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31 会えない日々

 その日の夜遅く、朝陽から疲れ切った声で電話がかかってきた。 「おう、朝陽お疲れ」 『誉さん……夜遅くにごめんなさい』  朝陽の安堵したような声色を聞いた瞬間、こんな優しい声色になるほど俺の声を聞きたいと思ってくれてるんだな、とずっとザワザワしていた気持ちが凪いでくるのが分かった。 「いや、だから構わないってば。それよりも朝陽、声が疲れ切ってないか? お前こそ大丈夫か?」  と、ハハ……と電話の向こうから乾いた笑いがする。聞いた瞬間、俺の中の庇護欲が掻き立てられていく。今すぐ朝陽の元に走って行って、抱き締めてやりたくなった。 『正直、気苦労が凄くて疲れました』 「本当にお疲れ……」 『気苦労』という部分が妙に気になる。まさかな、と思いながら、尋ねてみた。 「なあ、まさかあの福山結弦っていうオメガと一緒に行動してたりしないよな?」  聞いた途端、朝陽が焦り声で尋ね返す。 『なっ、何で知ってるんですか!? 何か噂になってるんですか!』  明確な肯定。強すぎる反応に、嫌な想像が膨らむ。 「あ、いや、今日瀧の歓迎会をやったんだけどさ。その時にあまりよくない話を聞いて」 『よくない話って……?』  言うべきか言わないべきか、一瞬迷った。だって、これを言ったら、まるで俺が朝陽の愛情を疑ってるみたいに聞こえないか?  でも、確認したい。我慢できなかった。朝陽は大丈夫だって安心したかったから。 「その……あの人が、瀧をハズレアルファって言ったらしくて……そのすぐ後に朝陽と瀧が入れ替えになったっていうから、まさかなって昨日話しててさ」  どうしても直接的な言葉は言えなくて、曖昧な言い方になってしまった。 「は……っ?」  と、朝陽が息を呑んで黙り込んでしまったじゃないか。  ちょっと、なんで何も言わないんだよ。不安になるだろ、頼むから笑い飛ばしてくれよ。 「あの……朝陽?」  沈黙に耐え切れなくなって、朝陽の名を呼ぶ。ようやく、朝陽が口を開いた。 『……正直僕も、何が起きてるかよく分かってないんです。僕、部長の補佐についてるじゃないですか。だけど何故か、あの人も全部一緒についてきてて……』 「え?」  全部? てことは、会社にいる間中、朝陽はあのオメガと一緒に過ごしてるっていうのか?  嫌な気持ちが、じわりと湧き出てきた。  フー、と、長い溜息を吐いた後、またもや静かになってしまった朝陽。その様子に、否が応でも不安を掻き立てられる。  朝陽を疑っている訳じゃない。だけど、俺はどう頑張ったって、アルファの番にはなれっこない。朝陽を狙ってるかもしれないオメガ、しかも極上のオメガがずっと傍にいると聞いて、落ち着いてなんていられなかった。 「朝陽――?」  震えそうになる声を懸命に抑えながら、見えない電話の向こうの朝陽に呼びかける。なあ、今お前は俺のことを考えてるか? まさかあのオメガのことを考えてなんていないよな――? 『これは誉さんに言うつもりなかったんですけど……』  朝陽が言い淀む。 「なに? 言ってくれよ」  朝陽が俺に隠し事をしようとしていた事実が、俺の不安を煽った。先輩ぶった余裕そうな口調で聞いたけど、内心は全く穏やかではない。 『実は部長に、『番が決まってないなら彼なんかどうだ』とけしかけられていて』 「は? 何だよそれ!」  どんだけ昭和なんだ。プライベート中のプライベートである番について上司が言及するなんて、どう考えたってアウトだ。 『僕が否定しても、周りがそういう風な空気を作ってきて……物凄くやりにくいです』  周りもってことは、第一営業部内の雰囲気がもうそんな感じだってことか。軽く想像しただけで、げんなりしてくる。 「そりゃそうだよ……。あ、だから気苦労か」 『はい。参っちゃいます』  枯れた笑い声を聞いて、俺は頭を抱えたくなった。いや本当、何なんだよあのオメガ! それと第一の部長!  切なそうな声で、朝陽が続ける。 『だから誉さん、何か変な噂を聞いても、信じないで下さいね!?』 「わ、分かってるって」 『今度の週末に、ちゃんと根拠も話しますから!』 「……根拠って一体何の?」  だけど、ここで三度(みたび)朝陽が黙り込んでしまう。  は、と気付いた。もしかしたらこれも、朝陽の秘密に絡んだ話なんじゃないかって。  だとしたら、今ここで朝陽にしつこく聞いてこれ以上疲弊させたくない。朝陽はきっと今、秘密を俺に話す為に覚悟を決めている最中だと思うから。 「……分かったよ。今度な」 『すみません……』 「ん、いいって。それより飯食ったか?」 『あ、はい。会食で。食べた気になれませんでしたけど』  ……何と言って慰めればいいのやら、だ。  だからかもしれない。  思わず言ってしまったのは。 「朝陽、早くお前に会いたいよ」 『……えっ』  そこ、何でそんな驚く。次いで、『あの、え、どうしよう、僕、まさかそんなこと言ってもらえるなんて、えっと』と挙動不審になってしまった。  途端、募っていた不安が霧散していくのが分かった。だって、こいつは俺のこんなひと言でこんなにも喜んでくれるんだから。  微笑みながら、朝陽に問う。 「なあ、朝陽はどうなんだ?」 『も、勿論会いたいですっ!』 「ふは、ありがと」 『うわ、誉さんが可愛い……!』  俺が可愛いかどうかはさておき、さっきまで疲れ切っていた朝陽の声が明るくなってきたので、もう大丈夫だろうと思い「早く食って寝ろ」と告げる。 『……明日の夜も電話していいです?』  寂しそうな大型わんこの願いを、俺が聞き届けない訳がないだろう。 「当たり前だろ。俺だって朝陽の声が聞きたいんだから」 『はう……っ』  ごくん、と唾を呑む音がはっきり聞こえてきて、思わず吹き出す。俺は何を不安になってたんだろう。嫌な想像をしていた自分が、恥ずかしくなってきた。 「電話、待ってるな」 『はいっ』 「じゃ、早く寝ろよ。おやすみ」 『はいっ! 誉さんの声を聞いて、元気出ました!』  ひと呼吸開けて、朝陽が言った。 『好きです、誉さん。おやすみなさい』 「ん」  もっといい返し方があっただろ、俺。そうは思ったけど、唐突の告白にドギマギしてしまった。  通話を切って、しばし画面を見つめる。 「……へへ」  明日には、通販で買った布団が届く予定だ。朝陽が気持ちよく寝られるように、布団乾燥機をかけようかな――。  どこかふわふわとした気持ちになりながら、布団に横になり目を瞑る。  疲れ切っていたこともあり、睡魔はすぐに訪れ――。  朝陽と一緒に微笑み合いながら朝食を食べる夢を見て、幸せな気分に浸ったのだった。 ◇  少しずつ、朝陽が隣にいない日常に慣れていく。  毎晩遅くに帰宅して朝は部長の早朝マラソンに付き合わせられるのは、いくら体力があるアルファでも大変だろうと思う。  会社で遠目に見かけると、どことなく朝陽の雰囲気が疲れてきているのが分かった。逆に第一の部長はどんだけ体力馬鹿なんだろうと思わず瀧に愚痴ったら、「あの人趣味がマラソンなんすよ。朝から十キロとか余裕なんす」と教わる。マジで体力馬鹿だった。  布団は無事に届いた。木曜だった昨夜、朝陽にそのことを話すと「滅茶苦茶楽しみにしてます」と嬉しそうに言われて、俺も嬉しくなる。  週末は俺が朝陽をマッサージして癒してやろうと思って、マッサージの本を買ったりしてみた。俺もようやく朝陽と過ごせるのを待ち望んでいたんだ。  だけど、それは叶わなくなった。  金曜日の深夜、朝陽からの電話でそのことを告げられる。 「は……? ゴルフ、接待? 泊まりがけ?」 『予定があるってちゃんと言ったんです……ですけど、副社長も参加するのに期待のアルファが来ないなんてと言われて……』  嘘だろ。さすがに、愕然とした。 「だって……え、日曜日は何時に帰ってくるんだ?」 『夕方に向こうを出るそうなので、夜遅くなるかと……』 「……」  ごめんなさい、と泣きそうな声で言われる。いやでもこれは朝陽のせいじゃないし、朝陽に文句を言ったところでな内容じゃないか。とてもじゃないけど、凹んでいる朝陽を糾弾なんてできない。 「……お前も疲れてるだろうけど、日曜日、帰ってきたら教えてくれるか? 電車があれば会いに行くから」 『本当ですか誉さん! うわ、嬉しいです……! 必ず連絡しますね!』 「うん」  その日は、朝陽が「まだ電話を切りたくない」と甘えた声で頼むから、ずっと通話状態のまま、布団に横になった。 『誉さ……匂い嗅ぎた……』 「……朝陽?」  疲れ切っていたんだろう。呟いたな、と思ってからしばらくして、スー、スー、とリズミカルな寝息が聞こえ始める。 「……寝ちゃったか?」  電話を切ることもできた。だけど、次第に隣で朝陽が寝ているみたいに思えてきて――。 「……お疲れ様」  結局切らないまま、朝陽の寝息を聞きながら俺も眠りについたのだった。

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