ、母親も今は元気っすよ? 入院中に出会ったお医者さんと今はお付き合いしていて、毎日ハッピーっす」 「お前……凄いな」  まさかこの明るさの裏にそんな苦労があったなんて、想像もしていなかった。 「腐ってもアルファってよく言われるっす」 「いや、全然腐ってないよ。なんか見直した」  思ったことを素直に伝えると、瀧が嬉しそうに唇を口の中にしまい込んだ。なんだ、軽そうな奴だなって思ってたけどちゃんとした奴じゃないか、と見た目と喋り方で判断していた自分を恥じる。  嬉しそうにニコニコしていた瀧だったけど、突然フッと表情が暗くなった。ん? どうした。 「なんすけど、それをゆづくんに言った途端、『なんだ、ハズレか』って言われて……」 「――ハアッ!?」  なんだそれ! 思わず大きな声を上げると、瀧が俺の口をパッと手のひらで塞ぐ。こいつも朝陽と一緒で、大きな手をしてるんだな、なんて気付いた。  と、俺らの様子を目敏く見ていた安西が、椅子を蹴ってスーッと寄ってきた。お前は歩くということをしないのか。 「なになに、どうしたの?」 「あ、安西さんどーもっす」  瀧がへらりとした笑いを浮かべる。 「ちょっと、俺の話を聞いて安田さんが驚いちゃったんす」 「え、話ってなに? 俺も聞いていいやつ?」  ぐいぐいくるな。ジト目で安西を見たところで、こいつが堪える筈もない。俺と瀧の肩に腕を回すと、顔を近付けて小声で言った。 「て聞きたいとこなんだけど、さっきからお局様がすっげー怖い目で見てるから今はやめとこうぜ」 「もう聞く話になってんのが凄いっすね」 「いいねー瀧ちゃんナイスツッコミー」 「っす」  褒めてないし有難がるな。  安西が小声のまま提案する。 「じゃあさ、今夜瀧ちゃんの歓迎会も兼ねて三人で飲みに行かね? もうずっと高井にほまちゃん独占されてたしさ、たまにはいいじゃん」  俺は考えた。俺と安西二人で飲みに行ったら、確実に朝陽の機嫌が悪くなる。なんせ俺の貞操を狙った前科者だからな。だが、今回は瀧がいる。そして歓迎会という名目もある。  正直、俺はひとりで淋しい夜を過ごすことに既に嫌気が差していた。要は、構ってくれる相手がいるなら乗りたいってことだ。 「じゃあ行くか?」  念の為瀧に確認する。瀧は甘い整った顔に力の抜けたへにょりと笑みを浮かべると、「っす」と答えた。 ◇  定時でサーッと上がると、会社からほど近い赤提灯に入った。  安西が「これも食べたい! あ、こっちも! あ、お兄さん生三つね!」と人の意見など一切聞かずに歓迎会を開始する。  ビールを飲みつつ瀧が改めて俺に聞かせたのを同じ話を安西にすると、安西が思い切り顔を顰めた。 「なんだそのオメガ! 性格最悪じゃねえかよ!」 「やっぱりそういう意味に取れるっすよね?」  情けなく眉毛を垂らして力なく笑う瀧を見ていたら、再び俺も腹が立ってくる。 「当たり前だろ。いくら副社長の息子だからって、人として言っていいことと駄目なことはある。しかも瀧はちっともハズレなんかじゃないじゃないか」  と、瀧が頬を赤らめた。 「……ほまちゃん先輩って優しいっすよね。あの堅物高井が懐いたの、よく分かるっす」  そこへすかさず、安西が瀧の肩を組んで賛同する。 「だろお!? でも事なかれ主義だからさ、断れなくっていっつも余計な仕事ばっかりさせられてんの。瀧ちゃんさ、ほまちゃんを助けてあげてくれよな?」 「っす!」 「ていうかそのほまちゃん先輩ってなんだよ」  ほまちゃんだけでも大分違和感があるのに、更に付け足すな。呆れ顔で問うと、すっかり意気投合した瀧と安西が「だってなー!」「っす!」と頷き合っているじゃないか。  と、安西が急に真面目な表情に変わる。 「――にしても、そこへ来て突然の人事異動だろ? 理由は何だったの?」 「説明はなかったっす。第三へ行くことってだけで」 「滅茶苦茶だな……」  会社は一体何を考えてるんだか。苛立ちながらぐびりとビールを口に含んだ。  瀧が、目を伏せる。 「俺の勝手な予想では、ゆづくんに俺の学歴を話した途端の異動だったんで、番候補から外されたって考えてるっす」 「そんな滅茶苦茶な」  安西はそう言ったけど、いや、確かに部長は福山結弦絡みだと言っていたぞ。  嫌な予感に、背筋がぞわっとした。 「……まさか」  恐る恐る、瀧を見る。 「多分っすけど、次に狙われてるのは高井っぽいっすね……」 「マジかよ……」  俺の脳裏に、強引に俺の前で高井を飲みに誘った福山結弦の嘘くさい笑顔が過った。

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